研究ノート | 加治屋 健司 |
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芸術資源とは何か
京都市立芸術大学芸術資源研究センターの活動
加治屋 健司
2014年4月、京都市立芸術大学(以下、京都芸大)は芸術資源研究センター(以下、芸資研)を設置した。筆者は専任研究員として採用され、他の教員、研究員とともに活動し、芸資研の運営に携わっている。以下では、芸資研設置の経緯とその活動内容について説明するとともに、芸資研の名称に含まれている芸術資源という言葉について考えてみたい。
設置の経緯
京都芸大に芸資研が誕生した背景には、アーカイブ構想があった。私が赴任する前のことなので詳細は知らないが、2010年6月に策定された整備・改革基本計画に「京都芸大アーカイバルリサーチセンター(仮称)の設立」という項目があり、次のような説明がある。
現在の学内の展示スペース、図書館・資料館、保存修復専攻を総合的に再編し、美術学部、音楽学部、日本伝統音楽研究センター、芸術資料館が持つコンテンツとノウハウを集約し、更に音楽図書館、楽器ミュージアムを新たに加えた、総合美術博物館的機能を備えた「京都芸大アーカイバルリサーチセンター(仮称)」の設立を目指す。
学内にある収集、展示、保存に携わる諸施設を「総合的に再編」して、「総合美術博物館的機能」を備えた施設を作るというのだから、アーカイブというよりは、アーカイブや図書館を併設した大規模な博物館が構想されていたようだ。
この時期は、学内で検討を重ねながら、アーカイブの専門家にヒアリングをしていたようだ。筆者も、広島市立大学に勤務していた2011年5月に、京都芸大の会議に呼ばれて、国内外のアーカイブ事情や、筆者が取り組んでいるオーラルヒストリーの活動について説明したことがある。
2012年になると、設立に向けた動きが活発になる。京都芸大は4月に公立大学法人化し、2012年度から4か年の中期計画の重点取組項目に「京都芸大アーカイバルリサーチセンター(仮称)の設立」を盛り込み、2回のシンポジウムを開催する。最初のシンポジウム「創造のためのアーカイブ Part 1 未完の歴史」は10月に開催され、美術家の森村泰昌氏、音楽家の塩見允枝子氏、京都芸大の石原友明、加須屋明子の両氏とともに、筆者も登壇した。11月にはシンポジウム「創造のためのアーカイブ Part 2 物質と記憶」が開催され、カリフォルニア工科大学の下條信輔氏、京都大学の篠原資明氏、京都芸大の建畠晢、高橋悟の両氏が登壇した。いずれのシンポジウムも、過去の歴史や記憶をいかに現在や未来の創造へとつなげていくかについて、主として作家の視点から考察するものだった。タイトルに「創造のためのアーカイブ」を掲げたことに表われているように、研究者よりも作家のためのアーカイブを目指すという方向が明確になったのである。
2013年度は、東京大学総合研究博物館、明治学院大学日本近代音楽館、慶應義塾大学アート・センター、東京藝術大学総合芸術アーカイブセンターなど、現在アーカイブを運営している大学を訪問し、12月にシンポジウム「創造のためのアーカイブ 富本憲吉のことば」を開催した。このシンポジウムには、美術評論家の乾由明氏、陶芸家の森野泰明、柳原睦夫の両氏、富本憲吉文化資料館の山本茂雄氏、立命館大学の前﨑信也氏、京都芸大の森野彰人氏が登壇した。こうした国内のアーカイブの訪問調査や、アーカイブ構想の学外への公表・公開討論を経て、2014年に芸資研が発足したのである。
事業内容
芸資研は、京都芸大及び京都の芸術作品や各種資料等を芸術資源として包括的に捉え直して、将来の新たな芸術創造につなげることを目指す研究機関である(芸術資源の概念については後述)。所長を筆頭に、専任研究員1名(筆者)、兼担教員3名、プロジェクト・リーダー8名、非常勤研究員4名、特別招聘研究員2名という体制で研究活動に取り組んでいる。英語名称はArchival Research Centerであり、学内では構想段階から発足直後までARCと呼んでいたが、現在では芸資研という略称を用いるようにしている。
芸資研の研究活動は、基礎研究と重点研究に分かれており、基礎研究では、3つの活動を継続的に行う。
(1)アーカイブ理論の研究
アーカイブとは、従来の公文書館から芸術表現の方法まで、様々な意味で用いられている。芸資研では、芸術及び芸術大学におけるアーカイブの可能性を検討し、その理解を深めるために、識者を招いたアーカイブ研究会を随時開催している。これまで、京都精華大学の佐藤守弘氏、バーバラ・ロンドン氏、京都工芸繊維大学の平芳幸浩氏をお招きして、それぞれの専門分野におけるアーカイブを中心にお話しいただいた。
(2)芸術資源の調査収集と活用
芸資研は、京都芸大が所蔵する芸術作品や各種資料を中心に芸術資源を調査収集し、創造的に活用する予定である。芸資研は発足したばかりなので、収蔵庫も収蔵品・収蔵資料も持っていない。芸術資料館や附属図書館と連携しつつ、学内各所に点在する芸術資源の目録作成を進めると同時に、将来的には京都を中心とした学外の芸術資源も含めて、その創造的な活用を推進したいと考えている。
(3)アーカイブの教育の場での活用
アーカイブの発想や方法は、芸術教育においても有効である。芸術家は、芸術作品によって構成される芸術の歴史を踏まえて制作してきたが、現代の芸術家が制作時に向き合う多様な情報環境は、芸術作品に限定されない資料や情報を含んだアーカイブに例えることができる。現代社会にふさわしい創作能力を育成するために、アーカイブの発想や方法を芸術教育に取り入れたいと考えている。
重点研究では、プロジェクト・リーダーを中心に、本学及び京都の特色や歴史を活かした5つのプロジェクトを行う。
(1)オーラルヒストリー
芸術関係者に聞き取り調査を行い、オーラルヒストリー(口述資料)として記録・保存、研究する。京都における本学ゆかりの作家を中心に、戦後日本美術、京都画壇、フルクサスに焦点を当てる。筆者は戦後美術のオーラルヒストリーを担当している。
(2)記譜プロジェクト
楽譜研究の手法を基盤にして、日本の伝統音楽や民俗芸能、西洋音楽の記譜法を研究すると同時に、作品や創作プロセスも含めて記譜法を広く捉え直すことで、記譜を新たな芸術創造の装置とみなし、その表現の多様性を探る。
(3)富本憲吉アーカイブ・辻本勇コレクション
京都芸大に日本初の陶磁器専攻を創設し、教授、学長を務めた富本憲吉の書簡資料等の寄贈を辻本勇氏より受けたことを踏まえ、「富本憲吉アーカイブ・辻本勇コレクション」として整理、活用を図る。
(4)森村泰昌アーカイブ
名画の人物や著名人に扮する作品で知られる、京都芸大出身の現代美術家である森村泰昌に関する文献資料のデータベースを構築して活用する。
(5)総合基礎実技アーカイブ
美術学部の新入生全員が各専攻に分かれる前に受講し、分野を横断する柔軟な基礎力の育成を図る授業「総合基礎実技」の課題と成果を資料化し、芸術教育に新たな展望を開くことを目指す。
学内外の部署や組織との共催事業にも積極的に取り組んでいる。これまで、学内部署との共催で、芸術文化と著作権に関する福井健策弁護士の講演を企画したり、森村泰昌客員教授の特別授業を行っており、今後も様々な共催事業を予定している。
芸術資源とは何か
最後に、芸資研の名称に入っている芸術資源という言葉について考えてみたい。先に述べたように、京都芸大は、構想段階ではアーカイバルリサーチセンターという名称を用いていたが、発足の際に芸術資源研究センターになった。構想の策定に携わった教職員によれば、アーカイバルリサーチという言葉に、アーカイブに限定されない広範な活動の可能性を込めていたが、市当局との交渉のなかで現在の名称になったという。つまり芸術資源とは、構想の最初からあった概念ではないのだが、筆者は、この言葉に大きな可能性と広がりを感じるのである。
芸術資源に似た言葉に、文化資源がある。これは、2000年に東京大学大学院人文社会系研究科に誕生した文化資源学研究専攻で採用され、2002年には文化資源学会が設立されて広く知られるようになった。文化資源学会のサイトによれば、文化資源とは、「ある時代の社会と文化を知るための手がかりとなる貴重な資料の総体」であるが、そのままでは、「多くの資料は死蔵され、消費され、活用されないまま忘れられて」しまう。したがって、「埋もれた膨大な資料の蓄積を、現在および将来の社会で活用できるように再生・加工させ、新たな文化を育む土壌として資料を資源化し活用可能にすることが必要」であるという。つまり、文化資源という言葉には、文化を形成してきた厖大な資料体を、新たな文化を生み出すために活用しようという思いが込められている。
では、芸術資源という言葉には、いかなる可能性と広がりがあるだろうか。芸術もまた、「死蔵され、消費され、活用されないまま忘れられて」しまうことはある。そもそも、美術館や歴史の本の中で、単なる過去の記録として扱われてきた作品は無数にあるし、美術館には、収蔵したものの一度も展示する機会がない作品や、創作物でありながら二次的な価値を与えられてきた作品資料もある。芸術家の仕事場には、制作の過程で生まれたもので、作品とは言えないが創造的な価値をもつ有形無形のものがあるし、社会に存在する様々な事物に、芸術的な価値をもつものもある。また、芸術大学の教育の場において作られる無数の物と形も、同様に考えてよいかもしれない。それらは、従来の芸術史においては、考察の対象にならないことが多かった。だが、新たな作品を生み出し、新しい芸術の歴史を紡いでいくためには、こうした作品や事物に改めて目を向けることが必要なのではないだろうか。現在、芸術概念はますます変化の一途をたどり、芸術史自体も絶えず書き換えられている。芸術資源という考え方が可能にするのは、従来の芸術を新たな創造のために活用することだけでなく、芸術の再解釈や芸術史の再編を通して過去の芸術を再賦活化すること、社会の様々な事物を芸術の観点から捉え直すこと、さらには、芸術大学の教育を含めた制作のプロセスで生まれたものに意味を与えることでもあるだろう。芸術は、文化とは異なる背景を持つ言葉であり、芸術家による実践の蓄積と長年にわたる複雑な議論がある。それゆえ、芸術資源という言葉は、文化資源とは異なる視点から歴史と社会を認識することを可能にすると同時に、理論と実践の双方において新たな創造を生み出す契機を含んでいると言えるのではないだろうか。
芸資研は、こうした観点から芸術資源の問題に取り組んでいきたいと考えている。講演、シンポジウム、公演、出版物、ウェブサイト等を通して研究成果を報告するので、今後の活動にご注目いただければ幸いである。
加治屋健司(京都市立芸術大学)