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「二次元建築」の二形態——フランス国立美術史研究所で開催された二つのシンポジウム「Architecture & archives numériques natives」と「Le livre et l’architecte」から
小澤 京子
建築物とは、空間に一定の位置と体積を占める実在であり、人間を取り巻く巨大な被覆物である。しかしまた、建築はオルタナティヴな存在形態も有している。「描かれた」建築や「書かれた」建築であり、「紙上建築(ペーパー・アーキテクチャー)」などと称されてきたものである。現在の技術的状況を鑑みるなら、ディジタル・アーキテクチャーと呼びうる一群も、その範疇に加えるべきであろう。これら建築の代理物(あるいは建築のオルタナティヴな存在態様)を、ここでは便宜的に「二次元建築」と総称しておく。
二次元建築は、建築物の準備段階や付随的資料であるに留まらず、舞台背景画(シェノグラフィア)や都市景観画(ヴェドゥータ)においては、完結した作品として成立していた。「紙上建築」という概念の創設は、実現されぬままに留まった畸想的な建築計画案が、注目を集めるようになったこととも関係するだろう。古代ローマの壮麗な都市風景や迷宮めいた牢獄を、想像を交えつつ描いたG.B.ピラネージ(図1)、また初等幾何学やフリーメイソン思想に由来する形象を、メガロマニアックな規模で構想した「幻視の建築家」たち――E.L.ブレー(図2)、C.N.ルドゥー、J.J.ルクーら――が、H.フォシヨンやE.カウフマンといった美術史家によって「再発見」されたのである。紙上に描かれた建築は、アカデミズムや批評、さらには制作の現場においても、建築物の「もうひとつの」存在形態と目されるようになる。「建築(architecture)」と「書かれた・描かれたもの(gram)」の複合形を掲げた集団「アーキグラム」などは、「二次元建築」を確信犯的に創作の目的――手段やプロセスではなく――に据えた、顕著な一例であろう。1990年代以降には、CADによる設計の一般化やインターネット技術の普及に伴い、「サイバースペース」というテーマとも絡んだ問題系が浮上することとなる。
かかる「二次元建築」を巡る諸問題は、次の三つのフェイズに分節することが可能だろう。一つは個別作品の「支持体」のレベルであり、紙ないしは書物、今日であればディジタル・データ等である。さらに、個々のデータの集積としてのアーカイヴスという問題があり、さらには、個々のデータやアーカイヴス間のネットワークという次元が存在している。
2007年から08年にかけての冬、フランス国立美術史研究所(Institut national d’histoire de l’art, 以降INHAと略記)では、二次元建築にまつわる二つのシンポジウムが開催された。「建築と生来的ディジタル・アーカイヴス(Architecture & archives numériques natives / Architecture and Born-digital Archives)」(2007年11月8-10日)と、「書物と建築家(Le livre et l’architecte)」(2008年1月31日-2月2日)である。
まず、両者をめぐる組織・機関の恊働体制について概観しておきたい。ここでの間-組織的(シンポジウム発表中の言を借りれば「interinstitutionnel」)なネットワークは、現在のアーカイヴス、ならびにフランスにおける芸術史研究が置かれている制度的な状況を、端的に示していると思われるからだ。(INHA自体が、「芸術史研究」を共通基盤とし、高等教育・研究機関が結集して成立した間-組織的な団体であることも、銘記しておく必要があろう。)
「建築と生来的ディジタル・アーカイヴス」は、INHAとフランス建築・文化遺産都市(Cité de l’architecture & du patrimoine)との共同開催であり、一部のセッションはGau:di(Governance, Architecture, Urbanism: a Democratic Interaction)と称される都市・建築計画プログラムとも連動したものだった。協賛機関には、スイス、ベルギー、ドイツ、イタリア、フィンランド、ノルウェイ、イギリス、オランダ各国にある建築関連のミュージアムや研究所が名を連ね、またカナダのCanadian Centre for Architectureやアメリカ合衆国のコロンビア大学付属エイヴリー建築・美術図書館など、北米の機関も発表者として参加している。タイトルに「european conference / colloque euroréen」と付されたこのシンポジウムでは、プログラムも発表における同時通訳体制も、完全な仏英バイリンガル対応となっていた。「西欧」諸国による国際的な学術交流の場であったと言えるだろう。
他方で「書物と建築家」はINHA主催によるものだが、国立高等建築学校(Ecole nationale supérieure d’architecture, ENSA)などフランス国内の教育・研究機関、さらには米・瑞・伊の諸大学に所属する研究者たちも、シンポジウムの共同企画者として名を連ねている。発表者の構成もフランス中心ではあるが、他の仏語圏(白・瑞)や南欧、北米からの参加も見られた。なお、「書物と建築」は、2003年以降のINHA建築史系列における主要テーマとなっており、関連シンポジウムがほぼ年に一回の頻度で開催されてきている。
前者のシンポジウムでは、基調講演に続いて、4つのセッションが用意されていた。建築ファーム内における実務の報告が中心の第1セッション、ディジタル・データを「支持体」とするアーカイヴスの長期保存の問題に照準を当てた第2・3セッション、そしてアーカイヴスの価値向上、普及、活用について論じ合う第4セッションである。なお、このシンポジウムの成果は一冊の書物にまとめられ、翌年刊行されている。David Peyceré & Florence Wierre (sous la direction de), Architecture et archives numériques. L’architecture à l’ère numérique : un enjeu de mémoire(建築とディジタル・アーカイヴス、建築とディジタルの時代:記憶の賭金), Editions Infolio-INHA, 2008。(図3)
シンポジウム「書物と建築家」では、3日間の日程のうち、午前中は全体セッション、午後は二セッションが同時並行するという形式が採られた。午前中のプログラムはそれぞれ、「建てるための書物」、「建築家/著者」、「教育/出版」。午後は1日目が「イメージのアンソロジー:15-18世紀」と「イメージのシステム」、2日目は「建築書における建築」と「メディア」、最終日が「建築家の文化」と「建築書の編集/流通」という構成だった。この二セッション制では概ね、建築書を完結した作品として扱う研究と、書物のメディアとしての側面に焦点を当てた研究という分類が採られていたようである。ルネサンス時代の建築書から今日の出版界の状況まで、「概論」や「事典」の名を冠して刊行されたオーソドックスな建築論から、大衆文学やテレビ放送を媒体としたものまで、幅広い対象が取り上げられていたことは、このシンポジウムの最大の特徴であっただろう。
ディジタル・アーカイヴスに関してのシンポジウムが提示したのは、記憶の集積と保存という古典的な問題を巡る、「今ここ」の状況である。参加者の国籍と所属先——「保存所」としての図書館・文書館・美術館、教育機関(大学・技術専門学校)、ならびに研究機関——の多様性は、ディジタル・アーカイヴスにまつわる諸問題が、単独の組織内でのコレクション形成に留まらず、アーカイヴス間のネットワーク作成にあることを暗示している。いわば、巨大なメタ・アーカイヴスとしてのネットワークである。
また「生来的にディジタル」という命名が端的に示す通り、それは歴史の審査を経て図書館に収蔵された文書や図面を、(オリジナルよりも質の劣るコピーとして)ディジタル・データ化したもの——例えばGalica上のPDF文書——などとは、完全に性質を異にしている。いくつかの発表で指摘されていたことだが、予めディジタル・データとして作成された建築図面や付随資料は、保存や体系化(ディレクトリの設定)、一般公開(オンライン上へのアップロード)、他の資料体系とのネットワーク形成等において、旧来的な紙メディアにはない利点を有している。そこでは、逸失や破損のリスクは、少なくとも権利上はほとんど存在していない。(従来ならば公刊されず、それどころか屑篭に捨てられていたかもしれない構想まで、捕捉することが可能である。)つまりそこでは、あらゆる構想が「データ」と目され、忘却や喪失から救い出され、記憶として生き続けることを強制されることとなる。シンポジウムでの発表は、このような事態を前に、いかに資料体の増加・成長を予め視野に入れた制度設計を行うかという、技術的問題へと移行してゆく。
アーカイヴスを巡る議論は、ここ10年くらいの流行となっている。既視感の拭えない抽象的な議論を排し、実利主義に徹した情報交換の場を設けたことに、このシンポジウムの独自性と意義があるのかもしれない。しかし、「生来的にディジタルな」記憶空間が孕み得る問題を、メタレベルから考案する視点がほとんど採られていなかった点には、個人的にはやや不満が残った。
「書物と建築家」は、ルネサンスからモダニズムまで、それぞれの専門家が各々の研究について語る場であり、採られているアプローチも多種多様であった。しかし「書物」という統一主題を導入したことで、シンポジウム全体を貫くプロブレマティックを浮上させることに成功していたように思う。一つは書物を通じての知の伝播や拡散、つまりメディアとネットワークの問題である。(中でも、建築書を巡る音声言語とテクスト言語との間の翻訳関係に着目した「メディア」セッションは、斬新な着眼点を示していた。)書物が織り成すネットワークという問題はまた、先述のアーカイヴスの問題系とも接続しうる。もう一つは、「書物」や「文字」と、都市や建築との間に打ち立てられるアナロジカルな関係性についての問いである。(書物と都市構造との通底性や、ファサード・顔としてのフロンティスピース、建築空間と言語の中間形態としての装飾といったテーマを扱った、「建築書の建築」セッションが代表的だろう。)書物や文字を、単なる「情報伝達媒体」や「マテリアル」としてのみならず、記憶の住まう空間、あるいは一つの形象として扱う視座には、従来的な芸術史研究や、近年盛んな社会学的アプローチとはまた別様の可能性を感じ取ることができた。
時期を接して同一の場所にて開催された二つのシンポジウムは、対象やディシプリンは一見対照的ではあるが、共に冒頭で示した二次元建築についての三つのフェイズを貫くものである。それは、個々の領域において斬新な論点を提供すると同時に、「芸術についての学」全般が今日直面する諸テーマ——記憶とその保存空間、メディアとネットワーク、イメージとテクスト、制度やテクノロジーとの相互関係など——の布置状況を浮かび上がらせる、一つの好機であったと言えるだろう。
小澤 京子(東京大学大学院博士課程・ブルゴーニュ大学博士課程在籍)
(図1)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ『牢獄』より第4ページ《大広場》(第一刷)、1749-50年頃
(図2)エティエンヌ・ルイ・ブレー《ニュートンのセノタフ、外観》1784年
(図3)