新刊紹介 単著 『金井美恵子の想像的世界』

芳川泰久『金井美恵子の想像的世界』
水声社 、2011年6月

もしかすると、少なからぬ読者が、金井美恵子を「読むことから離れた期間」をもつのではないだろうか。本書の著者もそうだった。そして再び読み始めたとき、著者は、「なぜ自分は読まないでいられる時期をもつことができたのか」といぶかしむ。そしてその空白を一挙に取り戻そうとするかのように、讃嘆の念を次々に批評へと昇華する。本書は、著者が作家の仕事に寄り添っていた時期、主として90年代に書き継いだ7篇の批評に、再び傾倒するようになってから新たに書き下ろした6篇の批評を加えて構成された、本邦初の金井美恵子論である。

その主要なアプローチは、ジャン=ピエール・リシャールの『マラルメの想像的宇宙』を連想させるタイトルからも予感されるように、作者の想像的世界を探索するテーマ論的なものであると、まずは言うことができる。そしてそこで見出されるテーマ群は「水」を中心に連鎖していると。しかし、こう述べただけでは、金井美恵子という批評的精神に溢れた作家に捧げられた本書の魅力を伝えることはできない。なぜなら本書の分析は、金井作品における「水」の描写の丹念な精査にとどまるものでは到底ないからである。確かに著者は、金井の作品を処女作から近作まで自在に引用し、文に撒種された音にまで耳を傾けながら、執拗に語られる「あの人の不在」に決まって伴う「水」の豊かな「姿態」を示してくれる。けれども、著者が「便宜的に」と断りながらもイェルムスレウを援用し、中期作品以降の「水」を「内容の形式」と呼んでいることにも表れているように、本書の眼目はむしろ、金井作品においてテーマとエクリチュールの、内容と形式の区分が無効化される、あるいはメビウスの帯のようにつながってしまう、その契機を取り出すことにある。金井作品においては、テーマがテクストそのものへと「変位」し、たとえば同じひとつのフレーズが、別々の作品において「水のように」湧出する。深さを象徴する符牒であった「水」は、金井において、表層としての、皮膚としての――それは、「柔らかい土をふんで」いる「あしのうら」のことでもあれば、柔らかく、しかもざらついた、原稿用紙のことでもあれば、スクリーンのことでもある――、そう、エクリチュールとしての「水」に変化する。その「水」は、登場人物の輪郭を「溶解」させ、物語の時間を「匿名」にするのみならず、「言語の審級」において、書く主体にも、そのセクシャリティーにも同じように作用するだろう。著者はそれを、書くことと書かれたものの共振、あるいは相互浸透と呼ぶ。

かくして著者は、金井の文章を舐めるように、「微分」するように、視覚、触覚、聴覚を動員して身体的に読み、そこに、「水」が皮膚と接触して言葉となる、その幸福な瞬間が描き出されていることを示す。作家が「言葉に肌を奪い返す」その様を目の当たりにして、読者は金井美恵子の稀有な才能に改めて驚くだろう。水に濡れて溶融する文字とざらついた皮膚のような表紙が本書の試みに実にふさわしい装幀であることを、最後に記しておこう。(郷原佳以)