新刊紹介 単著 『ハンナ・アーレント 世界との和解のこころみ』

対馬美千子(著)
『ハンナ・アーレント 世界との和解のこころみ』
法政大学出版局、2016年4月

構造・記号・力といった脱人間的な概念を駆使してきたいわゆる現代思想が息切れを見せて既に久しい現在、古典的な近代を形成してきた世界・言語・人間などの語が再び重みを回復して来ることはほぼ必然の成り行きに違いないが、そうした流れの中でとりわけ存在感を増しつつあるのがアーレントであるということもまた広く認められるところであろう。彼女によると、二度の世界大戦を起こしてしまった現代とは「公共性の空間が暗くなり、世界の永続性が疑わしくなって、その結果、人間たちが、自らの生活の利益と私的自由を適切に考慮に入れてくれることしか政治に求めないことが当たり前になってしまう時代」(「暗い時代に人間性について」、本書9頁)であるが、しかしそれでもなお「世界との和解」を目指して思考し続けた人こそまさに当のアーレント自身であった。初期から晩年に至る著作の比較的自由な再構成を通じて、本書はこのことを示さんとする。

「アーレントにとっての世界との和解とは、主に共通世界との和解、私たちが生きている現実との和解、個人の人生で起こったことの和解という側面から捉えることができる」(6頁)と言う著者は、言語、思考、構想力、文学という四つの切り口からこの三つの和解に関するアーレントの思想を腑分けして行く。そしてこれらを束ねる働きとしてとりわけ枢要な位置に置かれているのが、構想力である。「構想力とは、物事をそれにふさわしいパースペクティヴと距離から見ることを可能にする働き、つまり「何かから距離をとることと他者との深淵に橋を架けること」を可能にする働きである。それは、単なる空想や想像ではなく、物事の「意味」を理解するための明晰な判断力、最高の理性の働きである」(15頁)。構想力〔Einbildungskraft〕とは、現実的な感覚から離れて可能的なものを前もって形成〔bilden〕する能力であり、この能力を等しく持つ者たちのみが他者との「共通世界」を構築することができ、そして可能性の制限としての「現実」や、その現実の内部で「個人」に割り当てられる運命的な位置を理解することができるのである。世界との和解は構想力の陶冶にかかっており、それを実現するのは文学の仕事である。これだけならば、古き良き教養〔Bildung〕主義の呼び戻しで終わってしまうかもしれない。

ところが本書の興味深い点は、他でもないその「構想力」の語自体に宿る流動性を図らずも開示してしまっているというところにある。著者は最終章で次のような注を付さざるを得なかったのである。「アーレントの英語著作に表れる “imagination" という語は、基本的に、カント哲学における「構想力」の影響の下で、とりわけ「脱感覚化の働き」との関連で用いられている場合は「構想力」、一般的に文学に関わると考えられる文脈で用いられている場合には「想像力」と訳す。ただアーレントの文学に関する考察では「構想力」と「想像力」の意味を厳密に区別することは難しい」(297頁)。ドイツ語と英語それぞれで閉じた文章においては、Einbildungskraft と imagination の差異は現れない。その一方で、日本語(漢語)で書かれたテクストでは両者の重なりと相互翻訳可能性が引き裂かれてしまう。想像力と構想力とを理解するとき、私たちの(という個体への帰属可能性自体が問題だが)構想力と想像力そのものはどのように働いているのだろうか。そしてそもそも両者の構造的関係はいかなるものなのか。ギリシア-ヘブライの伝統に深く根ざすアーレントのテクストを前にして時に多少の疎外感めいたものを覚えるかもしれないアジア人の読者にとって、こうした問題は全体的にヨーロッパ化した(ということはつまり再び融解しつつある)世界との和解可能性を考える一つの手がかりともなりうるだろう。(串田純一)

対馬美千子(著)『ハンナ・アーレント 世界との和解のこころみ』法政大学出版局、2016年4月