第11回大会報告 企画パネル

第11回研究発表集会報告:企画パネル:デヴィッド・ボウイの宇宙を探査する|報告:福田貴成

日時:2016年7月9日(土)16:30 - 18:30
会場:立命館大学衣笠キャンパス 以学館1号ホール

高村峰生(神戸女学院大学)
當間麗(青山学院大学)
田中純(東京大学)

〈コメンテーター〉佐藤良明(放送大学)
〈司会〉北村紗衣(武蔵大学)

2016年1月10日、アルバム『★(ブラックスター)』のリリースから間もなく届いたデヴィッド・ボウイの訃報は、「偉大なるロック・スター」の突然の死としてひとときメディア上を賑わせ、凡百の「スター」たちの死と同様、その情報は追悼の名のもとに消費の対象となった。しかし同時に、そうしたマスメディアの喧騒を離れて、その生の切断は『★』というラスト・アルバムを浸している死への予感を遡行的に浮かび上がらせ、音と言葉とで磨きあげられたこの黒い星に独特の翳りと耀きとを与えることとなった。1967年以来およそ半世紀にわたって、この特異な「スター」が目眩く変幻のうちに浮かび上がらせてきた星座の布置は、一体どのように把握されうるのか。この「地球に落ちてきた男」が残した星々の光芒とは、一体どのように語られうるものなのか。「宇宙探査」になぞらえられたこのパネルでは、「アメリカ」「ファッション」そして「死」という相異なる切り口からボウイの多面的な活動が振り返られ、われわれをつねに眩惑してきたこの稀代のスターの決して掴みやすくはない錯綜したキャリアの軌跡に、或る輪郭を与えることが試みられた。

ボウイにとってのアメリカなるもの──すでに雑誌『ユリイカ』のデヴィッド・ボウイ特集掲載の論考(※1)においてこの問題を前景化させ、遺作『★』に落とされたエルヴィスの影について刺激的な仮説を提示した高村峰生は、ここでは1973年の「Panic in Detroit」(アルバム『Aladdin Sane』収録)に焦点をあてることで、アメリカとの邂逅がボウイのキャリアにおいてどのような意味を持ったのかから議論を出発させ、ボウイにおける「リアル」と「フェイク」との捩じれた関係の考察へと論を進めていった。

『Ziggy Stardust』(1972)リリース後のツアーでアメリカに上陸したボウイに「アメリカなるもの」の感触をリアルに伝えたのは、「モータウン・サウンド」に代表される黒人音楽の街デトロイトとの出会いであり、「Panic in Detroit」という楽曲には、その出会いがやや捩れたかたちで表出されている。高村は、「Panic in Detroit」のサウンドに刻印されたデトロイト的な「黒さ」をひととおり確認したのち、1967年の「デトロイト暴動」に取材したはずのこの曲が、歌詞の水準においてはその暴動のリアリティを──ひいては同時代のアメリカのリアリティを──いっさい欠落させてしまっていることに注意を促す。現実に起きた大規模な暴動をテーマとしながら、そこでは公民権運動も左翼運動も、いっさいの政治性が揶揄の対象となっている。「60年代的」と言うべき音楽の政治性は、ここではボウイ一流の批評性によってクールダウンされてしまい、政治的であることそれ自体がすでにフェイクでありまた商品に過ぎないことが、まさに「アメリカンな」サウンドに乗せて皮肉交じりに歌われているのだ。高村がここに見るのは、60年代という政治の季節からの「遅れ」、そしてカウンター・カルチャーからの明白な「遅れ」によってもたらされた、「フェイクであること」へのボウイの透徹した意識である。この意識は、まさに「アメリカ」をタイトルに冠した『Young Americans』(1975)において、あらゆる真正性から距離をおいて演じられるフェイクとしてのソウル・ミュージック──それをボウイは「プラスティック・ソウル」と呼んだ──というかたちで、より身体化されたかたちで表出されることになるだろう。

同一性の不在を生きるデラシネの身体。それはロック・スターとしての名声すなわちフェイムすらもまたフェイクであるという空虚をボウイに突きつけ、彼はその空虚を真剣に演じ、「フェイム」と「フェイク」とが形づくるメビウスの帯の上を、まるで綱渡りするかのように生きたのである。そのことを確認したうえで高村は、『Young Americans』期に録音されながら結果的にアルバム未収録となった「Who Can I Be Now」という楽曲に着目しながら、あたかも自身のアイデンティティを問うかのようなこの楽曲のうちに、「フェイクの人」としてのボウイ像に亀裂を入れるひとつの徴候を見出す。フィリー・ソウルのスタイルをもって歌われる「自分はリアルでありうるだろうか?」という問いかけに高村が聞き取るのは、「イメージ」と「リアル」とのあいだに引き裂かれた、ボウイの「実存的不安」と言うべきものだ。この曲がアルバムから消えた原因が、まさに「フェイクとしてのフェイム」をテーマとしたプラスティックなファンク・ナンバー「Fame」の収録にあった、というのもまた暗示的である。

限られた一時期におけるボウイとアメリカとの関係に焦点をあわせることで、高村は「フェイク」の人としてのボウイ像に奥行きを与えるとともに、そのパブリック・イメージ自体をメタレヴェルから批評したと言えるだろう。はたして高村なら『Let’s Dance』(1983)によって勝ち取ったアメリカを含む世界規模での「フェイム」をどう評するのだろう──そのような思いも抱かせる発表であった。

つづく當間麗は、ファッションの観点からボウイの活動遍歴を振り返り、「新しく」「ファッショナブルな」イメージによって広く流布されることとなった「Life is Style」というメッセージの正当性、そして信憑性をあらためて問い直した。彼女はボウイの活動期を「模索期(60年代)」「創造期(70年代)」「名声期(80年代)」「成熟期(90年代)」に分けられる「物語」と仮定したうえで、このうち特に「模索期」と「創造期」に着目しつつ「ボウイ・スタイル」の原点を探ってゆく。典型的なモッズ・スタイルを纏ってデビューした彼は、トム少佐という決定的なキャラクターを生み出す頃(『Space Oddity』1969)にはモッズから抜け出し、よりカラフルなファッションに身を包むようになる。當間によれば、その背景には同時代の「ピーコック革命」、そしてそれによって進められたメンズ・ファッションの女性化傾向という新しい動向があった。そうしたファッションの変化は、『The Man Who Sold the World』(1970)のジャケットにはっきりと見て取れるように、「両性具有」的なイメージとして表出されることとなる。

ジェンダー・ベンダーとしてのボウイ。當間はそれを、より包括的に「二項対立の破壊」「境界線の超越」として捉え、それこそが既成の価値観を破壊し、あらたな価値観をつぎつぎに創造する彼の70年代の活動を導いたと考える。そこから生み出されたのが、「Ziggy Stardust」「Aladdin Sane」「Halloween Jack」「Thin White Duke」という4つのキャラクターだ。當間は、Ziggyのファッションへの『時計仕掛けのオレンジ』の影響や、Aladdin Saneの稲妻メイクへの写真家ブライアン・ダフィーやメイクアーティストのピエール・ラローシュの関わり、そして山本寛斎がボウイのためにデザインした衣装の数々など、この期におけるボウイ・スタイルを成立させていた表現(者)たちのネットワークを、ヴィジュアル資料を用いながら次々と顕在化させてゆく。また、Thin White Dukeというやや地味にもみえるキャラクターの背後に蠢いていたカバラへの傾倒やファシズムへの関心など、「スタイル」という表層の陰にあったボウイの思想にも光が当てられた。

はたして「Life is Style」というメッセージ、そして「ファッショナブルなポップスター」というイメージは正当なものであったのか。70年代までの「ボウイ・スタイル」を振り返ったうえで、當間はこの問いに「否」と答える。そのかわりに見出されるのは「人生をひとつの舞台と見なし、自分自身の一貫した物語をとおして意義あるメッセージを伝える」ひとりのアーティストの姿だ。しかしその「一貫した物語」とは、或る「成功した」イメージへの拘泥を意味するのではもちろんなく、既成概念の度重なる破壊とあらたな価値観の絶えざる創造によってつねに賦活しつづけられるものに他ならない。ボウイの作家性を尊重しながらも、それを同時代の人的ならびに表現上の関係性のなかに置き直しながら進められる當間の議論は、「イメージとしてのボウイ」に纏いつくヴェールを丁寧に剥がしてゆくという点で啓発的だったと思う。個人的には、トム少佐をみずから殺した(「Ashes to Ashes」1980)のと同時期、『Let’s Dance』(1983)によって「名声期」へと突入する前に発表された「ファッショナブル」とは言い難い詰屈したファンク・ナンバー「Fashion」を──ロバート・フリップのメタリックかつフリーキーなギターとともに叫ばれる「右向け右!」の声を――當間ならどう位置づけるのか、ぜひ聞いてみたいという思いを持った。

自身によるかつてのボウイ論(※1)と同じく、「ロッカーの死」をシニカルに論じたグリール・マーカスのエッセイ「1970年代のロック・デス──賭け金の配当」(1979)への言及から始められた田中純の発表は、ボウイにおける「死」の意味を、その肉体の消滅に至るまでのキャリア全体を俯瞰しつつあらためて問い直すものであった。

『Ziggy Stardust』(1972)において幻想のロック・スターとその死を批評的に演じて以来、ボウイの作品において「死」はつねに重要なモチーフをなしてきた。と同時に、みずからの纏うさまざまなキャラクターたちにその都度「仮死」の儀礼を通過させることによって、彼が晩年に至るまで繰り返し問うてきたのは「生き残り survival」の技法と言うべきものであった。田中は、その一貫した「生き残り」の問いの底流へと視線を注ぐ。

ボウイの作品歴における死の予感の具体的な浸潤を、田中は世紀転換期に発表された二つのアルバム、『'hours...'』(1999)『Heathen』(2002)のうちに聴き取り、それをエドワード・サイードの唱える「late style」すなわち晩年様式という概念によって捉え直す。Lateness(晩年性)とはなにか。それは、生命の終わりへの意識のなかで、自身が身につけまた他者からも独自のものとして認容されているスタイルから脱却し、あらたなスタイルを作り出そうとする運動の謂いである。その点で late styleとは「エグザイル(亡命者)の形式」と呼ぶべきものであり、そこで「サヴァイヴ」することとは、「容認されたものや正常なものを超えて生き延びる」ことを意味する。ボウイがそのキャリアを通じて幾度も繰り返してきた「Change」とは、いわばおのれからの超脱そして亡命というべきものであり、とするならば、彼のキャリアはその初期から一貫して「lateness」によって浸されていたものとして把握されることとなるだろう。

結果として最晩年の作品となった二つのアルバム『The Next Day』(2013)と『★』のうちに、田中は、そうした「絶えざるサヴァイヴァル」としての「Late Style」からすら抜け出した、或る異形のスタイルを見出す。亡霊化したみずからの顔貌がかつてのキャラクターの抜け殻に投影され(「Love is Lost」MV)、また生死の揺らぎをみずからの身体のうちに住まわせる(「Lazarus」MV)表現のうちに彼が観取するのは、「Lateness」の深化としての「Nachlebenのstyle」である。ヴァールブルクを参照しつつ召喚される「Nachleben」の語が示すとおり、それは「生き残り survival」でありかつ「死後の生afterlife」への予感を孕んだ様式である。過去にみずから演じたイメージたちに差し向けられたインデックスであり、またみずからの肉体的な消滅ののちに残されるであろうイメージへの予感でもあるようなstyle。そこで「死」は、かつてマーカスが示した「ロック・デス」の諧謔によっては把握することのできない色彩を帯びる。それは単なる「生」の否定ではなく、それ自体として肯定されるべきものとして、われわれの視界に浮上することとなるだろう。と同時に「生」もまた或る否定性とともに、翳りを帯びて把握されることとなる。

言及される楽曲のあざやかな投入、そして語りとなめらかに接合するヴィデオやテクストの投影によって紡がれた田中の発表は、ボウイという傑出した知性の残した「Sound & Vision」を、そのパフォーマンス自体によって批評する試みであったとも言えるだろう。その批評行為は、ゆるやかに遠ざかる “Dreaming my life, away...” (「If I'm Dreaming My Life」1999)と歌う声のフェイドアウトとともに閉じられていった。そこに歌われる「life=生」の響きのうちに彼が聴き取るのは、「われわれを鼓舞してくれる痛々しいほどの哀切さ」だ。この哀切の響きの残存こそが、同時代のボウイ・リスナーたちの「サヴァイヴァル」を、長きにわたって支えてきたのであろう。筆者の耳には、 “Don’t you know you’re life itself!”(「Wild is the Wind」1976)と歌いあげる声のメタリックな翳りが──かつてニーナ・シモンのピアニッシモが湛えた深い諦念とはまた違ったかたちで──死に浸された生の哀感を聴くようにも思われ、殊のほか印象に残った。と同時に、「声」という生の痕跡の汲み尽くしがたい謎について、田中がボウイに寄り添いつつ展開するであろう今後の考究に強い期待を抱いた。

三つの観点から進められたこの「宇宙探査」は、ちょうど天球に描かれた星座に三次元的な奥行きを与えるための観測作業になぞらえられよう。そこにホログラムのように浮かび上がったボウイの立体像は、少なくとも筆者にとってはこれまで見たことのない形態をなすものであり、それはこのパネルの一定の成功を証し立てているように思われた。その立体像の複数の頂点を結びあわせることで、この先に一体どんな宇宙が見えてくるのか。たとえば田中によるlate styleそしてNachlebenのstyleの発見を、當間のいうボウイ・スタイルの「一貫した物語」へと接続し、或いは高村のいうフェイクとフェイムの捩じれた関係を「サヴァイヴァル」の論理と接続することによって、ボウイの宇宙は一体どのような様相をみせることになるのか。ここから始まるであろう、ボウイというひとりのアーティストの死後の宇宙をめぐるさらなる探査に期待したい。

福田貴成(首都大学東京)

[脚注]

※1 高村峰生「星条旗の(黒い)星〔ブラックスター〕のもとに デヴィッド・ボウイと「アメリカ」」『ユリイカ』2016年4月号、青土社、2016年、 146-155頁。

※2 田中純「自殺するロックンロール──デヴィッド・ボウイにおけるロック・イデオロギー」、『政治の美学──権力と表象』、東京大学出版会、2008 年、98-137頁。

【パネル概要】

2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが69歳で他界した。その2日前である1月8日に最後のアルバムとなる『ブラックスター』がリリースされたばかりであった。新アルバム発売によって衰えぬ創作意欲をファンに示した直後の死であったため、その訃報は大きな衝撃をもって受け入れられた。

本パネルは、デヴィッド・ボウイの業績を総括するといういささか野心的にすぎるとも言える試みである。ボウイは宇宙飛行士の声をまとってファンの前に現れ、黒い星となって宇宙に帰還するまで、宇宙人や伊達男、英雄やピエロなどのさまざまな役割を演じた。コンセプトに応じてサウンドもペルソナもがらりと変えるボウイのキャリアは極めてヴァラエティに富むものであり、さらにその表現が音に留まるものではなく、ダンスや映像やファッション、また発言なども含めた総合芸術であったことが、ボウイの業績全体を評価することを困難にしている。ボウイは幅広く芸術に影響を与えたアーティストとして高く評価されている一方、その芸術はしばしば敬遠され、無理解にさらされている。さらにボウイを愛聴していたファンであっても、特定の時代のボウイのパフォーマンスについてはよく理解できるが、それ以外の時期のボウイの音楽性についてはなかなか把握しきれない、というようなことも起こりがちである。こうしたことは、ボウイの芸術がひとつの軸ではうまく切り込めないような、変幻自在でジャンルを超越するものであったことに起因するであろう。このパネルにおいては、ボウイの1967年から2016年まで続いたキャリアをそれぞれの作品が有機的につながる宇宙として包括的にとらえ、かつ複数の角度から分析することによって、その総括に少しでも近づきたい。