小特集 座談会 「アートと思想と批評をめぐる出版の可能性」

座談会「アートと思想と批評をめぐる出版の可能性」木村元×小林えみ×櫻井拓|聞き手:柿並良佑、江口正登、池野絢子

出版の収益モデルと流通について

── 共通の話題としてコストを省けるのでは、という点に触れていただきました。出版産業について必ずしも読者が詳しいわけではないと思いますので、少し具体的に、前提として現状のコスト面、商業出版、出版事業のモデルについてお伺いしつつ、特に皆さんの小規模出版ということとの関わりの中でどのような問題があるか、お話しいただけますか。

小林:出版は、時代や国によって多様な収益モデルは存在しますが、まず現在、日本を含む概ね全世界の標準的な収益モデルは、本が欲しい人にそれぞれ本を購入してもらい、それを収入源とする収益モデルです。
それ以外の収益モデルとしては、雑誌の広告収入や出版助成金や買上げ、ノルウェーなどの大規模な買上げ制度で対象書籍が全国の公共図書館や学校図書館を中心に配布される、といったものなどがあります。
本の販売について話を戻すと、日本の一般的な出版社の収入は、1冊あたりの値段×部数×年間発行点数です。その収入で社員を養って、会社を維持して、次の本の原価を捻出する。売上の内訳は、原価が約3割、著者の印税が1割、書店と取次で3、4割で、残りの2、3割が出版社の利益です。定価が仮に1,000円で、出版社の収入が3割だとすると1冊あたり300円、1万部売れれば300万円。この300万で人件費、事務所費、税金、その他経費をまかなう。実際は原価・売上・経費にしてももう少し複雑な計算や内訳はありますし、個別の違いはありますが、ざっくり言うと、我々はそういったビジネスモデルで本という商品を売る事業者です。
この座談会に関係する人文関連の専門書ということで限定して言えば、発行部数は年々減少しています。正確なデータではなく見聞・体感の数字ですが、30年ほど前は平均初版発行部数は5,000部くらいだったと聞いていますが、今は平均1,000〜2,000部くらい。重版して、最終的に同じような部数になっているものもあると思いますが、初版を抑えるということは、企画の段階で売れ行きを低く見ている、ということです。3,000円の本が5,000部であれば売上1,500万円、利益が3割で450万円。2,000部では売上600万円、利益が3割で180万円。この数字では少なくとも年間に1冊では一人出版だとしても人件費にもならない。そこで単価を上げるか、部数を伸ばすか、点数を増やすかを書籍の内容やそれぞれの事業方針に応じて発行することになります。なお、おおよその話をさせて頂いたので、会社や方針によって先述の数字や方法は異なります。

櫻井:約3割しか入ってこないというのは、部数が減少傾向にある現状では、やはり非常に厳しいですよね。「商品」としては単価を上げるのは読者の納得を得がたい場合もありますし、出版点数を増やすのには物理的な限界もあります(1冊の本にかけられる労力が変われば、さまざまな形で本の質にも影響します)。そこで単価や部数や点数以外に版元の立場でどこを変えるかというと、一つは直販を増やすという「改善策」があります(それが流通も含めた出版界の状況の根本的な改善策だとは必ずしも思えませんが)。取次や書店を通さず、版元が直接読者に売る割合を増やす。そうすれば流通マージンをカットできるので、版元の取り分が増えると。
自分の直販的な活動ということで言えば、2014年は、毎年青山で行なわれている「THE TOKYO ART BOOK FAIR」というアートブックのフェアに出展しました。これは海外のパブリッシャーも参加する、ビジュアルブックや写真集がメインのフェアですが、ゴリゴリの理論書が売られていたりもしました。フェアは、マスではなく顔の見える個別の読者に本の説明をすることができるのと、普段の読者以外のお客さんがブースに来てくれるのがいいなと思いました。2014年の年末には、友人を介してベルリンの「FRIENDS WITH BOOKS」というアートブックフェアに『ART CRITIQUE』を出してもらったりもしました。ビジュアルブックやバイリンガル化された本などについては、これらのフェアなどを通じて、言語圏の垣根を飛び越えて国際的に流通し、デザインや造本を互いにリスペクトし合うような文化があります。展覧会もイベントもブックフェアも、版元の収益改善策として以上に、読者に本の魅力を伝え、現在の読者だけではなく、その分野に今後興味を持ってくれるかもしれない未来の読者をつかんでいく方法として、重要なことだと考えています。
教養の崩壊が言われることももはや恒常化していますが、「アートと思想と批評」が取り上げるべき対象は、歴史を越えて読める/見られる/聴ける対象であるべきだという点で、以前と少しも変わらないと僕は思っています。しかし現在はそれを「教養」や「伝統」という形で共有する「場」が失われているために、コンテンツの魅力や価値を新しい読者にゼロから説明することが要請されているのではないでしょうか。

── 通常はいろいろな段階を経て僕らのところに届いているので、作り手の顔は全く見えないわけですが、そういった直販ができるというのは小規模出版のメリットと捉えていますか。

櫻井:必ずしも小規模出版のメリットには限らないかもしれません。しかし先程の印刷の話ではありませんが、近年の日本で成立していた大規模なエンターテイメント産業としての出版産業のほうが、超長期の歴史の中で見れば特殊だと言えなくもない。その意味ではある種のFace to Face性は、小規模出版が生き残りのために重視すべきものの一つとして、あり得るかなと思います。

木村:僕は、人文書はもっと価格が高くてもいいのではないかと思うんです。人文研究書にはそれこそ数十年というオーダーでの研究蓄積が背景としてあるわけですから、単純に数字に出る原価で計れない価値がある。編集にかかる手間暇も半端なものではありません。また、あとで触れたいと思っていますが、僕は人文学研究書はある種アートのようなものだと思っていまして、独創的な研究者がアーティスト的な完成でとらえた「世界の見方」がひとつの作品として結実したのがその人の著書だとしたら、四六判・208頁の本であっても10,000円を超える値付けをしてもおかしくないのではないか、と思います。ただ、いっぽうでは、ベストセラーも少部数の専門書も同じ「本」という姿をしていて、多少の差はあれ同じような価格で売られているから、間違って買われていく可能性も生じ、そこから間違って研究者になるひとも出てくるかもしれない。ある意味、専門書は、一般市場のなかに「擬態」し「潜伏」しているのです。この点では、人文学研究書があまり高価格にならないほうがいいともいえます。

ミヒャエル・ハインリッヒ(著)明石英人他(訳) 『『資本論』の新しい読み方』 堀之内出版、2014年4月、本体2,000円

ミヒャエル・ハインリッヒ(著)
明石英人他(訳)
『『資本論』の新しい読み方』
堀之内出版、2014年4月、本体2,000円

小林:『『資本論』の新しい読み方』を本体価格2,000円で出したときに、版元仲間からは3,500円か4,000円でもよかったのではと言われました。学生さんに買ってもらいたかったので、原価をやりくりして2,000円にした。教科書採用がありましたが、それも年に100〜200部ですし、発行後の書評掲載もゼロだった。初版2,000部で重版まで何年かかるかな、と思っていたら、1年未満で重版できました。そんなに読者がいるとは、と驚いていたら、さらに「第一回日本翻訳大賞」の二次選考対象作品に残った。残った17作品で唯一の文学作品以外の書籍です。翻訳の意義や翻訳の質を読者・審査員の方に評価して頂いた。「たられば」はわかりませんが、価格的に一般市場のなかに、「擬態」したからこうして広がったのかもしれない。ただし人文書全体の発行部数減少の状況としては、高価格化の検討は常にせざるを得ないと思います。

── 学生の立場だと、学術書は高いなって思ってしまうんですけれど、そういう内訳を見ていくと、今の日本ではこういう金額にならざるを得ないのかもしれませんね。出版にかかるコストの問題という意味で、書籍流通の話をもう少し伺えればと思います。

小林:一般の方はご存じない部分だと思いますので、おおまかな説明させて頂きます。日本では、出版社が本をつくり、それを取次と呼ばれる流通業者を通して、日本全国の書店に本を預けます。
書籍が他の小売商品と異なる商売上の大きな2つの特徴は定価が一律であることと、基本的に返品が可能であるということです。また他業種と比べて品種(1タイトル1品種)が多く、メーカー(出版社)も多く、それらに付随する様々な煩雑な業務をまとめて担って、スムーズに読者に手に届ける役割を取次が担ってきており、一部例外を除いてほぼ全てといえるくらい、書籍の流通は取次を通していました。
どんな仕組みにもメリット・デメリットがありますが、取次制度も時代の変化に応じて見直されている中で、取次制度によらない書籍の流通ということも考えられてきています。櫻井さんが着目されている読者へ直接販売する直販、版元から直接書店へ卸すトランスビュー方式などです。堀之内出版は、そのトランスビューによる「トランスビュー取引代行」を利用しています。

木村:ひとつ補足しますと、旧来の出版社にとっては、取次というのはひとつの金融システムとして機能しているところがある。われわれのような新興出版社が取次と新規に契約した場合、納品から支払いまでの期間、つまり「支払いサイト」が下手すると8カ月くらいになってしまうのですが、老舗の出版社の場合は、新刊を出せば、たとえばその翌月には5割ぐらいお金が入ってくる。売れても売れなくても自動的にお金が入るわけです。もちろん、売れなければ2カ月、3カ月後にはまとめて返品されるけれども、その間に新刊を出せばまたお金が入るから、それで埋め合わせができる。そういう自転車操業的なことができるわけですよね。もう潰れていてもおかしくないような出版社も、この金融システムのおかげでずっと生き延びることができる。これが、取次システムこそが出版界を覆う構造的な病理の根源といわれる所以でもあります。
ここに登場したのが、トランスビューという出版社です。法蔵館という仏教系の出版社におられた中嶋廣さんという編集者と工藤秀之さんという営業担当者が2001年に立ち上げた会社です。
もちろん、ごく小規模の出版社で、取次などを通さず、顔見知りの書店などに直接卸すかたちでやっていた会社はそれまでもありましたし、ディスカヴァー・トゥエンティワンなど、もともと出版とはちょっと異なる業態の会社で、直取引を主体にして本を販売する会社はありましたが、工藤方式ともいわれるトランスビューの直取引のやり方は、とくに人文書の出版において、かなり革命的なものだったと思います。
この会社は2003年に哲学者の池田晶子さんの『14歳からの哲学』というベストセラーを出したのですが、全国の書店、1店1店との直取引をしながら、何十万部という規模のベストセラーを出したというのは、やはりそうとうにインパクトのある事件だった(出版業界紙『新文化』2015年4月9日号の1面に掲載された工藤氏のインタビューによると、現在の取引書店は約2,000店、『14歳からの哲学』の累計発行部数は40万部という)。工藤さんの方法論がたんにひとりの営業マンの天賦の才によるものというだけでなく、ひとつの普遍的なビジネスモデルとして有効であることは、僕らがアルテスを始める半年くらい前に三島邦弘さんが創業したミシマ社が、やはり直取引方式でベストセラーを連発したことで証明されたと思います。
じつは僕らも創業して、まず最初に工藤さんのところに相談に行ったんです。「あなたたちの本は専門性が高いから、直でやったほうがいいよ」とすごく背中を押されたんですけれども、けっきょく僕らはそのやり方をとらなかった。僕も鈴木も編集者でしたから、工藤さんに代わる人がいないという現実があって、やっぱり営業専従の人がいないと、この方式でやっていくのは無理なんじゃないかと思ったんですよね。今考えたら、無理してもやってたほうがよかったかもしれないけど。
アルテスの場合、音楽業界の特殊事情といってもいいかもしれないんですけれども、音楽関係の問屋さんがあるんですね。業界では楽器卸と呼んでいるんですが、全国の楽器店に楽器やら音楽関係の本や楽譜などを卸す問屋さんがあるんです。そういう卸業者は、トーハン・日販と少し違って、支払サイトも短いし、やみくもなパターン配本もしないから返品率も抑えられる。音楽之友社時代の縁もあって、そうした楽器卸の主要な3社にお世話になることにしました。うちは今でもトーハン・日販の口座を持っていないんですけれども、このうちの1社から卸してもらっていますし、Amazonにもまた別の1社から卸しています。櫻井さんがおっしゃった直の良さは重々感じつつも、われわれ独自の方式を取っているという状況です。

櫻井:昨今の人文書や芸術書の流通において、もう一つ重要な存在として、取次のツバメ出版流通さんが挙げられると思います。BLUE ARTは、先程お話ししたフェアやオンラインストアなどの直販以外の、流通の大部分をツバメ出版流通さんにお願いしています。
ツバメ出版流通の代表の川人寧幸さんは、元々は人文書の取次として定評のあった鈴木書店にいらっしゃった。鈴木書店が2001年に倒産し、その後2003年に元鈴木書店の従業員達でJRC(人文・社会科学書流通センター)という取次を創った。そこで働かれた後、川人さんは2012年に独立し、ツバメ出版流通さんを創られた。
ツバメ出版流通さんは、アートや批評も含めた、広い意味での人文書の取次です。従来、この分野の小規模な、あるいは新規参入した出版社=出版者は、売上や刊行点数などの理由で大手取次とは取引がしにくく(取引できたとしても掛け率などが不利な条件になる)、そのことによって本を全国のさまざまな書店で販売することができなかった。そこにツバメさんが風穴を開けたわけです。小規模な出版社であっても、ツバメさんと取引をすることで、ツバメさんが直取引をしている書店はもちろん、ツバメさんを通して鍬谷(くわたに)書店、トーハン、日販、大阪屋といった他の取次を経由することで、非常に多くの書店への納品が可能になった(取次から取次へ品物を動かす、仲間取引と呼ばれる取引を利用します)。言ってしまえば、小規模な出版社が自分達の本を全国の書店でふつうに売ることができるようになったわけです。
ツバメさんの存在は、昨今の人文書の流通において、版元側にも書店側にも大きなインパクトを持っていると思います。版元側に、というのは今申し上げた通りですが、書店側に、というのは、書店はツバメさんを通じて、ツバメさんが取引をしている個性的な版元の魅力的なラインナップの本を揃えることができるからです。実際に、ツバメさんの取引先には、里山社millegraphなど、川人さんが選ばれた独特で魅力的な版元が多い。ツバメ出版流通さんは、小規模性を生かし、川人さんという個人の理念を基礎に据えて取次事業を行なっています。言わば版元と書店を媒介する新しいあり方を発明した存在だと言えると思います。

小林:そうした中間の状況が変化する一方で、販売の現場である書店数は年々減少しています。ウェブ書店での売上が上がっている、自宅に届けば便利、という市場や利便性の問題だけではなく、あとでお話させていただく公共、文化・教育という観点からも街に書店があることが重要であると、私は考えています。それでいうと、版元直販の話もひとつの手段ですが、全国の販売現場をその地域のエキスパートである書店員さんにまかせる、という意味では書店販売にはこだわりたい。
ただ、これは柿並さんとも雑談でお話させて頂いたことがあって、書店になるべく行きたいと思うけれど、研究者の方が、それぞれの専門領域で欲しいような書籍がすべて書店に並んでいるとは限らない。ついでに欲しい一般書も含め、資料収集などのついでにウェブ書店でまとめて購入されることが多い。
ただ、そうすると街の書店では益々そうした人文書・専門書が売れないとされ置かれなくなり、大衆的なマス向けの本が多く並び、ますます一般の方が人文書を知る機会が減る。研究者の方個人の行動を非難したいわけではなく、それが不可避的な実状ということです。そのうえでどうしていくか。フランスのいわゆる反Amazon法も手段のひとつではあると思いますが、それで解決するとか、何かひとつの正解があるとは思っていません。
商品であることを前提に流通しているものが、同時に文化や教育を担っているという複雑な性格・状況を踏まえて、生産者・流通業者・小売店・消費者、すべてのステイクホルダーと「これからの書籍の販売と購入」について、一緒に考えていきたいと思っています。

── 出版の収益モデルということから、特にその流通構造について詳しくお話いただきました。従来的な取次制度の問題点から、そのオルタナティヴとしての直販やトランスビュー方式、あるいは取次を通すにしても、アルテスさんのように音楽書の場合にはまた特有の事情があること、人文書に関してもツバメ出版流通さんの登場によって近年状況が変わってきていること、またウェブ書店の台頭と実書店の逼迫という、流通における他方の極である書店の問題まで広く論じていただき、書籍流通の現状の多面性が浮かび上がってきたように思います。

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