新刊紹介 単著 中村秀之『瓦礫の天使たち――ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』

中村秀之『瓦礫の天使たち――ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』
せりか書房、2010年6月

本書は、ヴァルター・ベンヤミンの諸概念を下敷きに、19世紀末から20世紀前半の映画を論じた秀作である。とりわけ著者は、ベンヤミンが言及する「遊動空間」と映画の関係性を著作全体の通低音とし、映画で表された都市における身体と機械の結合を多彩に描出していく。

本書では、1920年代に黄金期をむかえるスラップスティックの諸作品、リュミエールやメリエスを代表とした初期映画、1920年代のハリウッドの商業映画の秀作であるキング・ヴィダー監督『群集』(1928年)など、非常に多くの映画作品を横断していく。そうした横断のプロセスにおいて、筆者が一貫して厳守することは、「都市空間の流動性と喧騒をはらんだ」言説によって映画経験を再構築することである。

その再構築のなかで、読者は、映画の登場人物たちの「身ぶり」が丁寧に炙り出される様に魅了されるであろう。何よりも、ハロルド・ロイドのパフォーマンス、チャールズ・チャップリンのアクションそしてバスター・キートンのモーションにおける「身ぶり」の輪郭を描き出し、各々に異なる身体と機械の結合の状態を暴き立てる様は、本作が卓越したスラップスティック論としてあることも印象づける。

著者自身の無声映画の経験についての追憶から始まり、ベンヤミンの論考(「複製技術時代の芸術作品」)に基づき展開する本作は、なるほど、その議論の対象を1920年代までの、トーキー以前の映画に限定している。しかしながら、早くも第1章において無声期以降の映画経験におけるベンヤミンの理論の有効性が語られるように、著者のまなざしは、トーキー以後の映画に、別の物語に常に向けられているように思える。従って、私たちは二つの選択肢を著者から与えられている。その物語を待つか、自ら語り始めるかである。(松谷容作)