研究ノート | 大貫菜穂 |
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イレズミの虚実皮膜のあわい:作品・彫師・顧客
大貫菜穂(立命館大学)
0.
「ほりもの」は、この2,30年程のあいだに海外のタトゥーとの接触によって大きく変化した。多様なスタイルからの刺激、マシンやインク導入の加速による表現の選択肢の拡大は、ほりものを大小なりとも変質させ、同時に独自の「日本」性へ意識を向けさせたと言って差支えないだろう。この背景には、表現技法の模索のみでなく、衛生管理や人体への安全性に対する意識の向上を図ったことがあった。より安全な道具や色素を求めることが常識となったこと、肌に彫るがゆえに制約されたメディウムと技法で彫師が独自の表現法を追求することが常であること。両者によって変化は起こるべくして起こったといえる(※1)。
日本には現在3,000名(一説には5,000名)の専業彫師がいるとされるが(※2)、60代後半以上の現役のほりものの彫師は両手で数えられる程度である。彼らは、明治期生まれの師匠に直接師事した最後の世代であり、ほりものが確立した江戸後期の気風や技術をなおも色濃く留めている。2016年8月上旬に筆者は、その年齢層で、かつ出自や門閥が異なる複数名の彫師に、①ほりものの様式や構図、線、色など絵画的要素、②絵であるほりものとそれを背負う人物との関係性について聞き取り調査を行った。調査に際して、1名のコーディネーターにご協力を仰ぎ、通常接触困難な彫師へのアポイントメントと調査へのご同行、聞き取りでうかがった内容についての補足意見等のご助力をいただいた(※3)。本稿は「肌に入る絵とは何か」を問う手がかりを、調査で明らかになった彫師の作家性と客との関係性から整理したい。
1.
まずは、ほりものを彫るという行為のなかで彫師の作家性がどこに宿るのかを確認せねばなるまい。彫師は師の「伝統的な」ほりものを基準に表現と技法を追求する。だが、客商売を営む職人としての立場とカンヴァスが個人の肌である特殊性ゆえに、客の意向の尊重と彫師独自の表現の発揮との間に特有のやりとりが生じる。上述のとおり今回の調査対象は大御所の彫師であったため、その客は彫師の確立された作家性や伝統性を重んじると想定される。よって最初の論点は、タトゥーとの融合で現代化されたものとは異なる日本独自のほりものを、彫師がどのように定義しているのかを抽出することにある。
では、タトゥー化したほりものとは具体的にどのようなものだろうか。まず、作画にかんしては、線が多すぎる、色数が多すぎることが共通して言及されていた。色は華やかさを演出する手段のひとつだが、これを色数ではなく配置や墨に対する面積の割合で映えさせることが従来の手法である。また、華やかさに加え迫真性を担う「ぼかし」は、ほりもの独自の技法として腕が競われるが、タトゥーのエアブラシで塗ったかのようなムラのないぼかしは、味がなく見飽きるという理由で上手だが名人の仕事ではないとされる。次いで構成においては、組み合わせる絵柄が多すぎる、その取り合わせの整合性が不明瞭であることに批判的な意見が聞かれた。ほりものは旧来、主題が単純であるほどごまかしがきかず難しいとされ、最低限の原則を逸脱しないこと―「唐獅子といえば牡丹」等の日本文化内の約束事や自然界の法則に照合すること―が規範とされている。
したがって、ほりものの彫師としての作家性は、ひとまずは、制限された線や色彩によって流れを演出する巧みさと、迫真性を基盤としたインパクトを各自の個性的な表現で引き出すことにある。このことは、各彫師が大枠の型や約束事を起点としつつ、モチーフの動作や表情などのディテールはその時の気分で彫る点からも指摘できる。見本や下絵に厳密に沿わず時々のインスピレーションに任せて彫ることで、客の一つしかない身体に唯一のほりものが完成する。そこで目指されるのは、虚構を現実に/現実を虚構にすることである。これは、第一に花と動物の大きさの比率や人物等の筋肉の動きを現実から逸脱させることで描き出す迫真性に依拠する。ほりものの基本的な型はあるが、彫師の裁量に委ねられる事柄である。第二は、主題となる日本の物語それ自体が本来虚実皮膜の内にあるという枠組みに由来する。限られた数の線と色彩で以て主題と背景を構成し、色の濃淡や配置、ぼかしの加減などで全体の流れを生み出し物語とドラマを演出すること。透け感や余白を重視し、綿密さを求め過ぎずに仕上げることで作品の味や迫真性が生まれるのだという。
2.
本節では、いったんほりものと浮世絵の相違点について言及しておきたい。ほりものはその出自から、江戸後期の錦絵、とりわけ国芳以降の歌川派や北斎との近接性がたびたび指摘されてきた。調査においても、彫師は皆手本として北斎や国芳を挙げ、他に暁斎・芳年などやはり北斎‐国芳の系譜に連なる絵師が支持されていた。迫力、ダイナミズム、勇ましさ、作風の独自表現の幅広さが彫師にも客にも好まれやすく、江戸末期から明治期に活躍した絵師の表現を各彫師は独自解釈で人の肌の上に顕そうとする。しかし、北斎‐国芳の人物表現におけるダイナミズムの源とされる身体や衣服の線の明確な肥痩が、ほりものの輪郭線である「筋彫り」に生かされることはほぼない(※4)。浮世絵が間近で見る絵であることに対して、ほりものは遠くから見て映えること、身体とともに動くこと、飽きない絵であることが重視されるゆえである。生きた人をカンヴァスにする場合、輪郭線の太さがある程度均一化された方がくっきりとするのだという。
迫力を出すことを根本方針とし肌の上の絵であることに伴う表現上の類型は、他にも挙げられる。まず、ほりもののメインとなる絵柄は大柄が良いとされる。身体に映えるバランスの問題もあるが、タトゥーのような小さなものは加齢と共に線がつぶれ、滲むようになるからである。この考えは、ほりものを大金をはたいて一生背負うものとする価値観に基づく。次いで、人物や動物、神仏などの絵柄の頭身は、浮世絵よりも顔を大きく手足を小さく描かれる。客の身体のどの角度から見てもひとつの絵として成り立ち、その人の体の上で現実感をもって物語が顕現すること。これを成り立たせるためにまずクリアな筋彫りで絵を方向づけるのである。
3.
彫られる内容の輪郭やバランスが、彫師の作風やほりものの類型のうちに自明化されがちであることに対し、ほりものを彫る範囲には客の意志と彫師の意向とのあいだでの拮抗が見られるように思われる。ほりものには主題となる絵柄のみを彫る「抜き彫り」と「額彫り」をつけたものがある。ほりもの特有の額には、絵柄どうしをつなげる以外に、身体のフォルムを後景に追いやり一枚の絵としてのほりものを前景化させる側面がある。額の大きさ、みきりの深さは、彫師の作風がありつつも客の好みで変わりやすい部分である(※5)。これは、ひとつは関東と関西におけるほりものの型の違いに関係し、気風や服装の差異に準じている(※6)。次いで、ほりものが「痛さの我慢・お金の我慢・時間の我慢」であることに起因する。痛みと経済的出費にどれだけ耐えられたかという点がステイタスになるため、客はより広い範囲を彫りたがる傾向にある(※7)。このような事情でどの範囲まで彫るかの決定権は客に委ねられる部分が大きい。
他方で額は身体と絵柄の単なるつなぎではなく物語を生み出すことや生命感を与えるがために、そのバランスがどれだけとれているのかは作品の出来を左右することになる。客の意向を汲みつつも、額と絵柄の色数や配置とをいかに調和させるのかが肝要なのだ。また、絵にリズムや流れをもたらすみきりの太さやぼかし方などには彫師ごとの作風があり、全体の印象を大きく変える部分でもある。ゆえに、彫る範囲については客の要望を聞きつつも、作品としてどのようなバランスを確保するのかが彫師の裁量に委ねられているのである。
4.
上記と対照をなすのが、裁量に幅はあるものの、絵柄のモチーフの選択やその組み合わせのルールを彫師が指摘することである。彫る前には打合せが行なわれ、やはり絵柄も客の希望が最大限尊重される。しかし、絵柄の要望が日本の文化的・歴史的コンテクスト内での最低限の原則に即さない場合は、彫師がアドバイスし、それに従うことが促される。また、彫りながら原則に適うよう帳尻を合わせることも行なわれる。客がそれらを受け入れられない場合は依頼を断ることも少なくはない。この点は、40年程前と現代とで状況の変化が見られる部分でもある。昔は客が見本帳などをもとに一見した絵の格好よさで絵柄を選ぶことが多くあったことに対し、情報を得やすい現代では事前に希望する絵柄があって彫師を訪ねることが増えたようである。直感で絵柄を選択する場合は物語と客の関係は事後的に結ばれ、モチーフの意味や物語を重視する場合はそれにふさわしい絵柄が客へ勧められる。なお、客が絵に見出す独自の意味内容を尊重することや、モチーフごとの意味のつなげかたを客の知識や機転に委ねるという方法もある。
ゆえにほりものでは、どこかの時点で客が自分の身体に入れる絵に何らかの物語や意味を観取することが自明化されていると言えるだろう。この過程では、下絵というサンプルや絵柄の原則を示す彫師が、客の自律的な意思を尊重しつつ一定の導きを与えている可能性を指摘できる。前節も鑑みると、彫師が作品に命を吹き込むことと、客がその吹き込まれた命を意識することとの関係性がどのように成立するのかがほりものの独自性を紐解く鍵のように思われる。
5.
このような関係性にある彫師と客だが、印象深いのは彼らの信頼関係である。それは一種の疑似的な親子関係ないしは師弟関係のように見えさえもした。たとえば、彫師は先生と呼ばれ、客は背筋を伸ばして礼儀正しく振る舞う姿が散見された。ほりものでは、礼儀やマナーを守ることが基本とされ、それに適わないと彫ってもらえないことはごく普通にある。この点にかんしては、彫師と客が共に、厳しい上下関係と筋を通す規範がある業種に就業していた歴史的経緯が少なからず影響しているのであろう。
ところで、「中途半端なほりものは約束事を守らないことの代名詞である」「ほりものに恥じない生き方をすべき」「ほりものを背負ってチンケな行いはできない」などの礼節とほりものを結びつける彫師たちの証言は、客との関係性を象徴するかのようである。すなわち、あくまで客として優位性を保ちつつも、体を預けほりもので一人前にしてもらう生き方が想起されるのだ。つまり、ここでも導き手としての彫師の側面が浮かび上がり、客があたかも人生の修錬かのようにほりものを入れることが示唆されるのである。客がお金を払って何かを習得するこの感覚は、ほりものにかかる費用が高額であり、彫師はその金を得る労力を理解した上で客を尊重することとも関係するであろう。加えてほりものは、時間の我慢、すなわち完成までに5年、10年とかかるものが少なくはない。ゆえに客は、長く付き合うパートナーとして、そして己の何かを表現する媒介者として彫師を選ばなければならない。ことさら現代において、この復古的で象徴的な関係の再生産の果てに自身の肌をひとつの絵に染め上げることの意味は、今後考慮されるべき点であることを最後に強調しておきたい。
大貫菜穂(立命館大学)
※1 この変化は複数の要因の重なりと時の経過の中で成り立ったようである。ほりものの彫師のマシン使用については、1920年代の段階で自作マシンを用いていたことが確認でき、それ以降も複数の事例がある(『TATTOO BURST』vol.26, コアマガジン, 2005, p.83)。だがこれが、道具を細部に至るまで改良し、顔料を探し求めることが彫師の常であることの延長線上に位置づけられることに対し、90年代以降の変化は別種の流れがあった。具体的には、アメリカにおけるタトゥービジネスの確立とマシンの販売、タトゥー・コンヴェンションの発達などに象徴される人物・事物・情報の交流の活性化が挙げられる。
※2 山本芳美『イレズミと日本人』平凡社, 2016, p. 52.
※3 彫師・コーディネーターについては、現段階では基本的に匿名・敬称略とさせていただく。
※4 筋彫りはほりものが生きるかどうかを決め、原則として修正ができないという点でも最も重要な過程のひとつである。ただし、その太さの演出は、後の着色の過程で加減を調整されることもある。
※5 額彫りとは、波や雲、岩などの意匠化された表現で主題となる絵柄の背景が彫られた部分のことである。また、みきりとは肌との境目のぼかしの部分のことを主に指す。みきりが深いとは、肩から胸部、あるいは身体側面からの額がより身体の中央部まで彫られている状態を指す。みきりの幅も彫師によって太さが変わるとされるが、近年彫師ごとの差異は少なくなりつつあるとの声もあった。
※6 関東風・関西風については、たとえばひかえ(肩・腕から胸にかけて彫られた部分)が乳上で見切られているものが関東彫り、乳下で見切られるものが関西彫りなどの区別があった。彫師の作風や客の好み、時代によって異なりはするが、基本は着物からはみ出ないようにする型が粋とされていた。
※7 かけられるお金や時間によって最初は額が入れられない、広範囲に彫れないなどのこともある。額を後々加えてもらうこともあるという。最初から背中を起点に身体全体のほりもののバランスをとることが当然一番スムーズだが、こうした都合に合わせてどのように全体を調和させるのかも彫師の腕の見せ所となる。