新刊紹介 単著 『シャルル・クロ 詩人にして科学者 詩・蓄音機・色彩写真』

福田裕大(著)
『シャルル・クロ 詩人にして科学者 詩・蓄音機・色彩写真』
水声社、2014年3月

「エディソンの陰に隠れた蓄音機の父」或いは「ブルトンによって再発見されたシュルレアリスムの先駆」──今日、シャルル・クロ(1842-1888)という人物の纏っている最大公約数的なイメージといえば、およそこのようなものであろう。本書は、メディア史或いは文学研究において、それなりの頻度で言及はされながらも常に周縁的な存在として扱われてきたこの特異な人物をめぐる、本邦初のモノグラフである。

「詩人にして科学者」という副題が示す通り、著者が「クロについての総合的な研究」(本書26頁)を通じてここに描き出そうとしているのは、奇妙な二重性を生きたこの人物の全体像だ。その二重化された──或いは引き裂かれた──像の曖昧な輪郭を可能なかぎり鮮明化すべく著者が焦点を合わせるのは、クロがその人生の時間と情熱とを傾けた三つの対象、すなわち「詩」「蓄音機」「色彩写真」である。これら一見連関を見いだすことの困難な対象に関する資料の丹念な読解を通じて、著者は、クロにまつわる既存のイメージを一つまた一つと覆してゆく。

一章の「色彩写真」から二章「蓄音機」を経て三章「詩」へと読み進めるうちに見えてくるのは、これら三つの対象が、クロにあっては或る必然のもとに結び合わされていたのだということ、そして「詩人にして科学者」という二重性にまつわる奇妙さとは、今日の視点から遡行的に把握された限りにおいての錯視に過ぎない、という点である。ではその奇妙ならざる必然とは一体何であったのか。時にジョナサン・スターンやジョナサン・クレーリーの研究に目配りしながら著者が浮かび上がらせるのは、文学と科学とを通底する19世紀西欧の知的動向と、クロの仕事との同時代性である。恐らくは意図せぬままにクロが纏うこととなった──あるいは纏いそこねた?──19世紀西欧的知の体現者としての姿は、最終章「科学と文学の交わるところ」で詳述されるクロの知覚論構想の検討において、さらに鮮明な姿を結ぶこととなろう。

留保を重ね、安易な断言を斥けつつ進められる論述は学術的な良心に溢れたもの。と同時にその文章は一貫して流麗な文体をもって綴られ、読み物としても一級の面白さを湛えている。メディア史や文学研究のみならず、より広く19世紀の思想史、或いは観念史に関心を持つ読者にこそ手に取られるべき一冊。(福田貴成)

福田裕大(著)『シャルル・クロ 詩人にして科学者 詩・蓄音機・色彩写真』