研究ノート 横山 由季子

ジャコメッティの線
「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展の余韻に
(2014年4月26日〜6月29日、東京大学駒場博物館)
横山 由季子

展覧会とは、想起と忘却の空間体験である。複数の作品が会場に集められ、ひとつの時空間を形づくる展覧会は、たとえどんなに小さな空間であっても、全体を一望のうちに把握することはできない。ひとつ、またひとつと作品を見ながら進んでゆくうちに、有機的なつながりを発見することもあれば、目にしたばかりの作品を忘れてしまうこともあるだろう。ときには部屋の出口で振り返って、いま視線をめぐらせたばかりの作品が並ぶ展示空間を反芻する。数日であれ、数ヵ月であれ、ほんのひとときの作品たちの邂逅、そしてその全貌は訪れた者の記憶のなかにしか存在しえない―図録や会場写真は、展覧会を想起する手助けとはなっても、展覧会そのものではない。その一回性は、指揮者バレンボイムがサイードとの対談のなかで語った、音楽の経験にも通じるところがあるかもしれない。技術が進歩して、あらゆるものを保存し、再生することが可能になっても、ライヴ・コンサートに「参加していた人が体験したものは、二度と戻らない」(※1)。そして音楽の演奏会では、リハーサルを重ねて得られた秩序や調和と、それを凌駕し突き崩す力とが結びつき、人々を感動へとひき込んでゆく。持続の幅がより長い展覧会においても、周到に練られた作品リストや展示プランが、展示として立ち上がったときに予期せぬ共鳴をもたらすことがある。

東京大学の駒場博物館でおよそ3ヵ月にわたって開かれたその展覧会は、最後のイベントでフランス語の先生方が歌ったシャンソンの残響のなか、初夏の驟雨とともに幕を閉じた(※2)[図1]。この展覧会のはじまりは、小林康夫先生が20年近く前に銀座の画廊で手に入れたというジャコメッティ晩年のリトグラフ集《終わりなきパリ》にある。そこから彼と同じ時代を生きた詩人たちとの交流へと広がり、20世紀のパリで花開いたさまざまな芸術へ、さらに世紀を跨いで遡り、19世紀半ばの近代パリが誕生した時代まで、途方もない時間を抱え込むことになった。展覧会の入口では、マネの《オランピア》のエッチングが迎えてくれる[図2]。「Paris-Passage I」と名付けられた第1章は、オスマンの改革が進むパリの姿を刻んだメリヨンの銅版画、パリ万博の熱狂を伝える雑誌、西洋を逃れタヒチに渡ったゴーギャンの木版画、ブルトンが監修したシュルレアリスム関連の書籍、今井俊満や黒田アキら戦後のパリに身を置いた日本人アーティストたちの作品、そして晩年のル・コルビュジエが辿りついた波打つフォルムが特徴的なリトグラフ[図3]によって構成される。続く「Paris-Poésie」は、本展覧会の中心であり、ジャコメッティの《終わりなきパリ》と、彼の死の翌年に刊行された雑誌『レフェメール』を通して、この芸術家に共感を寄せた詩人たちに捧げられた[図4]。この第2章の展示は桑田光平先生が手がけ、部屋の一画には、《終わりなきパリ》のリトグラフと響き合う詩の引用が映し出され、パリのカフェでのおしゃべりや、メトロを行き交う雑踏の音がときおり流れる。会期の途中で、矢内原伊作が撮影したというジャコメッティの彫刻の写真が突然展示に加わり、ケースの中で存在感を放った。最後の「Paris-Passage Ⅱ」では、写真家の相澤裕明氏が20世紀末のパリを撮影した白黒写真が壁面を覆い、向かいには詩人ジェラール・マセによる写真やテクスト、そして出口では木村忠太のパリのスケッチが来訪者を見送った。会期中はさまざまなシンポジウムやイベントが催され[図5]、訪れた人々との出会いのなかで新たな作品が増え、「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展は3ヵ月の会期のあいだに何度も生まれ変わっていった。

展覧会に先立ち、小林先生とともにパリのリトグラフ工房idemを訪れたのは2014年の3月のことである。モンパルナス通りに門をひらくこの場所は、かつて工房のオーナーであったムルロー兄弟が、20世紀の美術界に燦然ときらめく巨匠たち―マティス、ピカソ、ブラック、ミロ、シャガールら―の版画作品を形にしてきたことで名高い。石畳の小径を進み、緑色の扉をくぐると、ガラスの屋根越しに穏やかな光が降り注ぐ広々とした空間が現れた。そこには、100年以上前から現役で仕事を続ける黒々とした巨大な刷り機が何台も鎮座し、紙やインクの心地よい匂いが辺りに漂う[図6]。部屋の片隅には、幾多ものイメージが刻まれては消されてきた石版たちが整然と並んでいた。他ならぬジャコメッティの《終わりなきパリ》も、当時は別の場所に工房を開いていたこの兄弟の手によって刷られたものである(※3)。そして現在モンパルナスにある工房の2階には、版画集のなかに収められた1枚のデッサンを転写した石版がひとつ、こともなげに置かれていた。幸運にもこの日、モンパルナスの老舗画材店アダムの店主で、生前のジャコメッティと交流のあったエドゥアール・アダム氏にも会うことができ[図7]、ジャコメッティのアトリエが今も残るモンパルナスという地の、芸術家を惹きつける磁場の強さを感じることができた[図8]。

ムルローの回想録を紐解くと、ジャコメッティはリトグラフ集《終わりなきパリ》を制作するにあたり、転写紙を用いていたことが分かる。「彼は自分のアトリエの眺めをデッサンすることから始め、次にタクシーに乗り、気に入ったところがあると、止めさせていた。彼は転写紙に一枚リトを作り、それを小さなカルトンに挟んで、ほかのデッサンと一緒に工房にもってきた」(※4)。「終わりなきパリ」展の関連イベントとして催された、リトグラフ作家阿部浩氏の講演会ではじめて知ったことだが(※5)、ジャコメッティはあの執拗に重ねられた、とぎれとぎれの線をスピードに任せて引いていたわけではなかった。そうではなくて、つるつると滑る転写紙の上に、かすかな力で、確かめるようにクレヨンの痕跡を残していた。そして彼にとって、パリのイマージュを描くことを可能にするのは、「油彩でもデッサンでもなく、この石版用のクレヨン」であり、それは「速く描くための唯一の画材で、そのかわりまた手を入れたり、消したり、ゴムを使ったり、やり直したりすることができない」ものだった(※6)。ジャコメッティの言う「速さ」がどれほどのものだったのか、今となっては分からないが、抵抗のほとんどない転写紙の上では、紙に描くデッサンのように、クレヨンを持つ手を勢いよく走らせることはできなかったはずである。その「しなやかで、繊細な、極端に薄い線」(※7)は工房の職人たちをおおいに困らせたようだが、それはほとんど捉えどころのないように思われたパリの輪郭を、手探りで追い求めたジャコメッティの不断の葛藤と決断の証なのである。

「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展の会場で、淡い光に照らし出された街路やカフェ、教会や裸婦たちを形づくる線は、ジャコメッティによって生命を与えられてから半世紀という月日を隔てても、今まさに紙の上に立ち現れ、消えてゆくかのような躍動を湛えていた[図9]。そしてこの展覧会が開いた時空間そのものも、私たちが普段意識するような過去から未来への直線にからめとられるのではなく、ふとしたきっかけで記憶の淵から浮き上がり、そのときの経験が再び生成されるようなものなのかもしれない。これから、いつどんなきっかけでこの展覧会の空気が蘇るのか、ささやかながら展示に携わったひとりとして、楽しみにしたい。

横山由季子(国立新美術館)

[脚注]

※1 バレンボイム/サイード『音楽と社会』A.グゼミリアン編、中野真紀子訳、みすず書房、2004年、38頁。

※2 関連企画「“Ayant chanté tout l’été”―シャンソンの夕べ」東京大学駒場博物館「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場内、2014年6月23日

※3 フェルナン・ムルロ『パリの版画工房 思い出に刻まれた芸術家たち』益田祐作訳、求龍堂、1981年、230-231頁。

※4 リトグラフ工房idemの所在地は、1914年から1960年まで18 Rue Chabrol、1960年から1976年まではRue Barrault、1977年に49 Rue du Montparnasseに移動し、現在に至る。

※5 阿部浩(画家・リトグラフ作家)講演会「リトグラフの尽きせぬ魅力を語る」東京大学駒場Ⅰキャンパス 学際交流ホール、2014年6月14日

※6 アルベルト・ジャコメッティ「終わりなきパリ」『ジャコメッティ 私の現実』矢内原伊作・宇佐見英治訳、みすず書房、1976年、116頁。

※7 フェルナン・ムルロ、前掲書、230頁。

図1 「“Ayant chanté tout l’été”―シャンソンの夕べ」の様子(撮影:相澤裕明)

図1 「“Ayant chanté tout l’été”―シャンソンの夕べ」の様子(撮影:相澤裕明)

図2 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図2 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図3 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図3 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図4 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図4 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図5 シンポジウム「ジャコメッティのパリをめぐって」の様子、2014年5月13日、東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館ホール(撮影:相澤裕明)

図5 シンポジウム「ジャコメッティのパリをめぐって」の様子、2014年5月13日、東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館ホール(撮影:相澤裕明)

図6 リトグラフ工房idemの内部(撮影筆者、2012年6月)

図6 リトグラフ工房idemの内部(撮影筆者、2012年6月)

図7 画材店アダムの外観(撮影筆者、2012年2月)

図7 画材店アダムの外観(撮影筆者、2012年2月)

図8 ジャコメッティのアトリエ(撮影筆者、2013年5月)

図8 ジャコメッティのアトリエ(撮影筆者、2013年5月)

図9 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)

図9 「《終わりなきパリ》、そしてポエジー」展会場(撮影:相澤裕明)