研究ノート 井岡詩子

エロティスムのふたつの道すじについて
井岡詩子(京都大学/日本学術振興会)

女性の裸体のなめらかさ、脹らみ、乳の流出といったものは、射精の感覚──中庭に向かって開く窓のように、それ自体死に向かって開ける感覚──を先取りする。(※1

ここで「射精の感覚」とされているのは、「une sensation de fuite liquide」、つまり直訳すると「液漏れの感覚」あるいは「液体が流出する感覚」である。この言葉は、これに先立って言及される「エロティスムの秘めやかな感覚」の言い換えであろうから、性行為の感覚を示す「射精の感覚」という訳に不自然はなく、むしろ見事な解釈とも思われる。だが、「射精の感覚」をみずからの体験とするのに適わないほうの性を生きる身としては、この一文について考えるとき、敢えて「液漏れの感覚」という言葉を出発点に置いてみたい。

1.

そもそもこの一文は、ジョルジュ・バタイユ(1897‐1962年)が『エロティスムの歴史』の原稿に書き記したものである。1950年の冬から翌年夏にかけて執筆された本書は、ほとんど完成していたにもかかわらず、かれの生前に刊行されることはなかった。一部は『エロティスム』(1957年)や『クリティック』誌を通して発表されたが(※2)、上述の箇所は、未完成のまま遺された「意識的な性行為」という小節に含まれる。バタイユが、コジェーヴの影響のもと、人間の歴史を意識の発展の歴史として捉え、人間という存在の誕生に意識の芽生えを見出していたことに鑑みれば、この小節は、意識がかなりのレベルまで発展したとみなされる近現代(※3)におけるエロティスムのあり方に捧げられたものと考えられるだろう。

したがって、「液漏れの感覚」という言葉には、ある意味で非常に人間的なエロティスムのすがたが映し込まれているのではないだろうか。この語が性行為の感覚や「エロティスムの秘めやかな感覚」を示すのなら、それはバタイユの用語で言えば、連続性へ至る感覚と考えることができる。バタイユは、人間──主体と対象を区別する意識の芽生えを契機に不連続となった個体──の性行為、すなわちエロティスムに、失われた連続性へのノスタルジーと回帰を見てとる。連続性とは、動物的な世界、内在性と無媒介性の世界のあり方を示す語であり、人間と動物を分かつひとつの基準となっている。人間と異なり没世界的な存在である動物の常態は、くしくも液体の比喩によって、つぎのように表現されている。「水のなかの水のように、動物は世界のうちにある(L’animal est dans le monde comme l’eau dans l’eau)」(※4)。

このフレーズは、『エロティスムの歴史』とほぼ同時期に書かれたとされる『宗教の理論』に見出されるものである。本書では、このフレーズや類似した表現が繰り返されると同時に、水流や川の流れといったモチーフが時折あらわれる(※5)。海へ流れ込み消え去る川の流れは、不連続な事物(人間の手になる生産物、富や道具など)が無へと解消され、連続性の世界に戻されるさまを示すイメージとなる(※6)。『宗教の理論』において液体の比喩は、連続した世界というひとつの全体を呼び覚まし、それとの関係性やそれへの志向を表現していると言えるだろう。おそらく「液漏れの感覚」も、このような液体のモチーフと同様のものだ。そしてこの表現は、動物のそれとは異なる、人間が感覚する連続性の特徴をあらわしてもいる。つまり、人間は不連続な個体となった以上、「水のなかの水のように」世界という全体と一致することはできず、個体の隙間からまさに漏れだすようにしか、世界との連続を感覚し得ない。このときエロティスムは、世界への隘路である。

2.

バタイユの作品における液体のモチーフは、なにもここで挙げたものに限らない。唾や痰、尿、精液、酒や涙といったものが、つねにバタイユの思想の傍らにあった。これらは、アンフォルムや侵犯といった、かれの思想を代表するコンセプトを指し示すイメージでもある。このことを念頭に冒頭に引いた一文を読むなら、「液漏れの感覚」を言い換えた「中庭に向かって開く窓のように、それ自体死に向かって開ける感覚」という表現に目がいくのではないか。というのも、ここには「液漏れの感覚」と一見相反するイメージが見出されるからだ。それは、中庭という場が設けられていることに起因する。建物の外ではなく内へ向かって開かれる窓によって、この箇所は、窓単体ではなく、中庭を具えたひとつの建物のイメージを喚起する(※7)。建物のイメージが「液漏れの感覚」と相反するのは、バタイユにとって液体のモチーフは「反建築」的なものであるからだ。

大聖堂やバスティーユ牢獄といった巨大な建築物を相手取る、バタイユのいわゆる「反建築」(建築的な秩序や構成への嫌悪)を引き合いにだすのは、やや強引であるかも知れない。だが、ドゥニ・オリエも指摘しているように(※8)、「反建築」的な文脈において、バタイユが人間のもつ秩序や形態を建築に見立ててもいることへ注意を払っておくのは、無駄ではないだろう。バタイユは『ドキュマン』誌に発表された小論「建築」(※9)(1929年)で、建築の「数学的な」秩序と構成に、人間の秩序と形態の発展したかたちを見る。奇妙な話であるが、形態進化を語る際には、猿から建築への進化の途上に人間を位置づけさえする。この小論では、どれだけ「数学的」であるかが進化の度合いを測る指標となるのだが、同じく『ドキュマン』誌掲載の「アンフォルム」(※10)(1929年)からわかるように、「数学的な」ものは哲学というアカデミックな知の基盤とみなされている。構成においても、それが拠って立つ秩序においても「数学的な」建築は、人間の不連続性、すなわち主体と対象を区別する意識、そこから発展した合理性や知を象徴するものとみなすことができるだろう。ゆえに人間は、哲学者であれ供儀の執行者であれ、多かれ少なかれ建築的であらざるを得ない。

本稿冒頭に引用した一文が書き込まれた小節で問題となっていたのは、このような意識的な存在──こう言って良ければ、「建築的」な存在──のエロティスムであった。その限りにおいて、中庭と窓のモチーフが呼び起こす建物のイメージは、意識的な個体としてのひとりの人間と重ね合わせることができるのではないだろうか。実際、ここでは、建物の内側に空いた中庭が死の比喩になっているが、バタイユにとって、個体の内なる死へのアプローチは、意識的な存在のなすべきことでもある。『エロティスム』所収のサド論では、「意識をもっとも激しく憤慨させたもの」へ意識を開こうとすることにサドの功績が認められたうえで、「もっとも激しく、わたしたちを憤慨させるものは、わたしたちのなかにある」と述べられるのだ(※11)。「わたしたちを憤慨させるもの」とは、暴力や死、侵犯といった、合理主義や知が隠し、なかったことにしてしまおうとするもののことである。それを踏まえると、「中庭に向かって開く窓のように」という表現には、死や暴力の棲む中庭を具えたひとつの建物としての人間のイメージが垣間見られる。このときエロティスムは、錠を外して窓を開ける動作になる。意識が備えつけた錠を、意識みずから外すのだ。

3.

さいごに、これまで見てきた「液漏れの感覚」と「中庭に向かって開く窓のように、それ自体死に向かって開ける感覚」というふたつの表現が並置されているという事実に着目しておきたい。一方は「反建築」的である液体のイメージ、他方は、限定的ではあれ建築的なイメージという奇妙な組み合わせであるが、両者はともに、エロティスムにおける連続性の感覚を喩えたものである。「液漏れの感覚」という言葉の背景に、動物的な「水のなかの水のように」ある情況──動物自身には個体としての自己認識が認められてはいないものの、個体がその周囲の世界へ融け込み、それとともに全体となるような情況──を想定すると、液体的な連続性の感覚は、個体の外への開かれであることがわかる。反対に、「中庭に向かって開く窓のよう」な情況とは、個体の内への開かれである。このような情況もまた連続性の感覚を呼び覚ますものであるということは、内へ開かれた個体はそれ自体、ひとつの全体となることを意味するだろう。

第二次世界大戦後のバタイユの著作は、現代へ至る人間の歴史を描きだすような構成を採るようになり(※12)、それ以前にくらべると、人間の理性や意識のはたらきを重視する傾向にある。しかし、液体的なものへの考察や志向が変わらず存在しているのも確かであり、バタイユがどちらへ舵を取ろうとしているのか、読者はしばしば惑わされる。本稿で取りあげた一文が、近現代における、つまりはアクチュアルなものとして思考されたエロティスムを喩えたものであるのなら、ふたつの表現の並置は、液体的なエロティスムと「建築的」なエロティスムの等価性、そして、両者がともすれば一致するような地点への歩みを示しているのではないだろうか。

井岡詩子(京都大学/日本学術振興会)

[脚注]

※1 ジョルジュ・バタイユ『エロティシズムの歴史』湯浅博雄・中地義和訳,ちくま学芸文庫,2011年,209頁。OC. 8, p. 132.バタイユのテクストはガリマール社の全集(Georges Bataille, Œuvres complètes, Gallimard ; Paris, 1970-1988,本稿では「OC.」と略す)を参照し、該当箇所の巻数とページ数を記した。引用文の訳出にあたっては邦訳文献も参照した。引用箇所の表記は、邦訳文献をそのまま引用した場合には邦訳文献の該当箇所、ガリマール社の全集の該当箇所の順、既訳と異なる訳を用いた場合にはその逆の順である。

※2 cf. OC. 8, pp. 523-524.

※3 cf. OC. 7, pp. 339-343.

※4 OC. 7, p. 295. 『宗教の理論』湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫,2002年,p. 30。

※5 ex. OC. 7, p. 292, pp. 295-298, p. 301, p. 311, p. 345.

※6 OC. 7, p. 344.

※7 本稿で扱うフレーズへの言及はないが、バタイユにおける窓の比喩については、『魔法使いの弟子』邦訳の「訳者あとがき」も参照されたい(ジョルジュ・バタイユ『魔法使いの弟子』酒井健訳,景文館書店,2015年,50‐70頁)。

※8 cf. Denis Hollier, La prise de la Concorde ; suivi de Les dimanches de la vie : essais sur Georges Bataille, Gallimard ; Paris, 1993, p.104. 〔『ジョルジュ・バタイユの反建築――コンコルド広場占拠』岩野卓司・神田浩一・福島勲・丸山真幸・長井文・石川学・大西雅一郎訳,水声社,2015年〕。

※9 OC. 1, pp. 171-172.

※10 OC. 1, p. 217.

※11 OC. 10, pp. 194-195. 『エロティシズム』酒井健訳,ちくま学芸文庫,2004年,334‐335頁。

※12 『呪われた部分』(1949年)や『宗教の理論』、『エロティスムの歴史』、『至高性』(1953年頃)、『エロティスム』、『エロスの涙』(1961年)などが挙げられる。