新刊紹介

亀山 郁夫ほか
『ロシア 闇と魂の国家』
文春新書、2008年04月

この本は、ロシア文学およびソヴィエトの文化研究者の亀山郁夫と、大学でキリスト教神学を専攻しその後在モスクワ日本大使館に勤務することとなった外務事務官、佐藤優の対談集である。大統領選挙や天然資源といった政治、経済的な観点からしばしば注目されるロシアだが、政治にも芸術にも造詣の深いこの二人は、神学、宗教哲学、文学などを含めた広汎な文化的コンテクストからロシアという国家をとらえようとしている。

ロシアを理解する鍵として二人が思い描くのは、ドストエフスキー、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』で描き出された「大審問官」である。「大審問官」とは主人公のひとりイワンが弟のアリョーシャに語ってきかせる劇中劇である。キリスト教の異端派を次々に厳罰に処す大審問官の前にキリストとおぼしき人物が現われ、その彼に向かって大審問官は、自由と引き換えにパンを与えてやれば大衆は幸福であるという理屈を述べたてる。二人は、このエピソードから西欧のメンタリティを規定している宗教的な観念をいくつも引き出して見せ、また大審問官にスターリンをはじめとする政治家たちを重ね合わせて、権力と支配のあり方を考察する。一人の作家、一つの作品におけるイメージから出発してロシア文化の本質にアプローチしようとする姿勢は実り多い大胆な飛躍である。

両者は西ヨーロッパ文化とロシア文化の共通性を綿密に比較検討しても、それでもなお「ロシア的なるもの」が残るのではないかと考える。しかしむしろ、詩人のチュッチェフから現代まで受け継がれている、ロシアは特異な国であるというナルシスティックな(あるいはコンプレックスに満ちた)認識こそを、われわれは相対的な視点から批判的に眺め、その歴史的な成立過程を検証する必要があるのではないだろうか。(河村彩)