新刊紹介 | 編著/共著 | 『「記録映画」復刻版』 |
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阪本裕文(解説)
佐藤洋(解説)『「記録映画」復刻版』
不二出版、2015年12月
『記録映画』は、教育映画作家協会(記録映画作家協会)の機関誌として1958年6月号から1964年3月号まで、通巻65冊刊行された雑誌である。同誌は日本の戦後ドキュメンタリー映画の原点を知るための基礎的な資料といえるものだが、全号を所蔵している図書館・研究機関はこれまで存在せず、そのことは戦後ドキュメンタリー映画史を研究するうえで、障害となっていた。
まずは、『記録映画』と作家協会について概説したい。1950年代初頭とは、職場サークルの活動や生活記録運動などが盛んに行われた時期だったが、記録映画の領域でも左翼的な映画運動が現れる。それが1953年に発足した記録映画教育映画製作協議会であり、同協議会に集った作家たちは大衆運動と一体化した左翼映画運動を進めてゆく。やがて彼らは、より職能組合的な性格を持つ組織として1955年3月に教育映画作家協会を設立する。そして、映画製作会社に所属するか、もしくはフリーランスとして、教育映画・PR映画の製作に従事してゆく。このような活動の中で、同誌は刊行されることになる。一方でこの時期は、戦後アヴァンギャルド芸術の運動が花田清輝によって牽引されていた頃でもある。花田のアヴァンギャルド芸術論とは、反映論的な社会主義リアリズムを批判し、大衆の無意識的な欲動を組織しようとするもので、共産党の文化運動方針への批判でもあった。この時期に広まった、絵画や文学におけるルポルタージュの動きも、花田の言説の影響下において進められたといえる。そして、記録映画の領域においてこの動きに対応したのが、松本俊夫や野田真吉を中心とする作家たちであった。『記録映画』創刊号には、松本の論文「前衛記録映画の方法について」が掲載され、以降同誌では、政治的あるいは芸術的に異なる考えを持つ作家たちによって、様々なレベルで論争が展開されてゆくことになる。この論争は、作家協会内部における既存の左翼映画運動の側に与する作家たちと、これを批判する側の作家たちの対立を反映したものでもあった。やがて、その対立は60年安保を経るなかで決定的なものとなり、1964年に『記録映画』は休刊へと至る。そして、松本・野田を中心とする作家たちは作家協会を集団脱会し、映像芸術の会の発足へ向かう。
このように同誌には、1950年代末から1960年代初頭にかけて進行した、多層的な論争の過程がそのまま記録されている。それは、政治(生活)と芸術を未分化なものとして捉える問題意識を内包するものであり、この問題系は、その後のドキュメンタリー映画や、個人映画・実験映画の展開のなかに形を変えながら引き継がれてゆく。また、同誌には劇映画やテレビの領域にいる作家たちも執筆者として数多く関わったが、これは記録をめぐる諸問題の共有が、記録映画の領域外に広まっていたことを示すものだといえる。1960年代を通して拡大してゆく大きな映画運動のうねりは、『記録映画』の言説と密接なつながりを持つものであったと捉えるべきだろう。今回の復刻出版は、これまで固有名(例えば小川紳介、土本典昭)に注目して語られてきた感のある戦後ドキュメンタリー映画についての言説に、運動の連続性という視座をもたらし、より多層的で緻密な歴史記述を促すものとなるはずである。
なお、不二出版からは、作家協会の内部資料といえる作家協会会報の復刻出版も予定されている。(阪本裕文)