新刊紹介 | 翻訳 | 『猫の音楽 半音階的幻想曲』 |
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森元庸介(訳)
ジャン=クロード・レーベンシュテイン(著)
『猫の音楽 半音階的幻想曲』
勁草書房、2014年6月
西洋世界は「自分でないもの」をいかに遇してきたのか──クラシカルであるかもしれない問いを、しかし猫と音楽という少し変わった切り口から論じた、フランス美術史界きっての奇才による本である。小著であるが、楽曲はもちろん、関連する図像や文学テクストをさまざまに畳み込んで、全体が「本文」という概念を無効にするような「註」の集積といった気配を醸してもいる。ただ、本書はむやみに奇を衒っているのではないし、やみくもに情報の量を求めているのでもない。行論を導くのは、異なる民族のあいだの無理解──誤解というよりむしろ理解の不在──を猫の声を聴き損なう経験になぞらえた18世紀フランスの文人モンクリフである。そう、「猫の音楽」とはここで、たえず捉え損なわれてしまう他性の隠喩的な形象なのであり、それがまたヨーロッパの耳がかつて聴いたアジア音楽、そしておそらくアジアの耳がかつて聴いたヨーロッパ音楽のありよう──「シャリヴァリ」あるいは「カシマシ」──と重ねられる。だから必然というべきだろう、本書が描き出す猫たちは多分に野趣をたたえて、ときには人間たちに挑みかかるようでさえあるのだが、それにしたって猫を侮り、己の楽しみのために痛めつけさえしてきた人間の倨傲の裏返された鏡像となっているのだ。すれちがってきた猫と人間が和解するのは、少なくとも音楽においてようやく世紀転換期のことであり、その道筋は平坦でなかった。いや、一件は過去のことがらなのか。いま、猫は少なからず「かわいくてたまらない」ものとして眼差しを集めるようにも見受けられる。そのことがわたくしたちの他性、とはつまりまた自性をめぐる理解と誤解と無理解のいかなる形を映し出しているか、つかのま考え直してよいかもしれない。(森元庸介)
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