第8回研究発表集会報告 研究発表2

研究発表2|報告:河上春香

2013年11月9日(土) 10:00-12:00
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2

観察の技法としてのシュルレアリスム
河上春香(大阪市立大学)

地下鉄的想像力——ソヴィエト・ロシア映画における地下鉄空間イメージの変遷
本田晃子(北海道大学)

映像という詩のかたち——シモーヌ・ヴェイユとジョナス・メカス
今村純子(東京大学)

【司会】平倉圭(横浜国立大学)

発表パネル2で行われた報告は、その主題こそ三者三様であったが、いずれもひろく映像と現実の生との相互関係の問題を、それぞれ異なった地点から照射するものだったと言えるだろう。

最初の河上春香の発表では、シュルレアリスムとドキュメンタリー映画の歴史的・理論的交差が論じられた。芸術論の文脈においてシュルレアリスムが検討される際は、往々にしてそのショッキングな視覚表現の様式と表現技法に焦点が当てられ、日常と非日常の結合を目指したこれらの試みは、結局のところ消費社会の視覚文化のうちで陳腐化してしまった、というストーリーに帰結しがちである。これに対して河上は、シュルレアリスムの活動に見られるドキュメンタリー的な志向を検討することで、この運動の志向した「生活を変えること」と「世界を変えること」のこころみ、アクチュアリティに対する実践的な関与を読み解くことを目指す。シュルレアリスムは、歴史的には1920〜30年代の都市表象と民族誌学という二つの契機を通じてドキュメンタリーと交差していた。一方で両者の理論的な結節点は、出来事をありのままに捉える「観察」と、他方で、それを再構成し解釈する「組織」という二つの身振りが織り合わされる地点に存する。このような「観察の機制」と呼ぶべきものが、ドキュメンタリー的な表現においては「出来事」、「撮影者」、「撮影されたイメージ」の三者の間で作動しており、これがシュルレアリスム運動におけるアクチュアリティの賭金になっていた。河上は、アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』に登場するスプーンのオブジェにまつわるテクストと、サルヴァドール・ダリの「ドキュメンタリー——パリ、1929年」を例に、オブジェと偶然の出会いをめぐる語りのなかで、観るものと観られる者の関係性を組み替える契機として、この観察の機制が導入されていることを論じた。

次の本田晃子の報告では、ソヴィエト/ポスト・ソヴィエト映画における地下鉄空間の表象の変遷が扱われた。モスクワの地下鉄網はスターリンの再開発計画に連動する形で1930年代に整備され始めたが、そのなかで建造された壮麗な空間は、資本主義諸国の機能的な地下鉄空間のデザインに対するアンチテーゼとして、イデオロギー的な象徴性を担うようになる。社会主義リアリズムの様式に基づいた「総合芸術の空間」として地下鉄空間を位置付けるこうした言説を本田は「地下鉄言説」と呼び、モスクワ市民にとどまらずソヴィエトの国民にひろく地下鉄のイメージを流通させた映画作品のうちで、この地下鉄言説がどのように機能していたのかを検討した。本田によると、モスクワの地下鉄網の整備事業は全体で第一期から第四期にわけることができる。このうち第一期にあたる1935年時点で建造された駅は未だ機能的なデザインに則して作られており、同時期の映画『サーカス』の中でも、長大なエスカレーターという地下鉄空間の技術的機能がプロットの中に組み込まれるにとどまっていた。しかし、社会的リアリズムによる装飾性が全面に押し出されることとなった第二期(1937-38年)、第三期(1943-44年)の地下鉄空間は、『新モスクワ』、『アリョーシャ・プツィツィン、意思を鍛える』といった映画の中で、豪奢で光に満ちた場所として表象されることになる。こうして映画の中に根付いた地下鉄言説は、「おとぎばなしのような」という形容によって端的にあらわされた。しかしソ連邦崩壊後、90年代には、こうした地下鉄言説を裏返すかのように「地下の闇」としての地下鉄空間が『ナースチャ』、『パイロットたちの科学捜査班』といった作品によって表象されるようになった。そして2012年、映画『メトロ』で扱われる地下鉄空間は、ソ連時代の地下鉄言説とは完全に切り離された抽象的な場となっており、本田はそこに地下鉄言説の終焉を見出せると述べる。

最後の今村純子の報告は、ジョナス・メカスの映画『リトアニアへの旅の追憶』をシモーヌ・ヴェイユの思想を通じて追うことで、芸術がいかにして人間存在の倫理を明るみに出すのかを示す。メカスの映像作品は、「日常生活そのもの」を詩として生きること、そしてその生が奪い去られる——「根こぎ」にされる——問題を凝視する点で、ヴェイユの思想と交差している。報告では、三章構成になっている『リトアニアへの旅の追憶』の、それぞれの章の内容と主題がヴェイユのテクストと共に検討された。メカスは第二次大戦によって故国リトアニアからの脱出を余儀なくされた作家であり、第一章ではブルックリンでの日々を背景に、移民が孤独のうちに自らのリアリティを剥奪されてしまう状況が描かれる。これはヴェイユの述べた「根こぎ」の問題でもある。「根のない人間が他人を根こぎにする」とヴェイユが書いているように、リアリティの剥奪は不正義に繋がってゆく。続く第二章では、メカスの25年ぶりのリトアニアへの帰郷が映し出され、そこでは詩としての生と失われた「根」が、長い空白の時間をこえて再び取り戻される。そして第三章では、メカスが強制収容所での生活を体験したハンブルクと、叔父の計らいによって亡命が予定されながらも叶わなかった土地であるウィーンが舞台となる。ここでは、走り回る子どもたちの姿を通じて、決して破壊されることのない善なる部分が、暴力にさらされてもなお人間のうちに変わらずに存在し続けるさまが描きだされている。それはヴェイユの言う「人から悪を被った意識のために叫び声をあげる部分」である。

今村によれば、映画は「現象/あらわれ」と「実在/リアリティ」の絶対的な差異を提示する時間芸術であり、『リトアニアへの旅の追憶』はリアリティの変遷を描くことで、善と倫理の在り処を、作者の個人的な経験から「三人称の他者」である観客に向けて、普遍的なものとして開いている。それはヴェイユのこころみた「詩を持つこと」の倫理に他ならない。

司会の平倉圭は、三つの発表全体に通底する問題として、映画における現実の「分身化」と「過剰な実現」を挙げた。映像は観察を通じて世界を正確に写し取るにもかかわらず、そこに立ち上げられるのはもともとの現実の姿とは全く異なる、世界の「分身」である。シュルレアリスム的オブジェとは、こうした「分身」が観察者の内面的事情を過剰に実現してしまう地点に存するものである。モスクワの地下鉄空間に織りこまれたエクリチュールもまた映画の中で過剰に実現されるのであり、ジョナス・メカスはそのような契機に、戦争によって失われた自らの子供時代を現在の風景の中に取り戻す可能性を賭けていた。しかし同時に、メカスの映画を締めくくる燃え上がるウィーンの市場の映像は、過去の破壊が現在の風景のうちに再生されてしまう契機をも示すものでもある。地下鉄空間のきらびやかな表象が「地下の闇」という地獄のイメージへと反転したように。映像は現実の生に対して両義的な関係を持っている。映像は現実を十全な生として実現する希望を担うと同時に、また生を破壊の反復のうちに閉じてしまう可能性を有してもいるのだ。

河上春香(大阪市立大学)

【発表概要】

観察の技法としてのシュルレアリスム
河上春香(大阪市立大学)

美術もしくは視覚文化論の文脈におけるシュルレアリスムは、共約不可能なものの併置と組み合わせ、あるいは意識的な統御を離れた自動的なモティーフの生成といった、表現の理論の美術史的・美学的な位置付けを中心に語られることが多い。しかしシュルレアリスムには、美学的な問題意識だけではなく、日常的実践を含む現実の状況を新たな視座から捉え直そうとする志向もある。それは特にオブジェの発見と構築、またそれに関わる映像の実践において「アクチュアリティへの創造的な介入」というドキュメンタリーの志向に接近する。シュルレアリスムとドキュメンタリーの関わりは決して浅くはない。ルイス・ブニュエルやミシェル・ジンバッカらがドキュメンタリー映画を製作している他、サルヴァドール・ダリが「ドキュメンタリー——パリ、1929年」と題する一連のエッセイのなかで、ドキュメンタリー映画とシュルレアリスムの親和性を語っている。グリアソンの「ドキュメンタリーの第一原理」以来、ドキュメンタリー映画に関する議論は、現実的状況をありのままに捉えることと、解釈・再構成することの狭間をめぐって展開してきた。映像の無意識的な受容と意識的な構成が互いを支え合う中で作動する観察の機制を、ドキュメンタリーが問題化したといえる。そしてシュルレアリスムの、オブジェや偶然の出会いをめぐる議論もまた、この観察の機制をいかにして構築するかという問題に関わっている。ここでは特にダリやアンドレ・ブルトンのテクストを参照しながら、シュルレアリスムと観察の機制の問題を検討する。

地下鉄的想像力——ソヴィエト・ロシア映画における地下鉄空間イメージの変遷
本田晃子(北海道大学)

本発表の目的は、モスクワ地下鉄空間が、ソヴィエトおよびポスト・ソヴィエト映画内において果たしてきた象徴的機能を分析することにある。
1935年に最初の区間が開通したモスクワ地下鉄駅は、社会主義リアリズムと呼ばれる建築様式に則って設計され、その豪奢な内装から「地下の宮殿」と呼ばれた。これらの地下鉄駅には、社会主義の勝利というイデオロギー的内容を、その内装を通して“物語る”ことが求められた。
しかしながら、現実の建築空間よりもある意味でより能弁な語り手となったのが、映画という物語のなかの地下鉄空間だった。スターリン期の映画作品内では、しばしば周辺から中央(首都)へと向かう求心的な運動が描かれたが、地下鉄空間は他のモニュメンタルな建築物とともに、イメージの領域における首都モスクワの建設に利用された(38年『新モスクワ』、53年『アリョーシャ・プチツィン、意思を鍛える』。また戦時中のモスクワ空襲の経験は、地下鉄空間の表象に、シェルターとして、さらには地上の都市に対するオルタナティヴとしての空間という新たな意味をもたらした(57年『鶴は飛んでいく』、85年『モスクワ攻防戦』)。
このように高度にイデオロギー化された地下鉄空間にとって決定的な転機となったのが、他ならぬソ連邦の崩壊だった。連邦崩壊を機に、地下鉄空間は一転、悪夢や不条理の空間として描かれはじめる。たとえば『ナースチャ』(93年)では、「宮殿」という呼称そのものが胚胎していた矛盾がアイロニカルに描かれ、『パイロットたちの科学捜査班』(96年)では、それまで明るく壮麗な地下鉄駅に対してスクリーンから締め出されてきたトンネルの闇が、前景化されることになったのである。

映像という詩のかたち——シモーヌ・ヴェイユとジョナス・メカス
今村純子(東京大学)

シモーヌ・ヴェイユ (Simone Weil, 1909-43) は、その劇的な人生や宗教性について語られることの多い作家である。だが彼女は、生々しい、己れを否定してくる「現象」から導き出された深い洞察を「映像」として立体的に浮き彫りにする資質を有している。それは広義には、詩人の資質を有する作家であると言える。だが彼女の詩や戯曲はさほど完成度の高いものではない。それにもかかわらず、日常的に書き留められたノートからの抜粋『重力と恩寵』は優れた詩作品に匹敵する言葉の強さを有している。この矛盾と逆説に、母国語を奪われた詩人ジョナス・メカス(Jonas Mekas, 1922-) が、「沈黙の言葉」にほかならない外国語の発語と映像との共振のうちに編み出した「映像という詩のかたち」が光を与えてくれるであろう。
本発表では、ジョナス・メカス監督『リトアニアへの旅の追憶』(Reminiscences of a Journey to Lithuania、1972年)が提示する実在の亀裂と閃光のうちに、その夭折ゆえに未完成、未成熟の感を否めないヴェイユの詩性およびヴェイユが述べる「詩をもつこと」の様々な局面が、どのようにして生きられ感じられるのかを探究してみたい。直接的な影響関係にはない両者の往還は、たとえば、フクシマを、ミナマタを、あるいはヒロシマを真に思考するとは、「歴史的・社会的自己」を深く掘り下げることにほかならないことを浮き彫りにするであろう。端的には認識しえず、一見したところ矛盾しているように思われる、この水平方向と垂直方向の思考の交差点が、『リトアニアへの旅の追憶』とヴェイユの言葉との共振のうちに、はっきりとした実在を映し出すことをあきらかにしたい。