新刊紹介 単著 『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』

北野圭介(著)
『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』
人文書院、2014年3月

おだやかでない地形図が描きだされた。北野圭介『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』は、ジル・ドゥルーズの「制御社会」論に寄り添いつつ、現代の多種多様な領域の言説を「制御[contrôle]」という一語に着目して読み解くことで、それらの深層における「制御」の怪物的なふるまいを浮かび上がらせる。

〈自己の制御〉〈他者の制御〉〈自己と他者の関係の制御〉という三つの形態と、その対象範囲を柔軟に調節する〈動態化〉と〈整流化〉という二面的な動性の特性、これらによって特徴づけられる「制御」概念が、情報論から、コミュニケーション論、メディア論、経済思想、政治思想、哲学、生物学、脳科学にいたるまで、その可能性の条件として潜入していることが、次々と暴かれてゆく。

「制御」は、自己と他者の制御だけでなく自己と他者の関係まで制御するうえに、その力学そのものが流動的であるため、わたしたちを不断の存在論的再措定のなかにとらえる。しかも、そのような存在論的不安に取り組んできた同時代的な批判的思考における鍵概念の数々(たとえば再帰性も偶発性も情動も可塑性も)でさえ例外ではなく、いまやそれらも、「制御」のなかに折り込まれ、「制御」の欲望を方向付けさえしうることまで、指摘されてしまう。

希望はないのか。同書は、疎外論的に嘆くかわりに、「新しい唯物論」と「新しい形而上学」によって、「制御」概念を「制御」概念で突破する方向を示唆する。その吟味や実践は読者に委ねられている。他にも別のやり方があるかもしれないし、あるいは広範な領域を縦横無尽に渉猟する同書の足どりの一歩一歩について改めてその精確さを緻密に精査するような読解に突破口を探ることもできるかもしれない。ただ、いずれにせよ、同書の問いかけを見過ごすことは難しいだろう。状況は「制御」の下にあるのだから。(原島大輔)

北野圭介(著)『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』