新刊紹介 | 編著、翻訳など | 『イメージの運命』 |
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堀 潤之(訳)
ジャック・ランシエール『イメージの運命』
平凡社、2010年3月
本書は、政治と美学の領域を自在に往還するランシエールの著作群のうちでも、文学、美術、映画などの個別の事例に最も寄り添ったかたちで議論を展開しており、その意味で、この哲学者が芸術作品やそれをめぐる言説の具体的な細部にどのような手つきで迫り、そこからどのように思考を立ち上げているのかがよく観察できる書物になっている。
扱われている題材は多岐にわたるが、たとえば「Ⅱ 文章、イメージ、歴史」では、ゴダールの『映画史』最終章における数分間のモンタージュが、『ボヴァリー夫人』や『パリの胃袋』にもみられる「文章‐イメージ」――19世紀以降の美学的体制に特有の「文章がもたらす連続性の力とイメージがもたらす断絶の力」の統一体――の機能というより広範な文脈に置き直された上で、そのような異質な諸要素の組み合わせが、実のところ、衝撃や懸隔によって批判的な力を発揮するような「弁証法的モンタージュ」ではなく、より根本的な大いなる共通性を確保するような「象徴的モンタージュ」に基づいていることが、ビル・ヴィオラによる最近の他のインスタレーション作品の例などとともに鋭く批判される。
あるいは、「Ⅴ 表象不可能なものがあるのかどうか」では、ランシエールの読者にはおなじみの芸術の「表象的体制」と「美学的体制」の区分を梃子にして、厳密な意味での「表象不可能性」は芸術の表象的体制にしか存在しえないのであって、ランズマンの『ショア』をめぐって展開されたアウシュヴィッツの「表象不可能性」の議論、さらにリオタールによる「崇高の芸術」の定式化は、芸術の美学的体制においては、誇張化された「倫理的要請」にすぎないという、きわめて本質的な批判を展開している。
ランシエールの芸術論の一つの大きな魅力は、作品や言説のミクロな細部と、巨視的なパースペクティヴ――とりわけ、芸術の諸々の事象を根源的に拘束している諸条件としての、表象的体制と美学的体制の区分――をダイナミックに連結する見事な手さばきにある。本書を読むことによって、バルザックからゴダールに至るこの2世紀のさまざまな芸術的活動が、きわめて深い次元で、しかも非常に見通しのよいかたちで視界に収まってくることだろう。(堀潤之)
※なお、訳者のブログに本書に関連する参考図版を載せているので、あわせて参照されたい(http://d.hatena.ne.jp/tricheur/20100323 および http://d.hatena.ne.jp/tricheur/20100324)。