現代日本文化のネゴシエーション 演劇

〈劇場〉の不可能性と〈演劇〉の不可避性

江口 正登

1.『表象05』所収の共同討議「文化のネゴシエーションと日本」の中で、内野儀氏は舞台芸術の「遅さ」ということについて語っている。グローバル化と舞台芸術という主題について語ろうとするとき、確かにこの「遅さ」ということを、まず第一の与件として確認しておかねばならないだろう。同じく内野氏の言葉によって言い換えるならば、「モビリティが低い」ということである。多くの西欧語において、「演劇」を意味する語(英語ならtheater)は、同時に「劇場」という意味をも備えているという事実が示唆するように、演劇という形式は、もともと劇場という具体的な場、というよりも、「場を持つ」というそのこと自体と不可分に結びついたものであり、20世紀以降の多くの芸術形式の基本的な属性である、技術的複製の可能性を原理的に剥奪されている。ある具体的な――したがってローカルな――環境の内にエンボディされたものとしてしか成立しようのない舞台芸術という形式は、その本性上、グローバル化状況とはある種折り合いの悪いものとならざるを得ない。

もちろん、そうした「遅さ」を引きずったまま、舞台芸術がいかにグローバル化状況と交渉している(しうる)かを問うことは可能だし、そうすべきでもあるだろう。しかしながら、これもまた討議の中で内野氏が述べているように、そうした交渉の諸ケースは、基本的に「アクシデンタル」なものに留まっているというのが現状である。であるならば、本稿ではひとまず今日の日本の舞台芸術の状況の中で何が起きているかを――グローバル化という視点を殊更には意識することなく――スケッチし、その上で、そうした動向のはらむ意味について、多少の補助線を引きつつ考察を加えてみることとしたい。そして、このように考えつつ近年の日本における舞台芸術の状況を見渡してみたならば、そこではまさに舞台芸術の「遅さ」、ローカルであることを集約的に体現する装置である「劇場」という形象が、主要な争点の一つとなっていることに気づかされるだろう。そうした状況を示すものとしてここでは、「劇場法」と「フェスティバル/トーキョー」という、恐らくは「劇場」を巡って相互に異なるベクトルを持つ二つの事象を取り上げてみたい。

2.社団法人日本芸能実演家団体協議会(以下、芸団協)は2009年3月に「社会の活力と創造的な発展をつくりだす実演芸術の創造、公演、普及を促進する拠点を整備する法律」、通称「劇場法」を提言した。その骨子は、柾木博行氏の整理によるならば「全国の公共文化施設の中から実演芸術の創造・鑑賞・参加の機会を提供するなど、その地域における実演芸術の拠点となる活動をしているものについて「劇場・音楽堂」として国が認定し助成を行う」ということにある。こうした劇場関連の法律を整備しようとする芸団協の動き自体は、文化芸術振興基本法の制定を受けて2002年になされた「劇場事業法(仮称)の提案」にまでさかのぼるものであるが、2009年の民主党政権の誕生と、それに伴い劇団青年団を主宰する劇作家/演出家である平田オリザ氏が内閣官房参与に就任したこととを背景に、法案成立の機運が俄かに高まり、議論が沸騰しているというのが現況である。

劇場法は、舞台芸術制作のためのリソースの再配分に直結するきわめて政治性の強いイシューであり、賛否いずれの立場を取るにせよ、近代以降の日本における文化行政の歴史的展開といったことも含め、関連する諸要因を十分に踏まえた上で慎重に議論すべきものである。したがって、ここで踏み込んだコメントをすることは控えたいが、本稿の主題との関連で一つ指摘しておきたいのは、これが劇場を再中心化しようとするものである可能性を――少なくとも潜在的には――孕んでいるということだ。

もちろん、劇場法は劇団や演劇人個人の存在を直ちに排除するものではない。平田氏が提案するのは「劇場を通じて、劇団や個人へと助成をする」というスキームである。財政的なリアリズムに則ってみた場合、「運営基盤が脆弱であり、継続性が保証しづらい」劇団というものを助成の対象として定立することは難しく、したがって国・自治体からの直接的な助成は劇場に対して行い、その資金を、レジデント・カンパニー制なども含んだ劇場から劇団への制作委託というかたちで最終的に各劇団へと還流させる、という流れである(平田氏はまた、「劇団への現在の助成金額は、とにかく最低限、現状維持」として守るということを明言している)。これを踏まえるならば、確かに、劇場法は劇団制度の意義や機能の縮小を導くものではないといえるだろう。しかしその上でもなお、この構想はやはり、演劇を巡る文化政治の主要なエージェンシーとして、劇場という単位を――それのみを、ではないにせよ――措定し、それを演劇の公共性という問いを主題化するための特権的かつ不可避なチャンネルとして設定することを含意するものであるのは事実だろう(ここでいう劇場というのは、確かに、具体的な物理的環境としてのそれというよりは、政治的・経済的・社会的機能を帯びた組織体としてのそれを指すものではあるが、両者が完全に切り離せるわけでもない。その限りにおいて、劇場法はやはり社会的リソースの再配分ということにも留まらず、舞台芸術の具体的な創造と上演のプロセスにまで関わってくるものであると思われる)。

では、フェスティバル/トーキョー(以下、F/T)についてはどうか。F/Tは、その前身である東京国際芸術祭の名が示す通り、東京を開催地として2009年から行われている国際的な舞台芸術祭である。2009年には春と秋の2回、そして2010年の秋に1回と、すでに3回の開催実績を有するが、そのプログラムを見渡してみると、劇場外でのパフォーマンスに一貫して一定の比重が置かれていることに気づかされる。

たとえば、2009年秋のフェスティバルにおいて、ドイツのカンパニーであるリミニ・プロトコルによって発表された『Cargo Tokyo-Yokohama』は、まさしくグローバル経済のインフラを成すものとしての「物流」を主題としたものであったが、この作品においては車両の内部に「観客席」が設えられたトラックによって、観客=積荷たちは品川から横浜へと「輸送」されることとなった。あるいは2010年の飴屋法水による『わたしのすがた』においては、観客は受付時に渡された地図を頼りに西巣鴨近辺のいくつかの場所を一人で巡ることとなる。各目的地に設置されたインスタレーションやテキストは、現実とも虚構とも、また本気とも衒学とも判別つきかねる宗教性を伴った物語を断片的に示唆し、それは各目的地の間、すなわち西巣鴨の通常の町並みを移動する経験をも含め、観客の知覚に変容をもたらす。また、筆者自身は未見であるが、Port Bによる『個室都市 東京』(2009,秋)は、風俗産業におけるいわゆる「個室ビデオ」や「出会いカフェ」の形式を引用した作品であり、続く『完全避難マニュアル』(2010)は、情報環境研究者の濱野智史の協力を得て制作された特設のwebサイトを利用しつつ、分断された都市生活者が他者と遭遇することを可能にする「避難所」を山手線の各駅に設置するという試みであったと聞く。これらの作品においては、演劇の制作と上演のための環境としての劇場というものの妥当性が、俳優が人物を表象するというイリュージョニズムの構造ともども、強い疑義に晒されていたといえるだろう。

3.以上のようなF/Tの作品群に見られる脱劇場的な志向を、より広いコンテクストの中で考えるために、ここで少し補助線を引いてみよう。劇場の外に上演の空間を求めるという発想は、ごく端的には、劇場という中心性を伴った場における演劇的なコミュニケーションのあり方が今日ではもはや失効したという診断に動機づけられたものとひとまずはいえるだろうが、こうした発想の基底にあるのは、〈演劇〉と〈演劇性〉の区別というべきものであるだろう。一つのリジッドなジャンルの名を指し示すものとしての〈演劇〉と、そこにおいて、またはそれを超えたより広い文化の布置において作用している関係性の力学ともいうべきものを示す〈演劇性〉とを区別し、前者を、それを制度的に固定する装置である〈劇場〉もろとも棄却し、後者のポテンシャルを追究すること。こうした発想は実は、実践と研究との境界をも越えて、今日一つの趨勢を成しつつものであるといえるように思われる。

たとえばマーティン・プチナーは、その著『舞台恐怖症』の中で、19世紀のワーグナーを淵源としつつ、20世紀前半にまで続くアヴァンギャルドの芸術家たちに見られる演劇的なるものへの熱狂と、モダニズムの思想的・芸術的伝統の内に見られる演劇嫌悪とを対照させつつ、しかしながら前者もまた後者と同様に、実際に存在するものとしての演劇の実践に対する拒絶は共有するものであったということを指摘している。演劇的なるものを賛美しつつ、しかし現実の演劇における慣習的な諸制限に反発し、ひいては実体化されたあらゆる演劇それ自体の否定にまで至るそうした態度は、「いくらかでも価値のあるもの全ては演劇的である」と宣しつつ、「演劇なき演劇性(teatralità senza teatro)」を要求することとなるマリネッティに典型的なものであるが、他方で、モダニズムの場合も、アンチシアトリカリズムを媒介としながら逆にある種の演劇回帰、「演劇性なき演劇」――その範例をなすのはいわゆる「レーゼドラマ」である――への回帰を果たしうるとプチナーは論じる。これらの議論においては、価値概念としての〈演劇性〉と実際の〈演劇〉との乖離への着目が、モダニズムとアヴァンギャルドの作家たちの演劇に対する関係のダイナミックな把握を可能にしているといえる。更に例を挙げるならば、2007年にバルセロナ現代美術館において行われた「演劇なき演劇(Theater without Theater)」という展覧会がある。プチナーによるテーゼとも非常によく似たタイトルを持つこの展覧会は、前者が着目したのと同じアヴァンギャルドの作家たちにはじまり、フルクサスやハプニングを経てミニマリズム、ポスト・ミニマリズムに至る作品たちを取り上げ、造形芸術の領域において作動している演劇的なるものの系譜を再考しようとするものであった。

F/Tにせよ、プチナーの議論や「演劇なき演劇」展にせよ、〈演劇〉と〈演劇性〉の区別から生まれるダイナミズムを巧みに利用することによって、様々な成果を引き出したものといえる。これらに比したとき、〈演劇性〉への問いを等閑視したまま、〈演劇〉を制度的に保証づける装置である〈劇場〉というものの再中心化を含意する劇場法は、確かにある種の反時代性を帯びたものとも映るかもしれない。しかしながら、我々は同時にまた、劇場からのリテラルな離脱が、そのままで新たな形式の演劇性の発明を意味するわけではないということにも注意すべきであるだろう。先の「演劇なき演劇」展のカタログに収められたエリー・デューリングとの対話の中で、アラン・バディウは、劇場空間を否定したり、ステージの存在に含意されるような俳優と観客との分断を廃止しようとも、「身体と言語との欲望された連結の公的な展示」が存在するところには直ちに演劇が生じる、ということを指摘している。こうした意味においては、むしろ〈演劇(性)〉は不可避であるといえるかもしれない。ジャンルとしての〈演劇〉と関係性の力学としての〈演劇性〉を区別することは、前者の局所性に対し、後者を遍在的なものと定義することとなり、であるならば、〈演劇=劇場〉の外における〈演劇(性)〉の成立可能性は、トートロジー的な自明性によって確保されるものとなる。そうなれば、脱劇場的な実践はスポイルされざるを得ないだろう。

4.〈演劇=劇場〉の外の〈演劇(性)〉というトートロジーから脱け出すためには、劇場からの離脱という運動が、単なるリテラルな劇場否定、すなわち従来の演劇慣習に対する単なる形式的な修正ということに留まらず、関係性の力学としての〈演劇性〉それ自体の変質を伴うものでなければならないだろう。先のバディウとデューリングの対話の第一の主題がそうであったように、問題はステージの廃止あるいは変形が、「新たな空間、集合的主体の出現のための場」を開きうるか、ということにこそあるというべきかもしれない。

そう考えるならば、むしろ劇場の空間と制度をそれ自体としては保持したまま、演劇性の新たな形式に関しての探究を実践することも可能であるだろうし、あくまで脱劇場的なスタンスを取るというのならば、単なる形式的な次元を超えて、演劇の集合的、すなわち政治的な性質についての更に踏み込んだ省察が要請されるだろう。前者のラインとしては、やはりチェルフィッチュの岡田利規が重要である。とりわけ、最近の彼の作品において扱われている移動と滞留、日常と非日常を巡る問いは、劇場と脱劇場を巡る問いにも重ね合わせることが可能だろう。また後者に関しては、PLAYWORKSを主宰する岸井大輔の活動に触れないわけにはいかない。岸井氏が現在取り組んでいる『東京の条件』プロジェクトは、ハンナ・アーレントの『人間の条件』を手がかりとしながら、「work(仕事)」でありかつ「act(活動)」でもあるという演劇の困難な二重性を自覚的に引き受けつつ、東京にスペシフィックな公共性の条件を模索するものと捉えることができる。

5.3月11日に起きた東日本大震災と、それに続く――いまなお進行中の――事態は、我々の社会のあらゆる構造や慣習に対してそうしたのと同様に、諸芸術に対しても様々な問いをつきつけた。ことに舞台芸術の場合には、「芸術に何ができるか」といった古典的かつ抽象的な問いよりもまず、余震が続き安全性が十分に確保できるか分からない状況下、しかも節電の必要が強く訴えかけられる中で、多量の電力消費を伴う劇場での上演行為というものを敢行してよいのかという、きわめて身も蓋もなく、また差し迫った――3月11日直後に上演を予定していたカンパニーは、この問いにまさしく即時的に応答することが求められた――かたちでの問いがつきつけられることとなった。このことをもって劇場を否定するのはもちろん短絡でしかないが、ここで顕在化させられた劇場機構の根本的な有限性ということは忘れられるべきではない。リテラルな劇場否定はナンセンスであるが、劇場の有限性がリテラルに露呈するという事態を我々は経験したのである。もちろん、劇場外の実践は劇場でのそれ以上に様々な有限性を負ったものであるだろう。本稿の出発点につなげていうならば、舞台芸術の「遅さ」は一種類ではない、ということだ。複数の仕方で遅れつづけながら、都度、演劇性の新たな変形が試みられねばならない。

江口正登(東京大学/日本学術振興会特別研究員)