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震災後のアートと社会
加治屋健司
東日本大震災と福島原発事故は、日本の社会に大きな打撃を与えた。政治や経済だけでなく、文化にも様々な影響をもたらした。私が主に関心を寄せているアートの分野でも、美術館や文化財の被害から展覧会やイヴェントの中止まで、様々な影響が今もなお報道され続けている。
そのなかで私が特に関心を抱いたのは、震災を機にアートの社会性に関する議論が盛んになったことである。アートはこうした事態に対して何ができるのか。その問いの是非も含めて、ツイッターなどのソーシャルメディアを通して、アーティストを含むアート関係者のあいだで様々な意見が交わされた。それらのいくつかは実際の行動となった。募金や寄付をする者もいれば、イヴェントを企画する動きも出てきた。寄付のサイトが立ち上がり、シンポジウムが行われた。絵を描いて公表する者もいれば、義援金のために作品を売る者もいた。もちろん、こうした行動は、震災後の日本社会で起こっている社会意識の高まりによるものであろう。しかし、それが、かつてないほどの規模でアートに関する関心のあり方に影響を与えて、様々な思考と行動を促していることは注目するべきである。
アートの社会的な関与とは、奇しくも、このたび刊行される表象文化論学会の学会誌『表象05』の特集企画「ネゴシエーションとしてのアート」のテーマの一つである。震災前に企画されたこの特集は、昨年7月の第4回大会で行ったシンポジウム「現代日本文化のグローバルな交渉」を受けて、文化のグローバリゼーションの問題を考察する一方で、ハル・フォスターやクレア・ビショップ、ボリス・グロイスの論文の紹介を通じて、1990年代に入って増えてきた社会的な関与を志向する現代美術に対する検討を行っている。
言うまでもなく、アートと社会とは今に始まったテーマではない。日本の近代以降の歴史に限定しても、それは重要な議論を形成してきた。「美術」の制度が導入された明治時代、敗戦を経て新しい美術団体が次々と生まれた1950年代、社会運動が高まり万博への参加をめぐって美術界が分断された70年前後など、それぞれ主張や力点は異なるけれども、アートの社会性の問題は、主として制度や表現内容の問題として間歇的に検討されてきたし、そのあいだも、ポピュラー文化との関わりなどにおいて言及され続けてきた。
だが、90年代に入ると、社会的な問題に関与するアートがグローバルな規模で増え、状況が変わってくる。日本でもリレーショナル・アートが注目を集めるようになり、展覧会だけでなく、教育普及やアート・プロジェクトにおいても、社会に様々な形で関わる作品やプロジェクトが発表されるようになった。こうした試みの中には、表現内容の問題を越えて表現形式自体を問い直したり、アートの諸制度自体に介入したりするものもあった。アートと社会の関係は、アートの構造的な変化を伴うような動きのなかで、90年代に新たな局面を迎えたと言ってよい。
震災後のアートを考えるにあたって、私たちは、過去20年間の経験と知識をどこまで活かすことができるのだろうか。おそらく、これまで行ってきたアートと社会に関する議論は今一度検証される必要があるだろう。今回の『表象05』の特集論文には、リレーショナル・アートの主要な動向に対して手厳しい批判を加えつつ、アートと社会との関係を批判的に探る作家の試みを考察しているものもある。これまで経験したことがない事態に対して、表象文化論的な学知がどのように作動するのか。自らもその一翼を担いつつ、今後の展開に注目していきたい。
加治屋健司
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今回の『REPRE』では、学会誌『表象05』の特集企画「ネゴシエーションとしてのアート」と連動して、小特集「現代日本文化のネゴシエーション」を企画しました。学会誌とあわせてお読みいただければ幸いです。(REPRE編集部)