トピックス 2

ジャン=ピエール・デュピュイの思想圏 カタストロフ、科学技術、エコノミー
2014年12月13日 慶應義塾大学

司会:高桑和巳(慶應義塾大学)
発表者:渡名喜庸哲(慶應義塾大学)、中村大介(豊橋技術科学大学)、森元庸介(東京外国語大学)
コメンテータ:西谷修(立教大学)

哲学者ジャン=ピエール・デュピュイの仕事をできるだけ多面的に捉えようという主旨のもとで開催されたシンポジウムだが、結果として焦点化されたのは、やはりデュピュイ近年の主要な思想モティーフである破局の問題であった。

会は、実質的なオーガナイザー渡名喜庸哲氏が、デュピュイの破局論を詳細にたどることから始まった。具体的な事例をさまざまに織り交ぜつつ、とりわけ独特の時間論(歴史の時間に対置される投企の時間)、また可能性と蓋然性の区別などに注目しながら、フランスを中心とする破局論の展開、ヨナス、アンダースらとの関係を視野に収め、いわゆるリスク論との対比をつうじてデュピュイの近年のプロブレマティークを浮き彫りにした発表は、全体の基調を定めるものとなった。つづく中村大介氏は、科学哲学を専門とする立場から、まず、デュピュイがシステム論の知見を咀嚼しながら、伝統的な時間理解へのチャレンジとして「未来を不動点とみなす」立場を詳細に説き明かした。後半では、やはりシステム論との関係を念頭に、破局の回避のために必要な「外部観察者」の視点を持ちうるのは誰なのかという問いを立て、ジラール、イリッチを経由しながら、非専門家――パスカルを踏まえたデュピュイ自身の表現によるならば「事情に疎い者」――の重要性、そして、それが誰でもありうることの意義を、悲観に彩られた破局論の示す大きな希望として位置づけた。最後に、森元は、破局論の背面としての救済の主題を導きの糸として発表をおこなった。誰を救うべきかという(破局を前にして避けがたく突きつけられる)問いを、何人を救うべきかという定量的な問いへと還元しつつある現在の思潮――経済的合理性の支配――にデュピュイが申し立てる異議を概観し、救済について事前のカテゴリー化などありえないとするそのラディカルな立場をイリッチへの参照とともに確認した。中村氏の発表と期せずして軌を一にしたことになる。

また、コメンテータである西谷修氏は、宗教論とシステム論にまたがるデュピュイの仕事の独自性を改めて指摘し、その思想が、ついに有限の未来を視野に収めるほかなくなった〈人間〉の現状に対応するものであることの意義を強調した。

会場からは、とりわけデュピュイの批判するリスク論との関係を念頭に、では今後の指針をどう定めるべきなのかという観点からの問いが鋭く発された。デュピュイ自身、「破局論は行動プログラムではない」ことを繰り返しことわっているのだが、そのことの意味を含め、十分には応答できなかったと登壇者の一員として率直に省みている。課せられた宿題は重く大きいが、せめてもの試みとして、内容にもとづいた論集をできるだけ早期に刊行する予定である。(森元庸介)