新刊紹介 | 単著 | 『天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔』 |
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岡田温司
『天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔』
中公新書
「神は死んだ」。「だが、天使は死なない」。そう、かもしれない。この夏、鴻上尚史は代表作『天使は瞳を閉じて』を都合五度目の舞台に掛ける。他方、無数のアニメ作品から三ヶ月ごとに選ばれるヒロインは、ハッシュタグ「#○○マジ天使」のもとに賛美され続けている(その端緒は2010年の「#天使ちゃんマジ天使」である)。まるでフリッカーのように消滅しては生成する現代の天使たちは、はたして何なのか。五章構成の本書は、こうした問題にたいして興味深い回答を提示する。
その存在や本質をめぐる神学上の命題から距離を取る著者は、あえてその議論の周辺へと目を向ける。一章と二章で浮き彫りとなるのは、権威や正統から抑圧された古代から中世にいたる天使の姿、つまり、プネウマ(精気)、ストイケイア(自然界の諸要素)、天体を回す風、果てはイエス・キリストでさえあった天使たちである。三章では、音楽を「神の手から人間の手へ」運ぶ天使の姿が示される。ルネサンスからバロックにいたる図像資料は、それらが境界線上を渡っていく姿を証言するのである。続く四章で、古代から近代にいたる様々なテクストをふまえて明かされるのは、堕天使ルシフェルのイメージがかつて強い緊張関係のもとに生成した事実である。そこで焦点となっていたのは、のちに抑圧された天使の「自由意思」にほかならない。最後の五章では、近代以降の映画、芸術、文学における天使が俎上に載せられる。それら天使はわたしたちにもなじみのある姿である。しかし一章から読み進めてきた読者は、親しみ深いイメージが引きずっている記憶の厚みに、はたと気づくだろう。よく見知っていたはずの相手から、異なる容貌をさらされる経験はこのうえなく刺激的である。
天使の本質や存在ではなくその媒介性、さらに言うなら、媒介された「人間の生」に合わせられた著者のフォーカスは、一貫して精確である。著者に特徴的な、ときに行きつ戻りつする議論や、横滑りし続けるかのような構成も、すべて目的にかなっている。つまりリジッドな境界線では囲えきれない天使の自由な航跡雲をたどろうとすれば、畢竟、このしなやかさと厚みを兼ね備えた類比が要請されるのである。それゆえ読者にとって、脇道に迷い込んだように感じる瞬間や、時代や地域の跳躍にとまどう刹那こそ、長らく誰にも届かなかった天使のやわらかな手をとるチャンスとなるにちがいない。(杉山博昭)