第9回大会報告 パネル8

パネル8:匣のなかの科学者と少女―京極夏彦『魍魎の匣』による科学文化の試み|報告:大橋崇行

2014年7月6日(日) 16:30-18:30
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2

パネル8:匣のなかの科学者と少女──京極夏彦『魍魎の匣』による科学文化の試み

京極夏彦『魍魎の匣』を開く
奥村大介(慶応義塾大学)

京極夏彦『魍魎の匣』で描かれる科学者の哀しさ──『ルー=ガルー2』との比較から
西貝怜(白百合女子大学)

京極夏彦『魍魎の匣』における「少女」表象──人形と匣をめぐる欲望の関係性
鈴木真吾(学習院大学)

【コメンテーター】西原志保
【司会】金森修(東京大学)

本パネルは、京極夏彦の小説『魍魎の匣』(講談社、1995)について、〈匣〉〈科学者〉〈少女〉という3つの視点から考えようとするものである。

京極作品は従来の文学研究において、妖怪や怪奇についての問題に焦点化し、幻想文学の枠組みから論じられることが多かった。これに対して本パネルでは、多くの京極作品において重要なモティーフとなっている〈科学〉という切り口からテクストを読み直そうとしている。このようなケーススタディを行うことを通じて〈科学文化論〉という枠組みを構築し、最終的には京極夏彦だけでなく、近代以降の日本における小説テクストにおいて〈科学〉がどのように表象されているのかという問題についての考察に展開していくことを視野に入れた内容である。

まず奥村大介氏は、『魍魎の匣』というテクストの全体を概括しながら、テクストの随所に現れ、「箱」「匣」「筥」とさまざまに表現される〈ハコ〉に見られる問題系について論じた。特に注目したのは、このテクストが三人称の語りによる物語世界の中に、正字・正仮名で記述される作中人物である久保竣公によって書かれた小説テクストが入り込むという入れ籠型の構造になっているという問題である。このとき久保による小説テクストは、何かの「隙間を埋めたい」という〈余白恐怖〉や、「女を箱詰めにしたい」、「箱詰めされた女になりたい」といった久保自身が抱えたさまざまな欲望を反映している。その欲望が、久保が書いた小説テクストの内部だけでなく、その外側に広がる物語世界にまで溶解し、浸食することが、『魍魎の匣』というテクストの根幹となっていると位置づけた。

また西貝怜氏の発表は、奥村氏の論を受ける形で、特に『魍魎の匣』と京極夏彦の『ルーガ=ルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔』(講談社、2011)とを比較しながら、これらのテクストで科学者がどのように描かれているのかという視点で論じたものである。作中人物が科学者として持つ研究に対する態度についての問題や、物語における科学者の役割などを分析し、ジェローム.R.ラベッツが『ラベッツ博士の科学論 科学神話の終焉とポスト・ノーマル・サイエンス』(Jerome Ravetz, The no-nonsense guide to science, Verso, 2006。御代川貴久夫による邦訳はこぶし書房より2010)で論じたポスト・ノーマル・サイエンスの枠組みに、これらの京極作品が通じているという点を指摘した。

鈴木真吾氏は、物語に表れる「匣」と、少女の「人形」とが科学者によって結びつけられているという視点から、テクストにおいて「少女」がどのように表象されているのかを分析しようという試みである。谷川渥が江戸川乱歩『人でなしの恋』(1926)について、人間の人形化を「逆ピグマリオニズム」と意味づけた問題を補助線として京極のテクストを読解し、『魍魎の匣』の物語において久保竣公が持つ「逆ピグマリオニズム」的な欲望が、久保にとっての理想的形態を反映したものであり、その欲望を実現していくことが、同時に久保にとっての「科学」であったという問題を論じた。

以上の発表を踏まえ、コメンテーターの西原志保氏は、三氏の論が「人間とは何か」、「小説を書く」という営みという二つの問題によって接続しうるという問題を指摘した。文学テクストにおいてはこれらの問題は一般的に追究されるものだが、特に京極のテクストにおいては人間を作ろうとしている科学者のあり方を問題にしている点、また、作中人物である久保竣公によるテクストが介入するメタフィクションの構造を持っている点に注目することで、「科学」の問題や「人形」の問題、あるいは人間の「欲望」の問題が、より鮮明に見えてくるという指摘である。

文学における科学表象の問題は、吉田司雄を中心に一柳廣孝、林真理らが2004年から2009年にかけて実施した「科学言説研究プロジェクト」によって行われており、一柳廣孝編『オカルトの帝国 1970年代の日本を読む』(青弓社、2006)のような成果も出ている。この先行研究は、文学に見られる科学的な内容の言説や、科学者による一般向けの言説を分析することで文化研究のあり方全体そのものを問うものであったが、本パネルはそれらの研究ではすくい取ることができなかった言説に眼を向けていくことによって〈科学文化論〉の新たな展開を探ろうとする点で、意義のあるものであろう。本パネルでは現代の小説テクストひとつに絞って考察を行ったが、今後は分析の対象を現代のテクストだけに限らず、明治期から昭和期にかけてのこれまでの科学言説研究では焦点を当てられてこなかったテクストにも広げていくことにより、近代以降の日本における科学表象の全体を捉え直していくことで、日本における科学のあり方そのものを問うことが期待される。

大橋崇行(岐阜工業高等専門学校)

【パネル概要】

京極夏彦の小説は、探偵=推理小説に妖怪という伝奇的要素を融合させた作品として知られる。それゆえ先行研究は、これを怪奇幻想の観点から論じるものが多かった。そこで本パネルでは、長篇『魍魎の匣』(1995年)を〈匣〉〈科学者〉〈少女〉という三つの観点から論じる。

1 京極夏彦はデビュー作『姑獲鳥の夏』以来、閉鎖空間のなかで怪事が起こるという推理小説の〈密室〉テーマを踏襲している。『魍魎の匣』の場合、〈密室〉は〈匣〉という特異なイメージに変奏されている。そして、そこで科学や性愛の欲望が展開するという体裁になっている。その意味で、この物語は空間論的に読み解くことができる。

2 京極作品において科学が重要なモチーフとなるということは看過されがちである。本作は、科学者が主要人物として描かれている点で、同様の科学表象が見られる『ルー=ガルー』共々、科学論的な視点で分析することが有効である。

3 本作を第二作とする京極の「百鬼夜行」シリーズは、一貫して作中人物たちの欲望の交錯を物語の駆動因としている。またその場合、多形倒錯的なセクシュアリティの横溢に特徴があるといえる。本作では人形愛と少女愛が中心モチーフとなっているので、クィア論的な読解をすることが可能である。

本パネルでは、複雑な〈入れ子状の匣〉ともいえるこの物語を多角的に読解するのみならず、現代における科学者の姿、科学の空間、そこに去来する科学の欲望も明らかにすることを目指す。そうすることで〈科学文化論〉とでも呼びうる、新たな切り口を提示したい。(パネル構成:西貝怜)

【発表概要】

京極夏彦『魍魎の匣』を開く
奥村大介(慶応義塾大学)

複数の事件がハコの内と外で起こり、それらはハコを介して互いに関わりあっている。数々のハコが現れる『魍魎の匣』(1995年)にあって、それらのハコは大きさも素材もさまざまである。さらには、テクスト自体もハコ状に構造化されている。それらのハコ──箱、筥、匣──は、それぞれどのような背景をもち、どのように物語を形成しているのか。本発表では、まず作中の空間=物体としてのハコのイマージュを整理・分類し、ハコの機能を明らかにする。そこでは、ハコの形状・大きさ・素材などの物質的様態、ハコを開ける/閉じる、ハコに入る/入れる、ハコから出る/出す、ハコのなかを見る/ハコのなかから見る、ハコを作る/壊すといった行為に注目したテマティックな蒐集が行なわれると同時に、テクストの構造が分析される。そして、さまざまなハコとそれに関わる行為について、テクストの外に視点を移し、広く文化史のなかに類似の形象を探りつつ、その表象論的な検討を実践する。そこでは例えば乗物、寝台、病院、実験室、工房、祭壇、棺、標本箱といったハコ、さらにギリシャ神話からジョゼフ・コーネル(Joseph Cornell, 1903–1972)にいたるまでの、さまざまな表象形態の芸術が参照される。よって、本研究は並行的な次の二つの作業からなる。まずは『魍魎の匣』におけるハコの役割を明らかにすること。ついで、ハコ状の空間=物体がもつ文化史的な意味を広く検討することである。

京極夏彦『魍魎の匣』で描かれる科学者の哀しさ──『ルー=ガルー2』との比較から
西貝怜(白百合女子大学)

京極夏彦『魍魎の匣』における美馬坂幸四郎は、近親相姦という問題を乗り越え、娘・柚木陽子と結ばれるために〈匣〉の研究を続けていた。美馬坂同様に個人的な欲望に忠実な人間として久保竣公も挙げうるが、久保は死すべき存在として描かれていた。その一方で久保に首を噛まれて死亡する美馬坂は、「…この人は、死なせたくなかったのだが」と中禅寺秋彦によって語られるように、死ぬべきではなかった存在として描かれている。このような差異が描かれる一つの要因として、美馬坂が科学者であるという点が挙げられよう。

京極夏彦『ルー=ガルー2』でも『魍魎の匣』と同様に、作倉遼が「遺伝子改造」の研究を進めることで、妹である作倉雛子と近親相姦という禁忌に触れずに結ばれようとする描写が見られる。しかし、作倉遼は美馬坂とは異なり、妹によって殺されるべき存在として描かれている。この差異は、作倉遼と美馬坂の恋愛関係の違いだけでなく、中村佳子『科学者が人間であること』(2013年)が現代で改めて主張した点、すなわち両者における人間としての科学者の性質(研究姿勢や社会的態度など)の違いにも起因する。 そこで本発表では、まず科学者の性質や思いという視点から『魍魎の匣』と『ルー=ガルー2』を比較検討する。その上で、何故〈匣〉を研究する美馬坂が死すべきではない哀しき科学者として描かれたのか、その理由を考察してみたい。

京極夏彦『魍魎の匣』における「少女」表象──人形と匣をめぐる欲望の関係性
鈴木真吾(学習院大学)

本発表では、『魍魎の匣』の冒頭に登場する、〈匣〉の中に詰められた「(少女)人形」を媒介に、〈匣〉の中身を羨ましく感じる男と〈匣〉を所有する男の間に構築される欲望の関係性、〈匣〉と「(少女)人形」を結び付ける接点としての科学(者)表象を分析する。

『魍魎の匣』においては、少女を人形のように愛する(女性)人形師が登場するなど、欲望を誘発する装置としての人形と、それを収納する〈匣〉が重要なモチーフにされている。 人形を介して生み出される欲望は、『フランケンシュタイン』や『未来のイヴ』に見られる人形の人間化や、本作に見られる人間の人形化(いずれも男性によって科学技術が用いられる)などがあり、〈匣〉は何かを出し入れする機能を持ち、隠された存在を覗き見たいという欲望を刺激する。

『魍魎の匣』の冒頭場面に登場する人形は「少女」であり、2人の男が対置されることで「欲望の三角形」が形成されるが、人形によって誘発される欲望には、人間を人形にする/人形を人間にする/自身が人形になるなどの多様性がある。科学と〈匣〉がそのような欲望と絡み合う本作における特徴のひとつに、多形倒錯的なセクシュアリティの充満があげられる。本発表では、横溢するセクシュアリティの一側面を分析する手段として、人形愛と少女愛というモチーフのクィア論的に読解し、三角形を異なる図式へと変形せしめる可能性を上記の2つの発表を踏まえて検討したい。