新刊紹介 単著 『日中映画交流史』

劉文兵(著)
『日中映画交流史』
東京大学出版会、2016年6月

本書は、博士論文に基づいた『映画のなかの上海』(慶應大学出版会、2004年)にはじまり、『中国10億人の日本映画熱愛史』(集英社文庫、2006年)、『証言 日中映画人交流』(集英社文庫、2011年)、『中国抗日映画・ドラマの世界』(祥伝社新書、2013年)らの一連の著作に結実してきた劉文兵の日中映画交流史研究の、ひとまずの集大成と呼べるだろう。日本占領下上海のいわゆる「孤島」時代から語り起こし、満州映画協会におけるプロパガンダとしての文化映画である「啓民映画」から冷戦期の文化交流へと進み、1980年代の中国における熱狂的な日本映画の受容から日中合作の試みと成果、高倉健らのスターダムとその中国への大きな影響を分析し、ホワイトカラー層の確立とトレンディドラマを論じる最終章へと繋がってゆく。

劉文兵は聡明である。これまで、劉の聡明さは、「表象のポリティックス」の戦略を取りつつ決して「ベタ」にならない優れた解釈に顕れてきた。例えば本書でも『中国10億人の日本映画熱愛史』に続き、少年期に体験したポスト文革期の日本映画ブームについて詳述しているが、決して「実感」に居直ることなく、政治的・経済的文脈を導入して説得力のある歴史=物語を立ち上げている。例えば『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓、1974年)がセンセーショナルな題材にも拘わらず中国での上映を許され、大人気を勝ち取ったのは、最も抑圧されてきた者が真実を語るというレトリックが中国共産党の思想教育における「告発」と似ているからで、女性史家(栗原小巻)がかつての「からゆきさん」(田中絹代)にインタヴューするという枠構造も、共産党による労働者の聞き取り調査などと親和性があるという(171-72)。実に面白い。

しかし、私見では、本書が集大成でありつつも今後の展開を予期させるのは、 戦前・戦中の上海や満州についての映画史研究ゆえであり、ここからは聡明な歴史家・劉文兵の面立ちが新たに浮上してくる。『証言 日本映画人交流』が示したように、稀代のインタヴュアーである劉は、語る主体の饒舌と沈黙、言表行為の場における権力関係に対して、極度に繊細な感受性を具えている。このようなオーラルヒストリーに対する知的な態度が一次資料を丹念に追う歴史記述へと結実し、この方法論=倫理学は、「当時の中国映画人の沈黙の声に対して、われわれ後世の映画史研究者がなすべき作業とは、それらの声をいわば腹話術的に代弁することではない。それは、歴史研究の手続きをしっかり踏んだうえで映画史の細部を検証することをつうじて、証言者の沈黙を含めた歴史的対象としての上海映画そのものをみずからの記述のなかへと君臨させることではないだろうか」(63)という渾身のパッセージに分節化されている。李香蘭の中国人への人気の理由を実は日本人であったからこそ可能だった天真爛漫さに帰し、「たとえば、日本滞在中に観た歌舞伎『勧進帳』の表現のおかしさに思わず吹きだした等のネタを上海のメディアに面白がって話すのも、おそらく彼女にしかできないことだった」(2)と指摘するなど、小ネタ解釈も相変わらず冴えているが、この面白さもまた、言説空間に対する洞察に支えられているわけだ。(木下千花)

劉文兵『日中映画交流史』東京大学出版会、2016年6月