第11回大会報告 パネル8

第11回研究発表集会報告:パネル8:テクネーとエピステーメ|報告:髙田翔

日時:2016年7月10日(日)16:30 - 19:00
会場:立命館大学衣笠キャンパス 以学館25号室

機械技術の文化史──ルイス・マンフォードの反時代的アクチュアリティについて
セバスチャン・ブロイ(東京大学)

1942年と下村寅太郎−三木清の技術論
榑沼範久(横浜国立大学)

歴史は螺旋状に前に進んでいる──ヴァルター・ベンヤミンにおける一回性と反復性の抗争、およびその終焉
髙田翔(京都大学)

アンビエンテとコンテクスト:建築家エルネスト・ロジャースの「環境」概念について
鯖江秀樹(関西大学)

【コメンテーター/司会】大橋完太郎(神戸大学)

本パネルでは、「テクネー(技術・知)(τεχνη)とエピステーメー(認識・知)(επιστήμη)」というテーマのもとに発表がおこなわれた。巨大な問いがテーマであったことに加え、今大会唯一、発表者が公募されたパネルであったこともあり、各人の多様な問題関心が反映された発表となった。

パネルの発起人でもあるブロイは、「テクネーとエピステーメー」という問いに向けて思考を導くための、理論言語の模索が急務であると全体の問題提起をおこなったうえで、すでに文化研究の成立史上の存在となったといえるマンフォードとの対話をつうじて、彼が現代よりも広い視野において技術(史)を捉えていた可能性の採掘を試みた。

『技術と文明』(1934)において提出された時計や鉱山についての考察を通過したうえで、ブロイがマンフォードのアプローチから抽出するのは、そうした特定の技術的なものや場所と、エピステーメーや社会組織の変化を結びつけることによって、機械化の歴史や文化的レジームとしての資本主義の歴史を、原初にまで遡行しうる可能性である。それと同時に、ブロイが着目するのは、マンフォードが科学技術の奉仕する最高目的を「生命」に見いだしていたことである。当然そこには、ユートピアに向けた進歩のための技術が、不可避的に内包するディストピア化の可能性が、この場合は生-政治に組み込まれる危険性として頭をよぎることになる。しかし同時に、絶対的な価値指標や宗教的な連想から分離することで、ずらされた「生命」概念を、技術進歩社会における幸福に対しての内在的批判として機能させることで、complexicityの尊重を確保する戦略的な概念装置としうるのではないかという見解を示した。

このようにマンフォードにおける技術へのアプローチの「反時代的なアクチュアリティ」の一端を示したうえで、その相対化のために俎上にあげられるのは、「技術への問い」(1953)におけるハイデガーの、現代における「技術の本質とは現実的なものがそれにしたがって用象(Bestand)として開蔵(entbergen)される仕方である」というアプローチである。両者のアプローチを象徴する語としてそれぞれ、「機械(machine)」と「集-立(Ge-stell)」をあげたうえで、前者をマクルーハンに続く「技術は身体の拡張である」という「主体から世界へ」(ただしマンフォードはそこに社会制度や権力の問題を織り込んでいる点で特異である)というベクトルに、後者を「人間がGe-stellに組み込まれる」という、キットラーのAufschreibesystemeが連なるであろう「世界から身体へ」のベクトルに据えることで、両者の矛盾した関係性、すなわち「machineとGe-stellのアポリア」をどのように捉えるかが自身の今後の課題であるとした。

榑沼は、日本における1942年を、「長短無数の」日常の経験が無記名なままに記載された歴史の「横断面」あるいは地層として切り出したうえで、そこに混在する「長短無数の線の束」としての特異な「現実」を、現在のわれわれとのあいだを取り結ぶ、か細い「通路」としてかろうじて確保し、それにより「横断面」としての1942年の声を聴き取ることを試みる。

まず座談会「近代の超克」(1942)における下村寅太郎の発言を引き、近代科学の実験的方法とは、前近代において人々がデモンの力を拠り所とした「魔術」において欲した、音の保存や空中の飛行といった「自然的に存在していないものを現出せしめること」の実現であると捉えるならば、それはまさしく「人間がデモンになること」であるという観点を導入する。それは、近代において、自然と人間、自然と人工、自然と社会がその独立性を保つ既存の形態を消失し、準-人間や準-自然というかたちで相互に変形し、貫入しあう「機械」として、巨大な「新しい身体」あるいは<世界-機械>の構成要素としての器官になることをも意味している。この「すべてがアモルフ(無定形)」化した混合物たる<世界-機械>においては、「戦争」と「近代都市」というふたつの最前線において顕著に見いだされるように、不可避の「暴力」が作動することになる。

最大の焦点としての、この「暴力」を解除する「通路」を、榑沼は三木清との接続により見いだす。すなわち、三木の『技術哲学』(1942)や『人生論ノート』(1941)を中心とした論考から切り開かれるのは二つの可視化の「通路」である。一方は「アモルフ(無定形)」化した<世界-機械>の「虚無を掻き集め」、「形のないものから形を作ること」で可視化を試みる「技術の芸術化」であり、もう一方は、「自然科学技術」と経営、政治、倫理といった「社会技術」とに介在する過程をはじめとした各所が、「多くの迂路の過程を含んでいる」がゆえに、かえって「手段と目的との連関」が不可視化され、見かけ上自己目的化された技術の恩恵により加速度的に発達するという近代における問題に対して、まさにその「多くの迂路」を可視化することで「諸技術の間に正しい関係を樹立」する試みである。この可視化の「通路」を榑沼は、松本竣介の《ごみ捨て場付近》や吉岡堅二《カリジャティ西方の爆撃》、中村研一《コタ・バル》といったやはり1942年の絵画作品に見いだす。

このように「戦争」や「近代都市」に顕著であると同時に、随所に見いだされる「前線」における問題系という独自の視点を有する三木の問いが、現代において西田幾多郎との過度な結びつけや、あるいは社会技術論者、戦争協力者というレッテルのためにまさに「不可視化」の危機に瀕しているのではないか、という冒頭における問題意識をあらためて浮き彫りにするように、近代哲学以降の「新しい哲学」は「技術批判」の実践論と共にはじまる、という三木の信念を提示することで発表はひとまず結ばれた。

髙田は、ヴァルター・ベンヤミンの論考群を、「一回性(Einmaligkeit)」と「反復性(Wiederholung)」の「抗争」という観点を導入することで再構成するとともに、それにより浮かび上がる「複製技術時代の芸術作品(第二稿)」(1936)における特異な記述に着目することで、そこにユートピア的な「無為なる遊歩者の共同体」とディストピア的な「新たなる人類の到来」の形象を読み取ろうと試みた。

まず「複製技術時代」における「礼拝価値」から「展示価値」への一方通行の遷移としての歴史という見かけの裏に、「一回性」と「反復性」の「抗争」による「重心の相互移動」としての歴史という観点が伏在していることを確認し、それが十年以上前の『ドイツ悲劇の根源』(1924)本論およびその序章である「認識批判的序章」においてすでに見いだせることを指摘した。この観点にしたがえば、たとえば「寓意」が「象徴」に対して優位におかれるという一般的なベンヤミン理解とは異なり、両者は「一回性」と「反復性」として、等しく並び立つ「両極(Polarität)」であると解釈できる。同様に、「ギリシャ悲劇」/「バロック悲劇」、「アウラ」/「アウラの喪失」、「仮象」/「遊戯」といったベンヤミンの論考を様々に貫く対立項もまた、等位の「両極」として捉え返すことが可能となる。

また、この「両極」を踏まえたうえで、『悲劇』における論旨に着目するならば、序章内部、そして本論と序章で記述が分断されていること、すなわち「序章」の大部分における記述が「星座(Konstellation)」や「根源(Ursprung)」の詳述によってクライマックスを迎えた「あとで」、早急に「寓意」や「バロック悲劇」の記述がはじまり、本論に進んでいくことに気づく。この理由は、晩年の「歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)」まで、ベンヤミンにおける救済の最大の方途であり続ける「星座」への『悲劇』における記述から理解される。そこにおいて「星座」の生成に関与するのは、通常『悲劇』の主題とされる「寓意」ではなく、その対立項である「象徴」である。実は『悲劇』以前の「翻訳者の使命」(1921)や「来たるべき哲学のプログラム」周辺の断片(1919)においてすでに、ゲルショム・ショーレムがベンヤミンの「象徴連関」と呼ぶものを「救済」の方途として抽出可能であり、『悲劇』における記述を追うならば、その発展形がまさに「星座」であると考えられる。つまり「星座」は、「寓意」をはじめとする「反復性」によってではなく、あくまでも「一回性」に属する「象徴」をつうじて「経験的なもの(Das Empirische)」が連関することで可能となる「方途」であると解釈可能であるとした。

これを踏まえるならば、「一回性」が徹底的に放棄された複製技術時代においては、逆説的に「星座」の可能性はもはや死滅していることになる。そこでかろうじて取りうる措置として認められるものこそ、「遊戯空間(Spielraum)」であり、その内実の描出が「パサージュ論」や「ボードレールにおけるいくつかのモチーフ」(1939)を補助線とすることで試みられた。それこそ「第二の技術」を擬似器官とし、「視覚的無意識」による新たなる感覚「神経」を全身に張り巡らせた集団的な擬似身体、つまり「プロレタリアート大衆」という「孤独」な「遊歩者」の「無為」の身体集合、共同体である。

しかし、このユートピア的な共同体の形象の裏には、ディストピア的な「新たなる人類」が見いだしうる。つまり、想像力を完全に失効し、代わりに逸脱なく思考し続けることが可能で、「異常心理や幻覚や夢」、「サディズム的な空想やマゾヒズム的な妄想」の一切を「集団的な形象」としてイメージ化―映像化―することで自らの内を空っぽにした人間、時間的にすら孤立し、欲望もなく、夢見ることもなく、器械とイメージに囲まれた、無関心な植物的人間、という形象を読み取りうる可能性を示唆し、発表を終えた。        

鯖江は、イタリア出身の建築家エルネスト・ロジャースの建築論を、環境(l'ambiente)やその周辺概念に賭けられた批評的戦略をつうじ、40年代と60年代の狭間でともすれば見落とされがちな1950年代という舞台上で検証することを試みた。

ロジャースの最も多産な時代として50年代を位置づけたうえで、『建築の経験(Esperienza dell'architettura)』(1958)を中心とした理論の読解や実践の追跡によって鯖江が示すのは、戦前のイタリアにあってはファシズム政権下で展開されていたモダニズムを、あくまでも批判的に継続しようと試みたロジャースの「連続性(continuità)」の意識である。

それはまず、ミラノトリエンナーレ「建築 人間の尺度」展(1951)において、ル・コルビジェのモデュロールにフランチェスコ・ディ・ジョルジョ以来の擬人論のイタリア的伝統を重ね合わせることで、規格化されることのない日常の身ぶりにおける生きた経験、すなわち「人間」性の回復という戦後建築に向けられた要請に応えることで糸口が見いだされる。

ついで、1954年のヴェネツィアにおいて生じたフランク・ロイド・ライト設計のマシエーリ記念館建設の是非をめぐる問題―そこでの争点とは、歴史的な場における景観の問題であり、アメリカの建築家の介入という政治性を帯びた問題であった―をつうじて、「環境」あるいは「環境的先在性(le preesistenze ambientali)」概念が練り上げられる。「環境」とは、鯖江によれば「建築とそれが介入する場との空間的な関係のみならず、歴史という時間軸を重視した概念」であるが、「コンテクスト(context)」と英訳されたことにより、コンテクスチュアリズムとの混同のもと、歴史性という観点が欠落したかたちで、英語圏において不完全に受容されてしまった、アルド・ロッシへと連なるイタリア的な問題系であるといえる。この概念のもとでは、たとえばヴェネツィアらしさとはあらかじめ規定されているのではなく、時間と空間の座標によるコンポジションの、絶えざる交換による産物である。したがって、あくまでも座標の一点にすぎないライトの記念館による介入はむしろ、都市全体を再調整し、新しいものを古いもののなかに順応させる契機にほかならない。

「建築」の役割とは、こうした「人間」と「環境」という問題系を弁証法的に止揚することにあり、それはたとえばTorre Velascaのような建築に見てとることができるという。

くわえてロジャースは、「機能主義(funzionalismo)」による「用(Utilità)」と「美(Bellezza)」の統合の「方法」をこそ「建築」において重視していたという。鯖江はとくに「装飾」における「用」と「美」の観点に着目する。ロジャースの「機能」重視の姿勢に反するように思われる「装飾」が、「ティンパヌムは原始において雨どいであった」というように、ラ・マルクの定向進化説に依拠することで、起源における「機能」性がたとえ「装飾」となろうとも保たれているという観点が導入され、あくまでも「機能」性から読み解かれる。こうして「装飾」もまた、「連続性」に組み込まれることになる。

こうした「人間」、「環境」、「機能」における「連続性」というモダニズム継承のプログラムの内在を、ロジャースの戦略における根幹に見てとるとともに、その「連続性」重視の姿勢が、基礎であるモダニズムそのものの批判に際しては、きわめて脆弱であることを指摘し、ロジャース読解があくまでも1950年代という時代気運において遂行されることの必然性を指摘することで発表は閉じられた。

全体発表後、司会の大橋によって、「テクネーとエピステーメー」という問いには、各人の発表にも明らかなように、歴史(意識)という問題系が深く絡み、「同じことの反復」であるものが同時に、技術の介入とそれが裏にはらむカタストロフィという結節点を媒介として不可逆に進行する、という歴史の両義性を避けることはできないという指摘があった。いいかえるならば反復という同質性がネガとして不可避にもつ、差異という問題意識が共有され、今と重なりながら、今とは異なる問題でもある歴史への様々なアプローチが発表においても見いだされたという総括であった。 その後、各人への大橋からの質問がなされ、ブロイへの「マンフォードにおける進歩の裏側としてのカタストロフィという考えは、近代特有の問題なのか、それともあらゆる時代に適用可能なのか」という問いかけには、「マンフォードにおける歴史観の変遷を指摘したうえで、後年少なくとも古代に対しては、一方ではそれ以前の黄金時代からの堕落、他方では王制下で実現されたユートピアというDualityが見いだされていた」という応答があった。また、フロアからは、ブロイに流線型フォルムという当時のデザイン上の流行とマンフォードの言及する流線型との関係性にかんして質問があがった。

榑沼は、ブロイの議論を引き継ぐかたちで進歩と破局、ユートピアとディストピアを物事の両面と見るにとどまるのでなく、その分割可能性を模索しようという意志こそが重要なのではないかと指摘したうえで、自身に対する「たとえばDNAのような物質的なテクノロジー、管理技術の進展に比して、統治のテクノロジー(へのイメージ)が貧弱であることが、技術的なものの暴走に繋がっているのではないか」という問いもまた、「そうした分割の問題に関係しており、菊池正士による「ウラン原子核分裂エネルギー利用研究計画案」や広島、長崎への原子爆弾投下においてはたしかに統治を超えた「異質なもの」の問題が見いだせるだろう」とした。また三枝博音をつうじた、「鉱山が国家権力やその統治からのアジール、自律統治空間としても機能し、近代においても異物性をはらんだ場所であった」という視点からマンフォードとの接続のもと、それが兵器にも当然利用され、「前線」に結びつくことを指摘するとともに、三木のマニラにおける「前線」体験こそまさに「統治の技術」を思考する試みであったとした。

髙田は、「植物的な人間というラディカルな形象がほんとうにベンヤミンの目指したものなのか」という問いに対して、これまでの議論を踏まえるかたちで、ユートピア的な解釈とともにディストピア的な解釈が可能であるならばそれを提出したうえで、「実践」に耐えうるものをいかに抽出するかが重要ではないかと述べた。くわえて、こうしたディストピア的なものが「複製技術時代」においてより具体的な形象として読み取ることが可能であることの一因は、マルクス主義的な、現状における実践、という問題系の浮上にある可能性とともに、そもそもユダヤ的なメシア思想における没落としての進行という歴史観が、主にショーレムをとおして初期からベンヤミンに流れ込んでいた可能性を示唆した。

鯖江には、「道具制作から装飾制作への、用から美への「連続性」は、何らかの変質が介在しなければならない非-直接的なものではないか」という問いがなされ、たしかにそれがロジャースの理論におけるひとつのほころびであることを認めたうえで、そうした破れを呑み込んでまで押し進められた理論と実践の背景には、乗り越えねばならない1920年代モダニズムという「ロゴス(λογος)」の存在があったとした。語義的な遡行によって、ロジャースの重視する「環境的先在性(le preesistenze ambientali)」の「preesistenze」とは、キリスト教神学の文脈では「受肉以前」のキリストを指すことを指摘し、それがまさしく「ロゴス(λογος)」に対応するとしたうえで、その批判的乗り越えがロジャースをして、強引なまでの理論化に向かわせたとした。

このように考察対象ひとつとっても、アメリカ、日本、ドイツ、イタリアと一見すると統一性を欠いている、とはいえ、各発表に対して、何らかの共接線を引くことも不可能ではないだろう。たとえば、ブロイの提出した「machineとGe-stellのアポリア」を、主体に対する求心的ベクトルと遠心的ベクトルのアポリアとみなして軸に据えるならば、一見類似している榑沼と髙田における集団的な「身体」という議論も、前者が<世界-機械>というかたちで身体が遠心的に回収されるのに対し、後者はむしろ身体のまわりに蒐集される事物という求心性に属するだろう。同様に鯖江における、「人間」-「建築」-「環境」という「連続性」は、遠心的なものとひとまずはいいうる。        

とはいえ、発表者に最も本質的に共通していたのは、現代における「テクネーとエピステーメー」の再考を図るうえで、その起点を直接に現代の議論に求めるのではなく、あくまでも一度受容され、ともすれば主要な議論においてはすでに忘れ去られつつある1930年代から50年代における「時代の産物」に求めようという姿勢ではなかろうか。つまり、「テクネーとエピステーメー」という普遍的、非-歴史的な問いを、すでに歴史的なものとして回収されつつあるものに再度焦点を結ぶことで、探り当てようという、それ自体ある種「考古学」的な、あるいは「反時代的なアクチュアリティ」の身ぶりである。それは榑沼が引用するところの三木の言葉を借りるならば、「あらゆる問は必ず問い直されねばならぬ」という意思に貫かれていたともいえるだろう。

髙田翔(京都大学)

【パネル概要】

いわゆる現代の情報技術のみならず、より古典的な機械技術も含めての「テクノロジーの歴史的発展」において、テクネー(技術・知)とエピステーメ(認識・知)における地殻変動は常に連動した形で現れる。例えば「時計」を例にとるなら、ごく単純なメカニズムであるにもかかわらず人間社会における世界認識を覆す機械が誕生したと言える。同様に、20世紀冒頭に現れるメディア技術もまた、見る・聞く・書くことの条件を深く変化させたと考えらえる。しかし、技術的アーテファクトを中心とする歴史分析がしばしば「決定論」的傾向に走りがちだったことも周知の事実で、その問題は、エピステーメとテクネーの相互作用が一方的に後者の特徴から論じられたことに因る。他方、技術が文化や社会の意思に従う「構築物」に留まらないことも広く共有されている理解である。

技術を「道具」として操りながら、われわれの主体性、夢や欲望は技術環境のなかで形成される。とするなら、技術決定論と社会構成主義のアポリアに捉われない理論的展望はますます期待される。そもそも、テクネーとエピステーメの歴史的関係を「対立」として捉えるべきなのか。これら問題を巡って、パネリストはそれぞれの観点から議論を行う。

【発表概要】

機械技術の文化史──ルイス・マンフォードの反時代的アクチュアリティについて
セバスチャン・ブロイ(東京大学)

本発表は、ルイス・マンフォード『技術と文明』の再考を通じて、われわれの現代社会をとりまく技術環境を歴史的に分析するための理論的展望を探る。その核心的な問題関心は、技術の歴史的展開が、単なるアーテファクトや道具を生み出すのみならず、テクノロジカルと呼べる思考様式(Denkform)と生活様式(Lebensform)の誕生と深く結びついている点にある。

マンフォードの分析では、「時計」を初めとする様々な機械技術が文化に残したインパクトとともに、歴史上の文化様式が技術に残した「かたち」が、相互に関連しあうものとして考察される。なかでも注目すべきは、このような「技術複合体」(Technological Complex)の発展に伴う社会的統御のレジームである。鉱山・工場・戦場という、20世紀における「軍産複合体」の誕生を兆す歴史的風景の中で、進歩と破局の弁証法は絶えず繰り広げられる。そして、この渦の深部で動く「マシン」は、人体と物体の区別が働かないゆえの強力な連結作用を成り立たせる、「知」と「権力」の結節点に他ならない。

このマンフォードの機械文明論は、フーコーを初めとする多くの批評的歴史家の先駆として、技術と組織と権力の問題に鋭い視野を切り開いたが、また同時に、自らの時代の思潮に束縛されたものでもあった。発表の最後では、マンフォードの論が基づく概念のアーキテクチャーに焦点を当て、マルクスに遡る「疎外論」の系譜や、19世紀の生気論に根ざす「生命」の形而上学の痕跡を浮き彫りにしつつ、今日的な技術環境を歴史化するためには、いかなる理論的展望が必要かと問いかけてみたい。

1942年と下村寅太郎−三木清の技術論
榑沼範久(横浜国立大学)

原子核分裂によって宇宙の力を捕獲しようとする諸国家の計画が水面下で進行するなか、1942年7月の座談会「近代の超克」にも参加した菊池正士は、同年12月、「ウラン原子核分裂エネルギー利用研究計画案」を作成する。「近代の超克」では下村寅太郎が、機械を器官とする巨大で精緻な「新しき身体」を捕捉すべく、空前の規模で実験される政治社会的・国家的・神学的方法の必要性を唱えていた。「新しき身体」の要求する危機をめぐる下村の認識は、『一方通行路』のヴァルター・ベンヤミンを彷彿とさせるものだ。他方、三枝博音は1942年3月、編者として『日本科学古典全書』の第1回配本(『産業技術篇採鉱冶金1』)を果たし、三木清は陸軍宣伝班員として南方のマニラに赴任する直前の同年1月に単著『技術哲学』を刊行して『構想力の論理』(1939年)の技術論を補強していた。そして1942年12月には、ルイス・マンフォード『技術と文明』の訳書(三浦逸雄訳)が出る。拡張する十五年戦期の日本・技術論の焦点として「1942年」を選び出しつつ、本発表は三木清の技術論の再読に向う。三木は「複合的行動」の「形の発明」として技術一般を定義するにとどまらず、「多くの迂回の過程」を含んでいるにもかかわらず、その集合的・社会的過程を不可視化することで発達を加速させる「政治」「歴史」に近代技術の特徴を見出していたのだ。こうした三木の技術論は「戦闘の方法」よりも「和解の方法」としての技術を根底に、人間史と自然史との「統一」をはかることにも向けられている。

歴史は螺旋状に前に進んでいる──ヴァルター・ベンヤミンにおける一回性と反復性の抗争、およびその終焉
高田翔(京都大学)

ヴァルター・ベンヤミンによる「複製技術時代の芸術作品」は、技術と芸術作品の知覚との関係にかんする考察として、現在に至るまで様々に言及されている。そこに描出されているのは、芸術作品に礼拝的価値を見いだす古代からの傾向が、技術の進歩とそれに伴うアウラの喪失によって変容し、展示的価値とよばれる新たな価値へと移行するという、ある種の単線的な進歩史観であるというのが、これまでの一般的な見解である。だが、ベンヤミンの著作群を貫く「一回性」と「反復性」の相互作用という観点を挿入するとそこには、絶えず繰り返される人間の二つの知覚形式の「抗争(Widerstreit)」としての芸術史、という特異な歴史観が前提とされていることに気付く。この歴史観をつうじてはじめて、「複製技術時代の芸術作品」が、歴史における「抗争」の決着の場について考察されている希有な作品であることならびに、ベンヤミンにおける「進歩」が「永劫回帰」の対立項として、とくに後期の著作群の根幹を占めていることが理解される。

本発表ではまず、ベンヤミンの著作群から、先述の「一回性」、「反復性」という語彙を抽出し、それらの「抗争」という視点を導入する。そのうえで、「複製技術時代の芸術作品」を中心とした後期の著作を精査し、「抗争」へと与える影響をつうじて「進歩」の解明を試みる。くわえて、技術の「進歩」に完全に適応した「新しい人類」への言及に着目することで、ベンヤミンが「進歩」の先にみた可能性を明らかとしたい。

アンビエンテとコンテクスト:建築家エルネスト・ロジャースの「環境」概念について
鯖江秀樹(関西大学)

本発表では、建築家グループ「BBPR」の中核を担ったエルネスト・ナーサン・ロジャース(1909-1969)が、戦後イタリアの建築論争のなかで提起した「環境(ambiente)」の歴史的意義を検討する。エイドリアン・フォーティは『言葉と建築』(2000)において、この理念が「コンテクスト(context)と英訳されたがゆえに、この国の現代建築が「コンテクスチュアリズム」と混同されてしまったと指摘している。加えて、建築・都市の「記憶」に執着したアルド・ロッシの思考には、ロジャースの「環境」に対する強い批判意識が働いていたという。こうした理解の食い違いがあるとするなら、1950年代に《カーサベッラ-コンティヌイタ》誌で展開されたロジャースの建築理論を現代建築史の文脈のなかで改めて検討する価値があるだろう。

そもそも「環境」なる語は、それを語る論者によって異なる意味づけを与えられる曖昧な概念であった。批評用語としてそれが「復興」や「開発」、「インスタレーション」や「実験」、さらに現在一般化したエコロジー的意味に分岐・定着していったのが1970年代だとすれば、こうした国際的なデザイン史・社会史を視野に収めながら、ロジャースの「環境」を問い直す必要もある。「奇跡」とも謳われた経済復興を遂げ、アメリカ的な消費文化が急速に浸透していくイタリアにおいて、ひとりのモダニストがモダニズム建築をいかに再構築しようとしたのか──上記ふたつの観点から議論してみたい。