研究ノート | 奥村大介 |
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聖なる放射能、恋する放射能
――核の文化論のために
奥村大介
1 あの春の惑い
福島県双葉郡にある原子力発電所が巨大な地震と津波により制御を失い、炉心が溶融し建屋が大破するという日本の原発史上最悪の事故を起こし、多くの人々が放射線被曝に対する判断を──おそらくはそれぞれの仕方での懸念であったのだろう、或る人々は深刻な健康被害の危惧を、或る人々はそのような危惧が過剰な反応であり実際はそこまでの害がないことを──しきりに語っていた2011年の春以来、私は、評価不能なものの危険性は最大限に見積もっておいたほうがよいという、いわば「危険論」の考えに立ちつつ、実際には、小さな子供の親たちや長年にわたって原子力発電の問題を指摘し続けてきた論者たちが切実な現実感をもって危険性を語るのとは微妙に異なる気持ちで、この出来事に接していた。この事態が私にもたらした感情は、4年の歳月を経た今だから言えるというわけでもないが、あきらかに、或る昂揚感を伴ったものであった。もちろん、制御を失った原発を冷却するために海水を注入する作業が進められ、しかし放射性物質は容赦なく大気や水へと拡散し、福島県から遠く離れた東京都内でも空間線量が日ごとに上昇していくなかで、そのような昂揚感を口にすることなどできるはずもなく、3月11日当日に開設したソーシャル・ネットワーキング・サーヴィスのアカウントでは、放射線被曝について、その危険性と防護対策に関する情報を蒐集し、自らもネット上へと拡散させることを私は連日続けていた。だが、リアルタイムで口にすることや、インターネット空間に投げ出す言葉の上では、人並みに被曝の危険性への危惧を表明しつつも、私は〈放射〉という現象に、奇妙な好奇心を抱き続けていた。多くの人々が、それを危険だと主張するにせよ、それほどの危険性はないと説くにせよ、結局は「人体が被曝する」ということを問題にしていたのに対して、私はどういうわけか、人体、あるいは生物体が放射線を発するという歴史上の学説に入れ込み、その年の夏には、或る研究集会で「生体放射の歴史」というテーマで話をしていた。被曝が「人体への放射」だとすれば、ちょうど逆の「人体からの放射」ということに、なぜか夢中になっていたのである。もともと私は原発事故の以前から遠隔作用(離れたものの間に働く物理現象。たとえば磁力、重力、電磁波など)の概念史について調査していたので、放射線については歴史的な把握をしていたが、原発事故が起きたことが一つのきっかけとなって、生物体から或る種の放射が起きる、それは放射線を捉える通常の手段──写真乾板やガイガー=ミュラー計数管──で検出することができるとする松本道別(1872-1942)、グールヴィチ(Alexandre Gavrilovitch Gourvitch, 1874-1954)、ライヒ(Wilhelm Reich, 1897-1957)といった人物の学説を追うことになった ※1。どうやら私は被曝の恐怖をそれなりに感じ、事故の原因となった電力会社の無策ぶりやその背景となった原発推進の国策に激しい憤りを覚えつつも、一方で、放射線、あるいは放射能というものに、或る種の魅力を感じ、生物体が放射線を出すという奇妙な着想に心惹かれていたわけである。
2 放射能の恐怖と魅惑
多くの論者が原発事故に対する発言をし、むろんそのなかにはこれまでの研究の来歴に即するならば当然何かを述べるべき立場にあった人々も、あるいはこの深甚な災禍を前に知の生産という領域に身を置くものとして何事かを主張すべきだと意を決して発言をした人々も、数多くあった。深い思慮ゆえに軽々な言論をよしとせず、あえて雄弁な沈黙を守った人もあった。いずれにせよ、多くの人々が原発事故に真剣な思考をめぐらせ、相応の言論態度を示したことに私は敬意を抱く(政官財の思惑に同調して、明確な虚言を公にした一定数の言論人があったことも決して忘れはしないが)。しかし同時に、地震と津波という災害だけであったら恐らくそうはならなかったであろう、この原発事故という事態に際し、一種独特の興奮が知的世界に広がり、熱に浮かされたように多弁となった論者が少なからずあったことも、今となっては明らかだろう。そうした興奮に陥った人々を「色めき立った」などと非難しようという気はまったくない。私もまた──幾分奇矯な形だったとはいえ──多分に漏れなかったのだから。
私たちを特異な興奮に導いたもの、それは放射能に他ならない。危険性を主張したり、火消しに必死になったり、いずれにしても強い感情を伴った主張へと私たちを駆り立てた放射能。それは生命や健康を深刻に脅かす(可能性がある)ことへの恐怖感だけで私たちをここまで興奮させたわけではないようだ(生命や健康を侵すものなど、〈御用学者〉の口真似ではないが、それこそ放射能以外にも数えきれないほど存在する)。放射という現象、放射能という物性、放射性物質、放射線という存在そのものがもつ性質が、私たちを恐怖と魅惑が相半ばする昂揚へと導いたのである。
放射能がもたらす特異な興奮は、宗教的経験や恋愛の或る局面に通じる昂揚感である。ルドルフ・オットー(Rudolf Otto, 1869-1937)が「聖なるもの(das Heilige)」を定義するとき、「その御前に畏れを抱きつつも、御前に引き寄せられる」という詩句を引用し、「聖なるもの」とは「不気味なもの(das Numinose)」、「戦慄すべき秘儀(mysterium tremendum)」、「絶対に近づけないこと(schlechthinnige Unnahbarkeit)」、「絶対他者(das ganz Andere)」、「途方もないもの(das Ungeheuere)」、「崇高なるもの(das Augustum)」であると述べるのをみると(『聖なるもの』1917年)、これらの形容は、ほとんど全て放射線や放射能のもつ性格であることに気づかざるをえない。原子核の内で起こる不可思議な現象、高度の専門性をもって記述され多くの人々には言わば秘匿されている隠密知たる原子核物理学、聖域めいた管理区域内でのみ取り扱いが許されている核燃料、すべての生命を遠ざける高線量の放射、自然界には存在しない核分裂生成物質、莫大なエネルギーと想像のつかないほどの時間を半減期(原語ではhalf-life、「生命の半減」)とする放射性物質。オットーの記述は、ほとんど放射能そのものを描写しているかのようでさえある。そして、聖なるものは、オットーによれば「魅惑的なもの(das Fascinans)」なのである。また、放射能が私たちを魅する様を、たとえばスタンダール(『恋愛論』1822年)が〈ザルツブルクの小枝〉のイメージに託して語る、恋愛の七段階──感嘆、自問、希望、恋の誕生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用──に当てはめてみても、何らの違和感もない ※2。
※1 以下の拙稿を参照。「生体放射の歴史:グールヴィチとライヒ」、『生物学史研究』、第87号、pp.53-59、2012年9月。「人体、電気、放射能:明石博高と松本道別にみる不可秤量流体の概念」、『近代日本研究』、第29巻(2012年度)、pp.309-345、2013年2月。
※2 あの原発事故の直後、〈御用学者〉と呼ばれて批判を受けた論者のなかには、たしかに金銭や社会的利得を動機付けとして原発や放射能の危険を否定して回った者もあっただろうが、中には誰に頼まれたわけでもないのに自ら進んでその役を買って出ているとしか思えないような文化人があった。彼らの姿は自らの信仰や恋愛の対象を守ろうとするかのようでもあった(言うまでもなく、私にはこうした言論人に共感するところも擁護する意図もまったくない。彼らの言動は国民の健康や生命へのリスクを増すものとして批判されるのは当然である)。