小特集 座談会 「アートと思想と批評をめぐる出版の可能性」

座談会「アートと思想と批評をめぐる出版の可能性」木村元×小林えみ×櫻井拓|聞き手:柿並良佑、江口正登、池野絢子

読者を広げていくということ

── 先ほどから少しずつ触れられてきた論点ですが、本の様々なあり方があるなかで、櫻井さんが直販を重視されていたり、アルテスさんではイベントも重視されたりしていますね。

木村:「編集者はアーティストであっていいのか」という危惧も持ちつつ、でもやっぱり前面に出て行かなきゃいけない面もあります。大手の出版社だったら、そこまで編集者が前に出てイベントをやったりというようなことはしないと思うんですけれども、それはもう時流に乗ってやるしかない、と。FacebookTwitterも複数のアカウントを持ち、会社のサイトとは別に雑誌の公式サイトも立ち上げ、本が出れば著者のトークショーをやる──多くのチャンネルを通じて、アルテスという存在を打ち出しています。アルテスはイベントをたくさんやる会社なんだというイメージを打ち出して、同業他社と差別化していく必要性は感じています。

── アルテスさんのサイトを拝見したんですけれども、無料で読めるコラム、例えば有名なチェリストであり指揮者である鈴木秀美さんの良質なエッセイが読めるという方向にも拡張されています。『アルテス』があってイベントがあって、さらにそういうウェブの無料コラムがあるという、いろんな拡張のされ方をしてらっしゃいますね。

木村:『アルテス』の公式サイトのWEBオリジナル・コンテンツのことですね。マンスリーの電子版の連載も同じなんですが、もともとは最終的に本にすることを目的に原稿を書いていただいています。それを利用して読者に集まってもらいたいという思い、ひとつの「場」を作りたいという思いの表れでもあります。

── 小林さんもイベントを行っていらっしゃいます。これからもご企画されると思いますが、本の「公共との共存」をすごく強調していらっしゃる一方で、同時に一般読者に購買をすすめるべく『ニュクス』や『労働と思想』などの積極的なプロモーションをされています。

市野川容孝・渋谷望(編著)『労働と思想』堀之内出版、2015年1月、本体3,500円

市野川容孝・渋谷望(編著)
『労働と思想』
堀之内出版、2015年1月、本体3,500円

小林:知っている人たちだけに届けるだけであれば、もう少し楽に、見込部数だけ淡々と本をだすだけでもいいのかもしれません。そこから先の、まだ今いない読者に届けたいというのがあって、たぶんその気持ちは3人が共通しているところかなと思いますし、文化や公共の未来を考えることも大事ですが、まず今の現実としてはわれわれは本を売って最低限ゴハン食べられるくらい稼がないと死んじゃうので。(笑)

── ところで、この座談会は表象文化論学会の広報誌『REPRE』の企画ですが、同学会は学会誌『表象』を書籍として刊行している学会でもあります。編集者としての立場から何かコメントをいただけますか。

櫻井:『表象』ですごくいいなと思うのは、一つは翻訳の掲載です。論文単位で、日本語に翻訳されるべき基本文献を選出して訳出し、掲載されていますよね。国際的には重要な議論でも、日本では日本語になってはじめて議論が社会的に共有されるという側面があると思うので、とても意義あるお仕事だと思っています。たとえば『表象』の05号では、クレア・ビショップ「敵対と関係性の美学」、ボリス・グロイス「生政治〔バイオポリティクス〕時代の芸術──芸術作品〔アートワーク〕からアート・ドキュメンテーションへ」、ハル・フォスター「民族誌家〔エスノグラファー〕としてのアーティスト」といった、現代の美学・芸術論において重要な文章の翻訳が掲載されています。このようなお仕事は率直に素晴らしいと思いますし、知的な資本を共有できる学会という組織にしかできないことだと思います。

── 翻訳については、なかなか売れないので出せないという話も耳にします。同時に研究者の側でも、翻訳は直接的には業績にならないからみんなやりたがらない、結局善意のある人がやるという風潮があり、ある種挟み撃ちのような状況があるようにも思います。

木村:翻訳書は、逆に言えば売れる数が読みやすいとも言えるんですよね。海外で定評のあるものならば、まあ日本でもこれぐらいは売れるだろうと予測できる。日本ですごくオリジナリティのあるものを出すよりは、堅く売れることが予測できるのですが、やはりわれわれのような小出版社にとっては「アドバンス」の支払いがきついです。初版のロイヤルティをアドバンスとして、原出版社に対して契約時に支払わなければいけない。そして、通常は24カ月という出版期限が定められます。期限内に出さなければならないというプレッシャーもありますが、やはり出すまで資金が回収できないということは、小さい出版社にとっては非常に辛いことなので、いつまでに出せるということがある程度はっきりしていて、絶対にこれは売れる、あるいは少なくともペイするということが分かっているようなものじゃないと、なかなか手を出しづらいというのは、現実問題としてはありますね。

櫻井:構造的な問題としては、翻訳は研究者にとってアカデミズムにおける直接的な業績になりにくいし、そのうえ専門的な文献の翻訳出版は、翻訳者にとっても出版社にとっても金銭的に割に合わないという現状がありますよね。その構造的な問題を、個別の努力や善意だけで解決するのは難しいと思います。しかしシビアな構造を前提にしたうえでも、論文単位での翻訳のように、部分的な組織力や人的・知的資本の集中によって達成できることがある。「構造がこうだから無理だ」というのはいささかナイーヴです。その意味では「小さな」実践がもっと為されるといいと思いますし、もちろん翻訳出版にかぎらず、小林さんが先程おっしゃった公的な買い上げ制度のようなものも含めて、学会(学界)と民間が協働し、公共的な出版の可能性を探れたらいいなと思います。
さらにこれから先、人文科学やアートの分野においても、研究者が英語などの外国語で論文を書いたり、あるいは日本語の評論を外国語に翻訳して国際的に発信したりすることの重要性がますます高まると思います。日本国内で発行される美術展のカタログも、最近日英バイリンガル化している傾向があります。それについては、「バイリンガル化していていいよね」という意見を聞くと同時に、「バイリンガル化しているけど、実際に読んでみると英語がひどいよね」という意見を耳にします。
たしかに現状の日本における美術などの分野の英訳の出版物は、翻訳や組版など、さまざまなレベルで十分な質を確保しているとは言えないと思います。単純に誤訳していたり、背景的知識が欠けているためにミスリーディングな訳になっていたり、約物の使い方や字下げが欧文組版のルールからするとおかしかったりなどと、さまざまな問題があります。あるいは翻訳とは別に英文校正という意味では、美術史家の林道郎さんが指摘されているような、「コピー・エディティング(Copy Editing)」という職能の意義と必要性が日本であまり認識されていないという問題もあります(「コピー・エディティング」は、欧米に存在する英文校正の一種で、文章がネイティヴに近い英語で書かれていて、正確さや読みやすさの点で内容に集中して読むことを妨げないかをチェックする校正のことです)。それらに意識が行き届いた仕事ができるエディターやデザイナー、あるいは英文出版のプロフェッショナルをどう確保、育成していくかという問題があると思います。
また和文英訳にしても英文和訳にしても、専門分野の翻訳ができる翻訳者について、広く情報を共有していくことも必要かもしれません。人材ネットワーク的なものが整備される必要があるのかなと感じています。

── 誰々が何々の翻訳ができる、というような情報は、研究者間では暗黙に共有されていたりもするのですが、なかなかそれが明示的にならないという問題はあるのかもしれません。そうしたネットワークを明示的に整備していくというのは、編集者と研究者が協働しながら進めていくべきことなのかもしれませんね。
また、翻訳の話となると、普通はどうしても海外のものを日本語に訳すということが話題になります。研究の場合だと、日本からどう発信していくのかということは重要なので、研究者が自分で英語、フランス語、ドイツ語等にするということは当然考えます。しかし編集や本作りのときに、編集者、出版社の方々がどういうふうに海外発信をサポートしてくださるのか、形にしてくださるのかという話は全く新しい視点でした。これは今後の出版、編集、研究の話ですね。

馬定延(著)『日本メディアアート史』アルテスパブリッシング、2014年12月、本体2,800円

馬定延(著)
『日本メディアアート史』
アルテスパブリッシング、2014年12月、本体2,800円

木村:僕らにとっても課題だと思うんですよ。昨日もたまたま、最近出した『日本メディアアート史』という本の著者である馬定延(マ・ジョンヨン)さんという韓国人の研究者と、写真家で評論家の港千尋さんのトークショーを、先ほど話したようにB&Bでやっていたのですが、そこで港さんが、日本のメディアアート史が韓国人という外部の視点で書いたからこそできたんだけれども、ここで終わるんじゃなくて、やはり英語版が出て、世界に日本のメディアアート史が発信できるようになって初めて、この本は完成するんだというようなことをおっしゃっていました。われわれが直接英語版を出しても国際的な流通をどうするのかなどの問題があって、あまり意味がないことだと思うので、エージェントを通じて売り込んでいくということになるわけですけど、今まであんまりそういう売り込みってやってこなかったんですよね。
最近韓国から、5件ぐらい連続して、うちの本の韓国語版を出したいという話があって、契約がまとまりました。韓国の方々の翻訳への欲求はすごく強いということを感じまして、日本の出版社も、村上春樹だけじゃなくて、人文研究書をもっとどんどん海外に売り込んでいかなきゃいけないんじゃないかと思っています。

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