小特集 各国の出版事情 ドイツ

ドイツでの人文学と出版をめぐって──電子書籍とアーカイブの現在
白井史人

録音技術、映画、タイプライターなどの19世紀の技術革新や、近年のデジタル技術の進展とパソコン、インターネットのグローバルな普及は、印刷された書籍が構築する言説空間を変える──こうした見方は、フリードリヒ・キットラー、ノルベルト・ボルツらドイツ語圏のメディア論者に共通する認識であろう。筆者は、2010年秋以降、断続的にベルリンに滞在し、こうした状況に巻き込まれながら音楽学の分野を中心に研究を進めてきた。その中で、おのずと触れる機会があった人文学と出版に関するトピックを紹介し、「グーテンベルク銀河系の終焉」 ※1を巡るジレンマや問題意識を共有することを目指す。

1. 電子書籍をめぐる議論──ライプツィヒ書籍見本市より

まずは、毎年3月に開催される「ライプツィヒ書籍見本市(Leipziger Buchmesse)」の2015年のトピックを拾ってみたい。旧東独のライプツィヒは、東西統一とユーロ導入を経て近年の再開発が著しく、歴史的にもヨーロッパの出版文化において重要な役割を果たしてきた。「書籍見本市」はドイツ最大規模とされる書籍フェスティバルで、出版社、書店、作家、愛好家、観光客などの様々な層をターゲットに、書籍販売やイベントが行われる ※2。筆者は直接訪れることは出来なかったが、開会のあいさつでは、「報道の自由」の重要性が改めて強調されたようだ。「デマ報道Lügenpresse」、という反イスラム・反移民を訴える過激派組織「ペギーダPEGIDA」が唱えた語が、2014年の「ネガティブな流行語」となったことを踏まえたものである。また今年度の重点テーマはイスラエルと西ドイツとの国交樹立50周年であり、イスラエルから多くの作家が招待された。

政治・社会情勢と並んで注目を集めたのが、電子書籍をめぐる問題である。特色ある出版社の動きとして、例えば「ライブ文学」という語を掲げ、音声・映像などのメディアと書籍を組み合わせた出版を積極的に進めるVoland & Quist(2004〜)や、ベルリンを拠点にウェブ出版を行うMikrotext(2013〜)などが見本市広報誌『本との生活: ライプツィヒ見本市誌Bücherleben: Magazin der Leipziger Buchmesse.』で紹介された ※3

Mikrotextは、「電子書籍を印刷書籍のコピーとは考えない」とし、ドイツ最初の電子書籍見本市を標榜する「電子書籍フェアElectric Book Fair」にも参加している。そのホームページをのぞいてみよう。シリア在住の作家のフェイスブックへの投稿をまとめたAboud Saeedの『フェイスブック上の最も賢い男:シリアからの更新』(2013) ※4や、映画監督のアレクサンダー・クルーゲの『オアシスにふさわしく:デジタル世代へのエッセー』 ※5などが約2〜10ユーロで出版されている。

試みにクルーゲの本をダウンロードしてみると、インターネットやSNSなどで生じる言論空間の公共性が論じられている。クルーゲは、インターネット上で発された様々な「コメント」が、書かれたメッセージ内容と独立したある種の「表現性」 ※6──特に、攻撃性などのネガティブな──を帯びてしまうことに警鐘を鳴らす一方で、ネット上の著作権などには寛容な姿勢を見せる。そして、ある小さな「オアシス」のような空間をインターネット上に打ち立て、出版社、ギャラリー、ホームページなどを作成することに発展の芽を見出している。またSaeedの著作は、彼のフェイスブックへの投稿を電子書籍化したものである。内戦が続くシリアの政治的状況を正面から論じるのではなく、投稿としての形式を残し、シリアの内部での生活を内側から皮肉に満ちた軽やかな文体でつづっている。

ただし、書籍出版・流通の電子化を巡る議論では、その可能性のみならず、市場の拡大やグローバル化に伴う危険性に警鐘が鳴らされている。その象徴的な動きは、アマゾンなどの大企業による流通の管理統制の批判である。オーストリアの作家、エルフリーデ・イェリネクは、自らのホームページで小説、戯曲、エッセーなどの近年の文章を積極的に公開する一方で、2014年のアマゾンへの批判声明に署名し、900人を超す作家の一人としておすすめ機能の操作や作家への圧力を非難している ※7。電子書籍は、そのグローバルな流通・管理の可能性/危険性を孕むものとして、製作・出版・流通の側面から議論されていることが分かる。

2. 文献学の岐路──『フリードリヒ・キットラー全集』と『ハンス・アイスラー全集』

人文学が対象とする「テクスト」をいかに編纂するか、という文献学的手法のアップデートも大きな課題となっている。

その問いを差し迫った形で付きつけたのは、2011年のフリードリヒ・キットラーの死だった。 ベルリン・フンボルト大での「電気Elektrizität」を題材とした講義を最後に、キットラーは世を去った。フィヒテ、ヘーゲル、ブレヒトらと同じ墓地に埋葬され【写真】、遺作となった『音楽と数学』を含む遺稿はマールバッハ・ドイツ文学資料館に移された。生前のキットラーは、フーコーらの言説分析が、アーカイブ化された文字テクストを主たる対象に限定していたことを批判してきた ※8。その彼自身が残した文字テクスト以外の資料は、どのようにアーカイブ化され、今後活用されていくのか。

ベルリン・ドロテーンシュタット墓地のキットラー埋葬区画。墓石は2013年11月の時点では未完成だった。(筆者撮影)

ベルリン・ドロテーンシュタット墓地のキットラー埋葬区画。墓石は2013年11月の時点では未完成だった。(筆者撮影)

これまでもキットラーの書籍を出版してきたヴィルヘルム・フィンク社は、『フリードリヒ・キットラー全集』の出版を予告している。なかでも興味を引くのは、「ハードウェアとソフトウェア」と題された部門だ。当社ホームページによれば、キットラーのパソコンに保存されていた視聴覚データや、配線図、ソースコードなどに関する記述を、読者それぞれがサーバーを通して閲覧し、操作・活用できるような全集のあり方を模索しているようだ ※9

楽譜校訂の現場でも、20世紀に活動した作曲家が対象となるにつれ、方法や発表媒体のアップデートが必須の課題となっている。20世紀に活躍した作曲家は多かれ少なかれラジオ、電話、映画、録音技術などの媒体と関わりがある。例えば、ハンス・アイスラーはトーキー映画の音楽を多数作曲している。ベルリン・芸術アカデミー資料館で編纂が進む彼の校訂版楽譜に映画の音楽をどのように組み込むかは、議論の的になっている ※10

映画の音楽は、作曲家が映像・音声の編集権限を持つ場合は極めて少ない。そのため、作曲家が書き付けた楽譜のみを編纂対象とする見解がある一方で、録音・編集を経たフィルムを作品の「完成稿」とする見方も強い。特に、視聴覚分析においては映画作品が分析されるべきテクストとなる。映画のための作曲における楽譜とフィルムの関係は、伝統的な西洋音楽における演奏会楽曲の楽譜と演奏・録音との関係とは異なるのだ。

『ハンス・アイスラー全集』では、アイスラー自身が、多くの映画の音楽を映像と独立した演奏会用組曲などへ編曲していた点を考慮し、楽譜のみを全集に収録すべき「テクスト」と捉えている。 映画『白い洪水 White Flood』(1940)の音楽は、演奏会用に編曲された《室内交響曲 Kammersymphonie》として出版され、演奏会用に編曲されていない『死刑執行人もまた死すHangman also die』(1943)は、映像との組み合わせや、フィルム編集に合わせた削除は注釈が加えられるに留まっている ※11。今後、コルンゴルトや、さらに若い世代の作曲家の楽譜校訂が進んだ場合、こうした問題はどのように解決されるのだろうか。

むすびに

以上、ドイツの人文学系の電子書籍出版など、印刷された文字という前提から離れた事例に関するトピックを追ってきた。

最後に触れておきたいのは、筆者がドイツに滞在した時期の大学内での人文学をめぐる状況である。音楽学に関しては、カール・ダールハウスがかつて在籍したベルリン工科大の音楽学科は2011年に閉鎖され、「聴覚コミュニケーション」専攻へと鞍替えしていた。またルードルフ・シュテファンらが在籍していたベルリン自由大の音楽学科は、演劇学部の一コースとして残るが、縮小傾向は続く。美術史、少数言語など様々な人文学の分野で統廃合が進んでいるようだ。

この状況を踏まえ、所属していたフンボルト大音楽学部のコロキウムでは「芸術実践に基づく研究」「グローバル化時代の音楽学」など、音楽学の方法や視点のアップデートが盛んに議論された。また、ベルリン自由大での研究プロジェクト「感情の諸言語」や、フランクフルトに新たに設立されたマックス・プランク研究所の一環である「経験美学研究所」など、哲学、歴史学、文学、芸術学などの人文学諸分野と、認知科学、脳科学、医学などの知見を組み合わせる試みも形を取りつつある。

ドイツにおいても、大学、研究所、出版社、資料館などの様々な場所で、人文学出版のあり方の更新が迫られていると言えよう。

白井史人(東京医科歯科大学)

[脚注]

※1 ノルベルト・ボルツ『グーテンベルク銀河系の終焉』(識名章喜、足立典子訳、法政大学出版局、1999年)

※2 見本市ホームページによれば、今年度の3月12日〜15日に開かれたフェスティバル全体の来場者数は25万人に上った。(最終アクセスは2015年4月20日。以降に言及するURLの最終アクセスも同日。)

※3 注1に挙げた見本市ホームページよりダウンロードできる。

※4 Saeed, Aboud. The Smartest Guy on Facebook. Status Updates from Syria. Berlin: Mikrotext, 2013.

※5 Kluge, Alexander. Die Entsprechung einer Oase. Essay für die digitale Generation. Berlin: Mikrotext, 2013.

※6 Kluge, Die Entsprechung einer Oase. Essay für die digitale Generation., 67.

※7 『シュピーゲル』の以下の記事などを参照。
http://www.spiegel.de/kultur/literatur/amazon-deutsche-autoren-schicken-protestbrief-an-jeff-bezos-a-986030.html

※8 フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(石光輝子、石光泰夫訳、ちくま学芸文庫、2006年)、27〜28頁。

※9 ヴィルヘルム・フィンク社ホームページ参照。詳細は未公表だが、全集の該当箇所を担当するBerzやFeigelfeldらの講演をユーチューブで視聴することが出来る。https://www.youtube.com/watch?v=YaKqxcqC3t0など。

※10 ハンス・アイスラー「没後50年シンポジウム」(2012年9月6日〜11日)にて。特にFaßhauerやBreyerの発表でこうした問題が言及された。

※11 全集より、以下の巻号を参照。Eisler, Hanns. Kammersymphonie. Edited by Tobias Faßhauer. Hanns Eisler Gesamtausgabe. Serie IV. Bd. 6. Wiesbaden: Breitkopf & Härtel, 2011., Alternative Filmmusik zu einem Ausschnitt aus The Grapes of Wrath / Filmmusik zu Hangmen Also Die. Edited by Johannes Gall. Hanns Eisler Gesamtausgabe. VI. vol. 10. Wiesbaden: Breitkopf & Härtel, 2013.