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「オルセー美術館展 印象派の誕生―描くことの自由―」
(国立新美術館、2014年7月9日~10月20日)関連シンポジウム
「マネから印象派へ ─1860年代のフランス絵画の変貌」
日時:2014年9月13日(土)10:30-17:30
場所:国立新美術館 3階講堂
主催:国立新美術館、日仏美術学会
【プログラム】
午前の部(10:30~12:00)
*基調講演
1860年代のマネとそのグループ ─ポスト・レアリスムから印象主義へ─
三浦篤(東京大学教授)
*研究発表
◆作品展示の場を求めて ─19世紀半ばの画家たちの選択
横山由季子(国立新美術館アソシエイトフェロー)
午後の部Ⅰ(13:00~14:10)
◆ルグロとホイッスラー ─三人会の結成と新しい絵画の到来
安藤智子(國學院大學、法政大学、一橋大学他非常勤講師)
◆19世紀版画の分岐点としての腐蝕銅版画家協会
和南城愛理(町田市立国際版画美術館学芸員)
午後の部Ⅱ(14:30~17:30)
◆絵筆とナイフ―ピサロとセザンヌを中心に
石谷治寛(甲南大学人間科学研究所博士研究員)
◆1860年代のドガ―歴史画と近代性
岩﨑余帆子(ポーラ美術館学芸課長)
*全体討議
司会:三浦篤、パネリスト:発表者全員
2014年の7月から10月にかけて国立新美術館で開催された「オルセー美術館展 印象派の誕生─描くことの自由─」は、オルセー美術館がコレクションする印象派やアカデミスム、レアリスムの作品を、流派の垣根を越えて展示することで、近代絵画が誕生した時代のフランス美術を展望する試みであった。1986年の開館当初から、印象派だけではなくアカデミスム作品の収集にも力を注いできたオルセー美術館の方針が反映された本展では、いわゆる印象派展とは一線を画した、異なる流派の相克を体感できる空間が実現した。「前衛」を信奉してきたモダニズムに対する修正主義とも取れるオルセー美術館の展示戦略は、一方では、パトリシア・マイナルディのような批評家を筆頭にポストモダンのスペクタクルとして槍玉に上げられてきたが、また他方では、近代絵画の誕生から1世紀半あまりを経て、「悪しき絵画」(アカデミズム)はもちろんのこと、「良き絵画」(マネや印象派)をも正当に歴史のなかに位置付けようとする姿勢を示すものであるといえよう。
展覧会の関連イベントとして、9月13日に同館で開催されたシンポジウム「マネから印象派へ ―1860年代のフランス絵画の変貌」は、第1回印象派展が開催される直前、マネやその周辺の画家たちが作品を発表しはじめた1860年代に焦点を当て、19世紀のフランス美術を揺さぶった地殻変動の起源を再検討しようという目的のもとに企画された。展覧会には出品されなかった作家も分析の対象に含めることで、この時代を単純な二項対立で捉えるのではなく、より包括的な視点から捉え直すことができた。
三浦篤氏は、冒頭の基調講演で、19世紀半ばの画家たちが直面していた描くことの「不自由」に対して、そこからの脱却を画策したマネの「自由」を解き明かしながら、1863年にマネとともに世を騒がせたファンタン=ラトゥールやルグロ、ホイッスラーといった画家たちが、絵画内での現実を作り上げようとしていたという側面に着目し、「ポスト・レアリスム」の用語を提案することで、これまで捉えどころのなかった1860年代の絵画動向に輪郭を与えた。続く横山由季子の研究発表は、展覧会の制度という視点から、画家たちが発表の場を求めて模索する過程を追ったものである。19世紀前半においては、「価値決定」「商業的アピール」、そして「大衆の趣味形成」の場として唯一無二の存在であった公式のサロンの権威が、展示の場の多様化―1863年の「落選者のサロン」や、1855年から断続的に開催された万国博覧会における美術展、エコール・デ・ボザールでの個展、そして画廊の台頭や芸術家の共同組織による展覧会の出現―によって徐々に揺らぎ、やがて第1回印象派展が陽の目を見ることになった経緯を明らかにした。
午後の部に入り、安藤智子氏は、1858年に結成された「三人会」のメンバーであったアルフォンス・ルグロ、ホイッスラー、ファンタン=ラトゥールが共有していた美学と、お互いへの影響関係を、ルグロの《エクス・ヴォト(奉納画)》(1860年、ディジョン美術館)を軸に読み解いていった。そこでは、同時代の画家や過去の巨匠の作品が巧みに引用され、ひとつの絵画空間が作り上げられていることが分析された。続く和南城愛理氏の研究発表は、クールベやマネ、ピサロら多くの画家を巻き込みながらも、わずか5年で活動を終えた「腐食銅版画家協会」(1862年~1867年)について、版画と絵画との関係にも言及しながら、その解散までの紆余曲折を辿るものだった。「量」よりも「質」を重視する19世紀版画界において、「オリジナル」が単に「コピー」の反対語ではなく、たとえ既存のイメージをもとにしたものであっても、「銅版画という技法ならではの表現を追求したもの」へと変容していく様が、実例をもとに示された。
石谷治寛氏は、1860年代にアカデミー・シュイスで出会い親交を深めたピサロとセザンヌが、クールベの影響のもとパレットナイフを用いて厚塗りの絵画を制作していたことに注目し、造形的な面だけでなく、道徳的・政治的なメタファーとしての絵筆とナイフをめぐる関係にも切り込んでいった。画家自身の言葉や、同時代の批評にみられる「絵筆」や「ナイフ」の語に込められた真意を読み取りながら議論を展開し、最終的にはディディ=ユベルマンの「航路(Sillage)」という概念を鍵に、運動の痕跡としての絵画のあり方を、クールベ、ピサロ、セザンヌの制作に結び付けた。最後に、岩﨑余帆子氏はドガの《ウジェニー・フィオクルの肖像、『泉』について》(1867-1868年頃、ブルックリン美術館)に見出すことのできる、歴史画のごとく綿密に練られた構図と、同時代の事物に取材した要素の組み合わせがもたらす近代性について、ひとつひとつの要素を丁寧に分析することで、単に印象派の画家には収まらない、ドガという芸術家の複雑な二面性を引き出した。シンポジウムを締め括る全体討議では、絵画の展開はもちろん、展覧会の制度においても、1860年代のフランスが重要な過渡期を迎えていたことが確認された。1860年代の諸相を仔細に検討することを通して、アカデミスムが優勢であった19世紀前半と、印象派が世に出て新しい絵画が認められていく1870年代以降という、2つの時代のあいだに横たわる断絶を浮かび上がらせることができたように思う。(横山由季子)
オルセー美術館展会場写真
撮影:上野則宏
オルセー美術館展会場写真
撮影:上野則宏
オルセー美術館展会場写真
撮影:上野則宏