新刊紹介 翻訳 『写真の映像』

竹峰義和、柳橋大輔(共訳)
ベルント・シュティーグラー(著)『写真の映像』
月曜社、2015年12月

写真というテクノロジー・メディアには、十九世紀に写真術が発明されてから現在にいたるまで、さまざまなイメージや隠喩がつきまとってきた。ありのままの真理を伝える「証人」、現実にたいする不気味な「ドッペルゲンガー」、対象を獲物のように射ち落とす「武器」、誰でも理解することのできる「文字」……。さらに、死せる存在を現在へと「復活」させるとともに、生命ある存在を硬直した物質へと「壊死」させてしまう装置、あるいは、過去を永遠に保存する「アーカイヴ」であるとともに、現実を無数のシミュラークルによって消去する「幻影」であるといったように、写真にまつわるそれぞれのイメージは、ときに完全に矛盾しあうことも少なくない。

本書は、「写真をめぐる隠喩のアルバム」という副題が示すように、写真にまつわる隠喩的なイメージの数々を手掛かりとして、言説と実践の双方から写真の歴史を考察しようとするものである。アルファベット順に並べられた計55個の「写真をめぐる隠喩」を項目として構成された本書では、それぞれ2~4頁ほどの本文と、それに対応する一枚の写真をつうじて、「写真をめぐって抱かれた表象のなかで、写真師の経過において生みだされた映像のなかで写真の歴史を捉えること」(10頁)が試みられる。そこでは、カメラ・オブスクラからダゲレオタイプ、マレーの写真銃、ピクトリアリスム、スティーグリッツ、カルティエ‐ブレッソンをへて、現代のデジタル写真にいたるまで、写真論の古典文献(ウェンデル・ホームズ、モホイ‐ナギ、ロトチェンコ、クラカウアー、ベンヤミン、モラン、バルト、ソンタグ、セクラ……)や、写真に言及した文学者(フローベール、ゴーティエ、カフカ、ブレヒト、ベルンハルト……)、写真家たちの証言、さらには写真術の教則本や雑誌記事など、さまざまなテクストを横断的に参照しながら、写真がもつプリズムのような多面性が鮮やかに浮き彫りされる。ただし、もともとデリダ派の哲学研究者として学術的なキャリアをスタートさせた著者のシュティーグラーは、テクストの紹介やエピソードの羅列にとどまることなく、絶えず変容を遂げていくこのメディアとイメージと言語とのあいだで織りなされる複雑な布置状況について、短い文章の各所で刺激的な洞察や思弁的な省察を披露する。その意味で、すでに膨大な数量にのぼる著者の写真論のダイジェスト版として本書を読むことも可能だろう。

本書のさらなる魅力となっているのが、各項目に添えられた写真の数々である。スティーグリッツの《イクイヴァレント》やポール・ストランドの《盲目の女》のような著名な写真作品だけでなく、著者本人のコレクションから厳選された写真も多数掲載されており、視覚的にも楽しめる仕掛けとなっている。まずは書店で本書のページをめくり、さまざまな写真を眺めてもらえれば、訳者の一人としてとても嬉しく思う。(竹峰義和)

竹峰義和、柳橋大輔(訳)ベルント・シュティーグラー(著)『写真の映像』月曜社、2015年12月