新刊紹介 | 翻訳 | 『ジュール・ヴェルヌ伝』 |
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石橋正孝(訳)
フォルカー・デース(著)
『ジュール・ヴェルヌ伝』
水声社、2014年6月
一般に文学作品は有名であればあるほど、却って読まれなくなってしまうようである。読む前にイメージを植え付けられ、わざわざ時間と労力をかけて読むのが億劫になってしまう。それに対して、ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の代表作、『地球の中心への旅』『海底二万里』『八十日間世界一周』の方は、読書好きであれば小学生でもすんなりと読めてしまうそのリーダビリティの高さゆえに、そうした「不幸」を比較的免れているように見えるものの、それが作品にとっての「幸い」に直結しているかと言えば、はなはだ疑問である。ある作品が多くの人にとって読みやすく感じられるとすれば、それは結局のところ、事前の予想や期待をほぼ裏切られることなく、最後まで読み通せるからにほかならず、「イメージ」のせいで読まれない有名作とは違って、「イメージ」が読者自身の手で積極的に固定化されてしまう危険が生じるのであり、ヴェルヌはまさしくこのケースに当てはまる。
ジュール・ヴェルヌの「イメージ」が強化されやすかった要因の一つとして、彼の作品に書き手の個性があまり感じられず、本人も自らについて語りたがらなかったため、作品の「イメージ」と著者の同一視、言い換えれば、後者の「神話」化が容易だったことが挙げられるように思う。幼い頃にインドへの密航を企てて失敗し、「もう夢の中でしか旅をしません」と母親に宣言したという逸話や、『海底二万里』を執筆中に父親に宛てて書いたとされる「名言」(「ある人によって想像可能なことは、別の人によって実現可能です」)こそ、そうして生み出された「神話」の白眉なのだ。
世界最高のヴェルヌ研究者であるドイツ人の著者によって書かれた本書は、日本語で読める初めてのヴェルヌ伝であり、徹底した実証研究の成果であると同時に、ほとんど知られていない初期の習作(生前には未刊行であり、近年になって活字化されたものが多い)を含め、ヴェルヌの膨大な作品群を虚心に読み返し、地道に「神話」を再検討していく。その過程でわれわれの前に現われてくるのは、十九世紀フランスの典型的なブルジョワであり、したがって、遠くから眺めている分にはいいが、でなければあまり関わりたくないタイプの御仁である。しかし、この男の「限界」が露呈すればするほど、それと裏腹の、それがなければありえなかった「可能性」が作品に結実していることが明らかになってくる──そして、生前から強化されていた「イメージ」に当人が苦しめられていた事実も。伝記的な章とテマティックな章の交錯が浮き彫りにする人間ヴェルヌに対する同情を最大限に喚起しつつ、最終的にすべてが作品に還流する、優れた評伝ならではの運動を、一人でも多くのヴェルヌ・ファンに体験していただきたいと心より願っている。(石橋正孝)