新刊紹介 | 単著 | 『模索する美学 アヴァンギャルド社会思想史』 |
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塚原史(著)
『模索する美学 アヴァンギャルド社会思想史』
論創社、2014年6月
「アヴァンギャルド研究三部作」の第三巻である本書では、20世紀前衛芸術運動の具体的な展開を扱った『反逆する美学』(2008年)と『切断する美学』(2013年)とは異なり、その運動の背景となった社会思想の考察がおこなわれている。ベンヤミンや今村仁司、ボードリヤールを軸としながら、広義での「アヴァンギャルド」的なものの再検討が試みられているのである。本書で光があてられるのは、必ずしも前衛芸術運動に直接的な影響を与えた思想ばかりではない。それゆえ本書の試みは、現代思想に認められる「アヴァンギャルド」的なものの広がりを浮き彫りにしていると言えるだろう。それは、おおまかに言えば「新しさとは何か?」という問いに宛てられた思索の、蜘蛛の巣のようなつながりである。
フランスや日本、ときには両者の交流のなかで紡がれた思索をもとに本書が編み出すのは、とりわけ「新しさ」と死の親密な関係であるように思われる。日常や習慣の破壊者である限りにおいて死の共犯者であるモード(流行)は、つぎつぎと新しいものに姿を変えることで新しかったものの死を上演する。そのような死を表象するものとして本書で取りあげられるのは、レオパルディの「対話」とベンヤミンによるその引用にはじまり、ファッションモデルの無機的なからだ、笑わない顔、シャネルの言葉(「モードは自殺すれすれの何かだ」)、あるいは消費社会における一時的なニューモデルなどであるが──ミステリー小説のように提示されるベンヤミンの自殺(とコジェーヴがそれに関与した可能性)、「アヴァンギャルド」的な思想の中心に置かれる今村仁司とボードリヤールへの追悼、ひいては「反時代的企画」という「アヴァンギャルド研究三部作」にたいする筆者自身の控えめなコメントまでもが、「新しさ」に憑き纏う死へ向けられたまなざしの一部を成しているかのようである。
また本書では、思想家たちとともに活動を続けた筆者にしか描写することのできない、かれらのなまの姿やエピソードが惜しみなく紹介されている。そうであるからこそ本書は、捉えがたい「新しさ」の「模索」が見せる微細な関連や揺らぎをも活き活きと伝えてくれるのである。(井岡詩子)