新刊紹介 | 単著 | 『反覆する岡本太郎 あるいは「絵画のテロル」』 |
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北澤憲昭
『反覆する岡本太郎 あるいは「絵画のテロル」』
水声社、2012年11月
「反覆」は、「ひっくり返すこと」の意にも「くり返すこと」の意にもとれる。著者はさらに、「反覆する岡本太郎」が「反覆される『岡本太郎』」と読まれることも期待してこの表題をつけたにちがいない。括弧つきの岡本太郎は、著者によって想定された二人目の岡本太郎である。
巻頭の書き下ろしに登場する1950年代後半の「岡本太郎」は、純粋な自己表現と絵画の純粋化との二律背反的関係(著者はこれを「近代絵画のアポリア」と呼ぶ)を克服あるいは回避するために、岡本があえて前面に押し出し、それによって透明化しようとした絵画形式や画家像のコンヴェンションを指す。また、これに続けて論じられる30年代もしくは40年代から50年代初めにかけての「岡本太郎」は、岡本の対極にある「内なる他者」として彼の絵画に組み込まれたものであった。ここでは「岡本太郎」という個性が、アヴァンギャルディスト岡本太郎の孤独の表象として理解されている。彼の伝統観の分析に入っても「内なる他者」は健在であり、伝統が乗り越えられた後も変わらず継承される「文化的遺伝子」のようなものにその存在が見出される。
本書は1992年から2007年までに発表された文章がもとになっており、議論の焦点はもっぱら50年代までの岡本太郎に絞られるはずであった(そのことは作品図版の選択を見てもわかる)。しかし、東日本大震災の影響で、刊行が岡本太郎生誕100年に1年遅れるとともに、巻末に「三・一一以後の岡本太郎」と題されたもう一つの書き下ろしが加えられることになった。大阪万博の際に建てられた岡本の代表作の一つ《太陽の塔》(1970年)は、テクノロジーの方法的要請に不自由しない状況においてそれと対極を成したからこそ、「近代における反近代の拠点」としての芸術的意義を持ち得たが、震災とそれに続く原発事故の後では、そのような楽観的な「対極主義」は通用しない。一年遅れで呼び戻された「岡本太郎」は、実際、読者を「いま、ここ」の道徳性に向き合わせる反面教師としてわれわれの前に送り出されている。(野田吉郎)