第3回研究発表集会報告 研究発表4

11月15日(土) 16:30-18:00 18号館4階コラボレーションルーム1

研究発表4:虚の力——イメージ/空間の構築

イリヤ・カバコフ作品における<白>と<光>
藤田瑞穂(大阪大学)

Lenin Lives?——建築モニュメントにおけるレーニン・イメージの戦略
本田晃子(東京大学)

【司会】番場俊(新潟大学)


本研究発表会では、いずれも旧ソヴィエト連邦とイメージ表象の関係という主題に密接に関わる二種類の対照的なイメージが議論の俎上に乗せられた。ひとつは妻有トリエンナーレへの参加などを通して日本との関係も深く、現在もニューヨークを拠点に活躍中の美術家イリア・カバコフの作品群であり、もうひとつはソヴィエト連邦建設者レーニンの没後の建築表象である。発表の直接の主題ではなかったものの、カバコフはどこまでも間接的な仕方ながら社会主義下の人びとの生活状況を振り返り続けており、その意味で二つの発表はソヴィエトをめぐる過去と現在の表象のあり方を浮き彫りにする試みとして響き合っていたといえる。司会者の導きのもとに発表者相互の対話が行われたのも興味深い点であった。

藤田瑞穂氏の発表は、カバコフの多くの作品において何かきわめて強い力を湛えた奥深い空間として白地の面がそのまま残されていることに注目し、作者自身の証言やいくつかの作品分析を通じてその背景を探る試みであった。カバコフは自伝において繰り返し、ドローイングを始めるやいなや紙の奥の方から異様な光がやってくるのだと述べている。白く残された平面とはこの光に満たされた空間のようである。以上を指摘したうえで藤田氏は、1999年に水戸芸術館で開催された、架空の美術家の回顧展という破格の形式をとったカバコフの展覧会『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』を一部屋ずつ順番に、ということはローゼンタールの一生を追うかたちで辿ってゆき、白く眩しい光がいかに形を変えつつ――最後には光はあまりにも強く、デッサンはうっすらとしか見えなくなる――ローゼンタール=カバコフに憑きまとい続けたかを具体的に示した。しかしこの眩しい白は、いったいどのように解釈されるべきなのか。藤田氏はこの点に関し、黒地の中央に穴が空いたように白地が見える作品を例にして、その白を暗闇の中に置かれたソヴィエト芸術家たちの希望の出口であると解した。他方、美術家カバコフの白は、彼が生計を立てるために従事していた挿絵描きにおける白と類似している。この点を指摘したうえで、藤田氏は、絵本の白がインスタレーションの空間へと発展していった可能性を示唆して発表を閉じた。

質疑応答では、カバコフの白は物語的なものであるよりもむしろマレーヴィチのように物語的イリュージョンの解体を示すのではないか、ローゼンタール作品の画面奥からの光は希望の白というレベルを踏み越えているのではないか、といった問いかけがあり、前者への応答では、カバコフがモダニストと一線を画そうとしていたことが指摘され、後者については、白の強度を多角的に受け止めることの重要性が確認された。また、司会者からはカバコフ作品に備わるユーモラスな側面に注意が促された。 実際、カバコフ作品はフィクションをベースにしたそのユーモラスな性格ゆえに、さまざまな解釈を呼びながらも正解をひとつに絞り込むことを巧みに回避するようなところがあるように思われる。藤田氏も今後の課題に挙げていたように、この作家に特異な物語性も魅力的な考察の対象となるだろう。

本田晃子氏の発表は、レーニンを不滅化するために計画されたレーニン廟とソヴィエト・パレスという二つの建築計画においてレーニン・イメージの担った意味の変遷を探るものであった。まず、実現を見なかったソヴィエト・パレスのレーニン像は、社会主義リアリズムの理念に則って階層構造の頂上部、しかも地上から見えないほどの高さに設置されるべき不可視の像としてあった。またエンバーミングされた遺体を収める立方体のレーニン廟は、当初の目論見とは異なって「生きている」どころか固定化されたレーニン・イメージを打ち出すものである。本田氏はカントーロヴィチやアガンベンを援用しながら、ここにおいて「レーニン」の不滅性はイリイチという一個人の自然的身体の可死性と一体となっており、別言すれば、レーニンの身体は生者と死者の境界を不分明にするものであると論じた。 質疑応答では、建築以外のレーニン・イメージ、「イメージ」という語の用法、レーニンとスターリンの関係、等々、多岐に渡って質問が呈された。応答によれば、「イメージ」に関しての本田氏の整理とは、レーニンの遺体はレーニン・イメージの消失点でありなおかつ起源であるというものであった。すなわち遺体はそれが遺体であるかぎりにおいて「生きたレーニン」イメージを維持することはできず、逆に「死んだレーニン」イメージを固定させてしまったということである。権力者の死後表象のこの特殊な例をめぐっては、レーニンがプロレタリアートの表象代理であるがゆえに時間の契機を排除した仮死状態で保存されたのではないか、などといった仮説も出され、活発な意見交換が行われた。 このように、二つの発表は、いずれも旧ソヴィエト連邦の政治状況とイメージとの関係を追究するものであるのみならず、そこにおいて本研究発表会のタイトルであるイメージの「虚の力」を聴衆にまざまざと実感させるものであった。

藤田 瑞穂

本田 晃子

番場 俊


郷原佳以(関東学院大学)


発表概要

イリヤ・カバコフ作品における<白>と<光>
藤田瑞穂

イリヤ・カバコフ(1933〜)の作品には、白地の面を残したものが数多くある。この白地を、カバコフが非常に重要なものと捉えていることは、『イリヤ・カバコフ自伝 — 六〇年代 – 七〇年代、非公式の芸術』(鴻英良訳/みすず書房/2007)の中で何度となく<白>について何度か言及していることからも明らかである。カバコフはその作家活動の初期に、光のエネルギーのようなものが制作中の自分に向かってくるのを感じていたという。そして、この<光>と<白>とは密接な関係で結びついていたようだ。カバコフは、この<光>が発生し、こちらに向かってきたのは、自分が紙の上に何かを描きはじめるときだけであり、まさにこの白い平面の特別に神秘的な発光性にひきつけられていたと述べている。また、枠によって区切られた作品は、透明な<光>を届ける「空虚」な「空間」だと語っている。その言葉は、平面に描かれた図像がこの<光>の中を漂うことによって立体性を帯びる、つまり、一つの平面の上にありながら、奥行きを生じさせるのだと解釈することが出来よう。枠で<光>の作用する空間を作品の中に閉じ込め、制御することによって、透明で<空虚>な<白>い画面がより深く、また強力な力を持つものとなるのではないだろうか。こうした特別な概念である<白><光>に焦点を当て、カバコフの作品を考察してみたい。

Lenin Lives?——建築モニュメントにおけるレーニン・イメージの戦略
本田晃子

没後レーニンは、「レーニンは共同体であり、党であり、労働者階級である」という言葉にあるように、ソヴィエト・ロシアという共同体そのものを代理/表象するアイコンとなっていく。このようなレーニン・イメージの形成は、個人としてのレーニンの死を、共同体の集合的連続性によって補填あるいは置換するものであった。その一方で、レーニンの身体そのものもまた、エンバーミングによって物理的な不滅性を獲得することになる。「レーニンは生きている!」という当時のスローガンには、このような生と死の境界を重層的に横断するレーニン・イメージが反映されている。

本発表では、レーニン建築の2つのアーキタイプ、現在もクレムリンの中心にあるレーニン廟と、ソヴィエト・ロシア史上最大の建築計画でありながら、建設の中途で放棄されたソヴィエト・パレスをり上げる。これらの建築はレーニン不滅化のためのモニュメントとして考案されたが、その中心に設置されるはずのレーニン像は、どちらの建築物でも実現されることはなかった。レーニン・イメージの複製が氾濫していた1920年代後半〜30年代にかけてのこの時期に、社会的・象徴的な機能において他の追随を許さない重要性を有したこれらの建築において、なぜレーニン像の建設が断念されねばならなかったのか。これらのアンビルトとしてのレーニン像から、建築空間におけるレーニン・イメージの戦略を明らかにしていく。