新刊紹介 | 翻訳 | 『獣と主権者II』 |
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佐藤嘉幸、ほか(共訳)
ジャック・デリダ(著)
『獣と主権者II』
白水社、2016年6月
本書はデリダの2002-2003年講義の記録であり、そのころデリダが得た深刻な病によって、彼の生涯最後の講義となった。 『獣と主権者II』の主たるモチーフは、人間と動物の差異の脱構築であると同時に、国家の暴力、主権の暴力への批判である。その点を理解するためには、前年度の『獣と主権者I』に続く本講義が、9.11同時多発テロを受けて、ブッシュ政権がイラク戦争を準備していた時期に行われたものであることを想起する必要がある。実際、イラク戦争は第9回、第10回講義の間、2003年3月20日に開始された。本書が取り上げるデフォー『ロビンソン・クルーソー』とハイデガー『形而上学の根本諸概念 世界・有限性・孤独』という「奇妙なカップル」は、アメリカという「孤島」の過剰主権(Walten)、孤立主義(孤独)について思考する、という方向性に従って選択された。
こうした観点からデリダは、とりわけハイデガーにおけるWalten(支配)という概念に注目する。Waltenとは、人間に固有な存在論的差異を作り出し、ロゴスに到達できる能力を与える、根源的な存在論的暴力、権力のことである。従って、現存在、さらには国家は、本源的な暴力性によって貫かれている。デリダは、Waltenに関するハイデガーの思考を緻密に追いながら、講義の最後において、主権の暴力性を限界づけ、失敗させるのは「死」である、と指摘するだろう。これを、死を賭した抵抗のみが主権の暴力性を失敗させうる、と解釈するなら、このデリダの「遺言」は、最晩年のフーコーが提起した「パレーシア」、すなわち、自らを死の危険に曝しつつ、権力に対して「本当のことを言う」という抵抗行為に限りなく接近する。こうして、デリダは最後の瞬間に、フーコーの権力理論に近接するのである。
また、死をめぐるテーマから本講義全体を振り返ってみれば、死のモチーフは、ロビンソンの「生きたまま埋葬されること」という幻像として、火葬か土葬かの選択という「近代性の本質的で特有の」問いとして、執拗に反復されていた。その意味で本講義は、デリダがその最晩年に、人間と国家の暴力性、残虐性とともに、死の問題を執拗に取り上げた講義として、長く記憶されるだろう。(佐藤嘉幸)