新刊紹介 | 編著、翻訳など | 『技術と時間 2』 |
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石田英敬(監修)
ベルナール・スティグレール(著)『技術と時間 2』
法政大学出版局、2010年7月
グローバル化の運動は、西洋を出自としながらも、東洋orientという鏡を消失させていくことで、西洋という枠組みそのものを動揺させていく。スティグレールは「方向喪失désorientation」という表題を掲げる本書において、西洋を可能としまた規定してきた特定のテクノロジー発展が、やがて必然的に西洋そのものを超え出ていくというパラドキシカルな運動を浮かび上がらせていく。
その議論の導きとなるのは、スティグレールが「正定立orthothèse」と名づける、対象を正確に再現する記録様態だ。過去を正確に書き取り反復していくこと、技術的に担保されたこの正定立的な反復のモードが、西洋的な知の蓄積を可能としたと同時に、脱文脈化=脱領域化のプロセスを進行させてもいったというのだ。
「正定立」とともに取り上げられるのは、「把持の有限性finitude rétentionnelle」という意識の忘れやすさに焦点を当てたデリダ由来のキーワードだ。意識は絶えず忘却していくがゆえに、技術による代補的介入を不可避とする。スティグレールはフッサールの時間意識論の批判を通して、技術による外在化を通して事後的に構成されていくという、記憶/記録という出来事の本質を明らかにしていく。
テクノロジーの在り方は支配的な反復のモードを規定することで、人々の忘れやすい意識が過去にアクセスし、現在を認識し、未来を構想する可能性の条件を形づくる。本書で提示されるスティグレールの議論は、続巻の『映画の時間と難―存在』で展開される文化産業論とともに、グローバル化の運動と絶えざるメディアの発展にますます巻き込まれつつあるわれわれの意識の現在地を把握するための格好の視座を提供している。(谷島貫太)
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