新刊紹介 | 翻訳 | 『ヴェール』 |
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郷原佳以(訳)
ジャック・デリダ、エレーヌ・シクスー(著)
『ヴェール』
みすず書房、2014年3月
ジャック・デリダとエレーヌ・シクスー。夫婦でも恋人でもないが、二人は特別な関係にあった。デリダはシクスーに、本書を入れれば三冊も、敬愛のこもったオマージュを捧げている。そのような扱いを受けた同時代の作家は他に存在しない。本書に収められたデリダのテクストが稀有な美しさを保っているのは、彼女の存在があったからこそだろう。しかし同時に、このテクストは紛れもなくデリダの道程のうえに、いや、その「果て」に生み出されたものだ。その美しさがどこかメランコリックなものであるのは、そのゆえである。執筆時の哲学者はまだ六五歳。死はまだ遠いはずなのに、その自伝的で詩的なテクストは「遺書」のような趣を漂わせている。デリダが亡くなったいま読めば、なおさらである。テクストの言葉で言えば、思索の道程が「消尽(épuisement)」あるいは「成熟(mûrir, veraison)」の段階に達し、ついに最後の「審判」が下るかどうかという切迫した瞬間になって、その瞬間そのものがいわば焼き付けられたかのように、このテクストに現出しているのである。デリダの道程において、その「果て」において、なおも彼のもとにくりかえし浮上してくる主題が、そこで、彼の特別な女友だちのテクストと共鳴している。それは、「真理(vérité)とヴェール(voile)」という主題だ。といって、ヴェールの背後に真理がある、という話ではない。そうではなくむしろ、そのテクストは、いわば「ヴェールの他者」の方を向いている。ヴェールの論理によらずに、別の真理を語ろうとする。しかし同時に、ヴェールの論理から逃れることの不可能性を語ってもいる。
本書は、手術によって失った近視への「喪」を主題とするシクスーの短いテクスト「サヴォワール」と、それをめぐって対話体で書かれたデリダのテクスト「蚕──他なるヴェールに刺さった(無)視点」から成る。「めぐって」とはいえ、普通の意味での注釈ではなく、テクストの言葉を信じるならば、「サヴォワール」を読むことによって夢見られた「真の夢の物語」である。
「蚕」が「ヴェールの他者」の方を向くためのモチーフは二つある。一つはデリダが幼い頃に父から受け継いだタリートという名のユダヤ教の布であり、もう一つは彼がやはり幼い頃にアルジェリアの家で飼っていた蚕である。デリダの筆のもとで、この虫は、生と死の関係、自己性、自然と技術の関係、植物と動物の関係、性的差異、そして真理の主題について根本から再考を促す驚異的な動物となる。
かくして、これまでになく自伝的な仕方で、しかし同時に、このうえなく詩的な仕方で、「蚕」は「ヴェールの他者」を夢見させてくれる。(郷原佳以)