小特集 研究ノート 山内 朋樹

惑星と庭の熱狂のあとで
山内 朋樹

ジル・クレマン『惑星の庭——人間と自然を和解させる』(Le jardin planétaire. Réconcilier l’homme et la nature, Paris, Albin Michel, 1999.)
ジル・クレマン『惑星の庭——人間と自然を和解させる』(Le jardin planétaire. Réconcilier l’homme et la nature, Paris, Albin Michel, 1999.)

庭園史を繙いてみるならば、庭という言葉はそもそも「囲われた土地」を意味しており、この囲いのなかには古来より薬草や香辛料、香木、果実、異国の珍しい花々など、その時々の人々にとって「最良のもの」が蒐集されてきたことがわかる。今も昔も、囲いの内側では外部とは異質な豊穣な世界が形づくられてきた。しかしフランスの庭師、ジル・クレマン(Gilles Clément, 1943-)ならば続けてこう言うだろう。翻って生命が存続しているこの地球も、広大な宇宙空間に浮かびあがる「囲われた土地」に他ならない。劇的な地球環境の改変と生物種の減衰に晒されている現在、生物圏という薄い皮膜に凝縮されている多様な諸存在は「最良のもの」として現れてくるという。1997年に刊行されたクレマンの小説、『トマと旅人』で展開された概念にしたがうなら、この囲われた土地とはすなわち惑星の庭(jardin planétaire)なのである。

クレマン『トマと旅人——惑星の庭のエスキス』(Thomas et le Voyageur. Esquisse du jardin planétaire, Paris, Albin Michel, 1997.)
クレマン『トマと旅人——惑星の庭のエスキス』(Thomas et le Voyageur. Esquisse du jardin planétaire, Paris, Albin Michel, 1997.)

フランス中部クルーズ県のクレマン自邸、谷の庭を訪れた日は真夏だというのに朝から霧がかかり、肌寒く、雨まで降っていた。だからわたしも、同行した友人も、庭の見学はインタヴューの後になると漠然と考えていたのだが、クレマンはわたしたちが到着するなり「雨がひどくなるかもしれないし、まずは庭を見に行けるか」と言う。不意を突かれたわたしたちは「もちろん」と答えてしまった——「この上着は(かつては)撥水仕様だ(った)し、フードもついている(だけで役に立たない)」。庭師を自称して憚らないクレマンもすでに68歳だったのだが、雨よけの帽子とカッパをかぶり颯爽と庭に出ていく。その後、一時強まった雨でわたしと友人はずぶ濡れになるだろう。

「この惑星は、庭とみなすことができる」。クレマンは惑星の庭をこう説明した。ナイーヴな印象を与えるこの概念は、バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」やイアン・マクハーグの「カプセル」が提唱されたあとでは既視感さえ覚えるが、20世紀終盤に向けて高まっていた環境問題への関心と相まって熱狂的な賛同を集めることになった。『トマと旅人』が上梓されてから2年後、1999年9月15日から2000年1月23日にかけてパリのラ・ヴィレットで行われた「惑星の庭」展は30万人を超える来場者を記録し、ギュイ・トルトサはこの成功について「庭園芸術にたいするフランス国民の熱狂を「地球の乗客」の責務へと転じることに貢献した」と要約している。この展覧会が開催された千年紀の境以降、クレマンの庭とその思想の受容はにわかに活性化し、著作はイタリアを筆頭にスペイン、ドイツ、中国、韓国などでも翻訳され、フランスとイタリアでは網羅的な作品集(後者の作品集には英語版もある)も編まれはじめることになる。

クレマンによれば、惑星の庭は次の三つの客観的状況からなる。1. 地球という生物圏は有限であり、それは囲われた土地としての庭とみなしうる(生態学的有限性)。2. 地球上の植物は今や凄まじい勢いで国境を越えて混ざり合っており、かねてから異国の花々が混植されてきた庭のありように等しい(地球規模の混淆)。3. 集団としての人間の影響力は衛星からの監視を含めればもはや地球上に行き渡り、そこにあるものすべてを制御できないとしてもすべては知られている。これは周到な観察によって庭師の管理下にある庭と同一視できる(人間の活動の全面化)。そして庭師に課せられた責務が庭を維持することにあるとするならば、惑星の庭における庭師=人間集団に課せられる責務は、地球を維持することになるという。

雨のなか、谷の庭の説明をするジル・クレマン。背後に映り込んでいるのはこの辺りの河岸に多く見られるエリカのヒース。土壌の酸度、貧弱さ、乾燥が推測される。(2011年8月筆者撮影)
雨のなか、谷の庭の説明をするジル・クレマン。背後に映り込んでいるのはこの辺りの河岸に多く見られるエリカのヒース。土壌の酸度、貧弱さ、乾燥が推測される。(2011年8月筆者撮影)

クレマンに連れられ谷の庭に入っていくと、所々で植物の種類やその管理(あるいは管理しないでおくこと)について手早く説明がなされる。当然のことだが、庭の内部で見られる植物の多様性は、あきらかに周囲の牧場や村の植生とは一線を画しており、現実に囲いがあるかないかにかかわらず限定されている(1. 生態学的有限性のモデル)。そしてここにはフランス特有の植生に加えて、クレマンが持ち込んだ植物——中国のブドウ、日本のマメザクラやヤクシマシャクナゲ、ブラジルのグンネラ・マニカタなどの植物——やそもそも侵入していた帰化植物——コーカサス地方のハナウド——などが生い茂っていた(2. 地球規模の混淆のモデル)。さらに言うならば、クレマンはこの庭の全域について知悉し、管理しているだろう(3. 人間の活動の全面化のモデル)。

クレマンが友人たちとつくった自邸。この邸宅の左手に谷の庭が広がっている。手前に広がる植物はヒナゲシと、おそらくはフランスギク。他にジギタリス・プルプレア、ウェルバスクム・フロッコススなど。種子を散布しながら移動する一年草や二年草が多い。(わたしたちが訪問した8月は花が少なかった。これはクレマンがあとから送ってくれた春の写真になる)
クレマンが友人たちとつくった自邸。この邸宅の左手に谷の庭が広がっている。手前に広がる植物はヒナゲシと、おそらくはフランスギク。他にジギタリス・プルプレア、ウェルバスクム・フロッコススなど。種子を散布しながら移動する一年草や二年草が多い。(わたしたちが訪問した8月は花が少なかった。これはクレマンがあとから送ってくれた春の写真になる)

しかしクレマンが挙げる有限性、混淆、管理という三つの客観的状況は、ある程度までは世界中の庭や植物園でも見られることではないだろうか。もちろんこの観点を既存の庭や植物園のなかに見てとれるようにしたことが惑星の庭の意義であり、地球を庭とみなして管理していくという詩的なイメージこそが多数の賛同をえた要因ではあるだろう。しかしこれら三つの状況は惑星の庭が成立するための条件ではあれ、この惑星を維持していくための具体的な方策についてさえなにも語っていない。

二つの疑問が浮かび上がる。a. 庭として地球を管理する以上、どういった庭を基準とするか次第でその実践のあり方は異なってくる。基準となる庭とはなにか。b. 地球を管理するという以上、そこでおこなわれるべき実践は純粋な庭の実践に還元されるものでもなくなってしまう。実際、「惑星の庭」展でクレマンが提示した実践例——クレマンによれば「庭仕事」——とは、ブラジルの熱帯雨林で森林開発をせずに医療品や化粧品の原料だけを採取するプロジェクトや、物々交換によって物をリサイクルしてゴミを削減するクリティバのプロジェクトだった。庭や庭仕事を他の諸実践と並置するのはなぜか。

谷の庭に戻ってみよう。小雨のなか不意にクレマンは立ち止まり、カツラやグンネラの足下を流れている小川を指差す。小川は3年前、不意に氾濫したらしい。これまで氾濫しなかった水が突如として氾濫したのは、上流に住む酪農家や農家が樹木を植えなくなったこと、そして水をあまり使わなくなったことと関係があるという。「こうした状況を変えようと思えば牧畜や農業の仕方全体、そして政治を変えなくてはならないだろう」。氾濫の結果、小川の道筋が変わってしまったので、クレマンはそれにあわせて小川の堤と、その脇の小道の構成をつくり直したようだ。

自邸の前に広がる、動いている庭。手前の群落は種子を散布して移動するコーカサス原産のハナウド(ジャイアント・ホグウィード)。花期には花茎が4mにも達し、他のセリ科植物同様白く美しい————しかし巨大な————散形花序をつける。左奥で直角に折れ曲がっている奇妙な樹木はリンゴ。倒れたあと再び上に向かって伸び出している。動いている庭では、毎年変化する植物(とりわけ草花)の位置にあわせて人の歩く道筋が刈りとられる。(2011年8月筆者撮影)
自邸の前に広がる、動いている庭。手前の群落は種子を散布して移動するコーカサス原産のハナウド(ジャイアント・ホグウィード)。花期には花茎が4mにも達し、他のセリ科植物同様白く美しい——しかし巨大な——散形花序をつける。左奥で直角に折れ曲がっている奇妙な樹木はリンゴ。倒れたあと再び上に向かって伸び出している。動いている庭では、毎年変化する植物(とりわけ草花)の位置にあわせて人の歩く道筋が刈りとられる。(2011年8月筆者撮影)

この庭仕事から引きだされる論点を、ここでは二点だけに絞っておきたい。まずクレマンは変わってしまった小川の形をもとに戻すのではなく、状況を観察したうえで流れの変化にあわせて庭の形を変えていること(a. 基準とする庭の問題系)。次に、庭仕事は避けようのない形で異なる諸領域、この事例では牧畜や農業、政治と絡みあっていくということ(b. 他の実践との並置の問題系)。

a. 基準となる庭については、『惑星の庭』(1999)ではとくに明言されていない。しかしながら、そこで提示されている「働きかけるために観察する」と「なるべく「逆らう」ことなく、できるだけ「あわせる」」という具体的指針は、動いている庭(jardin en mouvement)というクレマン独自の庭の管理技法のなかで、庭師の基本的な態度とみなされているものだ。それゆえ惑星の庭で基準となっている庭とは、動いている庭と考えて差し支えないだろう。動いている庭では、唐突に庭に干渉することはせず、場の諸存在の結びつきを周到に観察し、理解し、諸存在の動きにあわせて介入していくことが条件となる。というのも動いている庭のなかでの庭師とは、数多うごめく多様なアクターのなかの「特権的アクター」であるにすぎないからだ。こうして惑星の庭と結びつけられる幾多の諸実践は、動いている庭によって拘束され、限定される。

ジル・クレマン『動いている庭——「谷」からアンドレ=シトロエン公園と「惑星の庭」を経て「野原」へ』(Le jardin en mouvement. De la Vallée au Champ via le parc André-Citroën et le Jardin planétaire, Paris, Sens & Tonka, 2007(1991).
クレマン『動いている庭——「谷」からアンドレ=シトロエン公園と「惑星の庭」を経て「野原」へ』(Le jardin en mouvement. De la Vallée au Champ via le parc André-Citroën et le Jardin planétaire, Paris, Sens & Tonka, 2007(1991).

b. 庭での実践を他のさまざまな実践と並置する意図、それは惑星を介して結びつく諸実践が、必然的に領域横断的になってしまうことを示すことにある。地球環境にかかわる実践とは、科学、政治、庭仕事、そして日々の生活でさえあるからだ。こうした種々雑多な実践は、動いている庭での庭師の態度と照応する限りで「庭仕事」と呼ばれるだろう。さらに庭仕事とは、それ自体が科学的実践でもあり、政治的実践でもあり、美的実践でもある(『惑星の庭』では、小さな菜園での庭仕事さえ「政治的庭仕事」となることが示唆される)。庭仕事という局所的な実践でさえも、閉ざされた庭の内部で完結することはできない。

こうして多様な諸実践は、一方では動いている庭という限定的な対象によって拘束され、かつ相互に結びつけられており、他方では、惑星という茫漠たる対象によって拘束され、かつ相互に結びつけられている。惑星の庭はたんに美しい響きを持った詩的なイメージというだけでも、語義レベルでのアナロジーというだけでもない。ここで惑星と庭は、さまざまな実践を拘束しながら結びつける、二つの中心点となっているだろう。

展覧会の来場者たちは惑星と庭とのこうした連関に関心を払わないまま、その詩的イメージに熱狂していただけなのだろうか。そうではないだろう。人々はニュースで流される環境問題のように複雑で巨大な対象と直接対峙できないことは知っていた。しかし日々の庭仕事やゴミの扱いが、環境問題を介して科学や政治といった広大な領域に結びついてしまうことも知っていたし、そのニュースは集団としての人間が地球規模の現象であることを暗に告げてもいただろう。それまで地球という巨大で錯雑な対象を日々の実践と結びつける言葉が見当たらなかっただけなのだとすれば、『惑星の庭』のなかに次のような言葉を見つけたとき、彼、彼女らの日常はどれほど異なる風景へと変貌しただろうか。

「惑星の庭は、この土地を思考と行為の複数性の場として表明する。それはこの土地に生きものの複合性を統合している無数の庭仕事を見分けるのと同じことである」

山内朋樹(関西大学など/庭師)