新刊紹介 編著/共著 『メディア技術史 デジタル社会の系譜と行方』

大久保遼(分担執筆)
飯田豊(編著)
『メディア技術史 デジタル社会の系譜と行方』
北樹出版、2013年10月

本書は、メディア技術の社会的構築に焦点をあてた初学者むけのテキストである――ひとまずはそのように言うことができるだろう。本書の射程は、マスメディアの情報を批判的に読み解くという狭い意味でのメディアリテラシー教育やジャーナリズム教育にとどまるものではないし、技術開発に従事する専門家を養成するための技術教育や、あるいはより一般的な意味での科学技術リテラシー教育に限定されるものでもない。本書は、メディアが遍在する日常のなかで暮らす私たちが、デジタル社会を生き抜くために必要な知識を身につけていく際の有効な手がかりとなることを志向している。とはいえ、それはプロジェクションマッピングやソーシャルメディアやオンラインゲームをまったく新しい理論や概念によってたちどころに解説するようなタイプのテキストではない。あくまで本書は、デジタル社会を歴史のなかに丹念に位置づけ直すことからその議論をスタートする。

実際、各章を通読したときにとりわけ印象に残るのは、もしかするとニューメディアの新しさよりむしろ、かつて構想されただけで、あるいはごく短期間で消えていった無数のメディアや、そうした過去のメディアがもつ不思議な魅力であるかもしれない。たとえば、グーテンベルク聖書、ダゲレオタイプ、クロノフォトグラフィ、フォノグラフ、有線放送電話、エレクトリカル・テレスコープ、伝言ダイヤル、エニアック、ダイナブック、鉱石ラジオ、ミニテル、パソコン通信、写本、メメックス、電話放送局、ショルダーフォン、PAL、テレフォノスコープ、磁気テープ、ポケットベル……それはさながら忘れられ、消え去っていったメディアの一大博覧会であり驚異の部屋である。こうしたレトロなメディアがもつ存在感は、今では忘れられているかあるいはその役割を終えたメディアであっても、当時の社会的諸関係のなかでそれ特有の役割や可能性を持っていたこと、そしてメディア技術の利用法はいささかも固定されたものではなく、さまざまな主体や集団、産業構造の変化、テクノロジーの変容、想像力や欲望、あるいは突発的なアクシデントの絡み合いのなかで絶えず変動してきたことをあらためて思い起こさせてくれる。キャロリン・マーヴィンの言葉を借りるならば、「おそらく、ちょうどわれわれの先祖が、彼らが夢見た未来が実際はどうなったかを知って驚くであろうのと同じくらいに、過去はわれわれを驚かせるのである」。こうした驚きは、私たちの現在のメディアに対する視点を揺らがせ、解きほぐし、そしてそこから少しだけ自由にしてくれるだろう。この地点から、現代のメディア環境を組み替えていくための知恵を起動していくことができる。

メディア技術の歴史は、私たちの表現やコミュニケーションがときに知らず知らずのうちにテクノロジカルな次元に枠づけられ影響を受けていることを教えてくれるし、それをうまくかわすためには、デジタル化したメディア技術に対する細やかなリテラシーが必要であることもまた教えてくれる。おそらくはその先に、技術としてのデジタルではなく、本当の意味でデジタルを基盤とした文化や表現とは何かが見えてくるのではないだろうか。であるから本書は、入門的でレトロスペクティヴな構えをもつと同時に、現在のなかに異なる時間を導入することで、他なるメディアの可能性を浮上させていくための介入的でアナクロニックな実践の書なのである。それはもちろん、初学者や研究者だけでなく、広く創造や実践の現場に開かれたものであるはずだ。

大久保遼(分担執筆)
飯田豊(編著)『メディア技術史 デジタル社会の系譜と行方』
北樹出版、2013年10月