PRE・face

かろうじて夏の夜の幻想
千葉 文夫

この7月初めに早稲田で学会が開催されることになったことに絡んで短文を書くことになりました。少しばかり舞台裏もふくめたお話です。

早稲田が会場となるのは、7月最初の土曜日、大隈講堂時計台に向き合う建物の一角で「文学と表象のクリティカル・ポイント」と題するシンポジウム、それに続いて「真夏の夜の夢」と題するパフォーマンスの会が催されます。ここからは、かなり手前味噌の話になるかもしれませんが、この企画そのものは早稲田の同僚である芳川さんの自由な発想による部分が大きく、すべてが順調というわけではないにしても、最初浮かんだアイデアをスラスラと彼がまとめてゆくのを、ぼく自身は脇からただ眺めているにひとしいようなものでしたが、シンポジウムとパフォーマンスの双方でいろいろと花のある雰囲気になりそうだと感じています。具体的な中身については芳川さんの詳しいレポートがあるはずでが、シンポジウムにパネリストに参加する顔ぶれが古井由吉、堀江敏幸、東浩紀などの諸氏だというのは、すでにわれわれをワクワク、ドキドキさせますし、司会役をつとめる芳川さんとパネリストの一人のあいだにかつて交わされた激しい論争を記憶しているぼくのような人間には、さらにハラハラという雰囲気も加わります。どう間違っても、居眠りなどしようのない、スリリングな午後になりそうです。そのうえというべきなのか、あるいは場合によってはこちらのほうがメインというべきなのか、パフォーマンスのほうも芥川賞受賞をきっかけにみごとに上昇気流にのった川上未映子さんという大輪の花を迎えて、ライブ演奏の夕べが用意されているという贅沢さ、それもタイトルからして、シェイクスピアの世界と同じく、不思議なことが起こりそうです。表象文化論学会の会員のみなさんが、会員であることの特権と幸せを噛みしめるよい機会になればと願っています。

という具合に完璧なまでに手前味噌の話になってしまいました。思い起こせば昨年の七月初め、なんとなくどんよりとした空の下、東大駒場キャンパスで開催された表象文化論学会に顔を出したのが運のつきということであったのかもしれません。「ポストヒューマン」と題されたシンポジウムの多彩なパネリストを中心とするあざやかな進行振りを遠くから眺めながら、これはもっと勉強しなければ到底ついてゆけないな、とこの日の天気と同じくどんよりした気分にひたりこむ自分でしたが、この日の記憶としては、休憩時間に、松浦寿輝さんと田中純さんが芳川さんとぼくの二人を表象文化論研究室にたくみに誘い込み、もの穏やかな紳士的な対応をいささかも崩すことなく、「ぜひ早稲田を会場としてと何か企画を」とささやきかけてきたあの瞬間が忘れられません。お二人は悠々と迫らぬという風情でありながら、その言葉は、もはや退路はないのだとわれわれに宣告しているようにも思われました。

おりしも早稲田では2007年4月から文化構想学部という新学部がスタートしたところで、古典的な文学部との差異化をはかりつつ新たな人文科学の研究教育のための場ができたところで、教員にとっても新たな環境変化の実感が強まっていたところでした。われわれとしては、このとき新学部がスタートしたばかりでまだ新入生しかいない、手伝いを頼めるような大学院生もおらず、いまだ機は熟していないというような話をして何とか時間を稼ごうと図った記憶はありますが、それでも何かやってみようという気にもなったのは、こちらがオッチョコチョイだということも手伝ったにせよ、これまでとは違った流れのなかに入ってみなければという冒険心があったということなのでしょう。

先日手元に届いた表象文化論学会の選挙用の名簿をぼんやりと眺めながら、一枚の用紙をひろげるとみごとに視野におさまる会員名のパノラマのありようが絶妙に思われ始めました。ちょうど古代の恐竜がそうであったように、学会もまた、体が大きくなればなるほど、環境変化の荒波に耐えることができずに滅びてゆく運命を免れえないということがあるのかもしれません。といっても、もちろん長生きだけを願うということではなく、会員であることの特権と幸せを噛みしめることのできるような学会の最適のサイズは果たしてどのくらいの規模なのかという問題が選挙用の名簿の用紙をひろげた自分の頭をふとかすめていったということです。

2008年6月
千葉 文夫(早稲田大学)