第9回研究発表集会報告 ワークショップ:人工知能とジェンダー

ワークショップ:人工知能とジェンダー
報告:西條玲奈(京都大学)

2014年11月8日(土) 10:00-11:20
新潟大学五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 F274教室

ワークショップ:人工知能とジェンダー

大橋完太郎(神戸女学院大学)
小澤京子(首都大学東京)
北村紗衣(武蔵大学)
西條玲奈(京都大学)
清水晶子(東京大学)
藤崎剛人(東京大学)
鷲谷花(早稲田大学演劇博物館)
飯田麻結(Goldsmiths, University of London) ※遠隔参加
大澤博隆(筑波大学) ※遠隔参加

【司会】門林岳史(関西大学)

本ワークショップは本年7月の研究大会で行われたパネルセッション「知/性、そこは最新のフロンティア―人工知能とジェンダーの表象」のフォローアップとして企画されたものである。人工知能(以下AI)のジェンダー表象という主題が取り上げられたきっかけの一つは、2013年12月にリニューアルされた人工知能学会の会誌『人工知能』の図案が性差別的ではないかと指摘され、一定の関心を引き起こしたことにあった。ただし、パネルの議論の射程はこの事例にとどまらず、(1)芸術作品などを通じて、AIを備えた人工物がジェンダーを持つものとして表されてきたか、という文化史的な系譜、(2)社会で実際に流通しているAI技術を用いたプロダクトにジェンダー属性が付与される方法とそれにかかわる倫理的問題点、(3)フェミニズムやクイア理論の観点から科学技術の展開を考察することを通じ、ジェンダー化された生物学的な身体のあり方を自明視する状況がどのように形成されているのか、その条件を探る科学技術論といった主題が論じられた。

しかしながら、当セッションが行われた後に、SNSでその内容が「十分に学術的でない」という批判や、あるいは逆に「単なる知的遊戯にすぎない」という批判があがった。こうした反応は、アカデミズムという知の実践の場所が、どのようなジェンダー的バイアスを伴うかという論点を示唆するものだったと言える。そこで、今回のワークショップは、映画、演劇、文学、漫画などの表象文化論研究をはじめ、歴史学、哲学、工学、クイア理論、科学論など、多岐にわたる専門分野の研究者が集う学際的な議論の場として設定された。

本ワークショップで提示された論点は、およそ次の三つに分類できるだろう。

(1) 解釈にかかわる論点。現代のフィクション作品等おいてAIはどのように描かれているか。
(2) 規範にかかわる論点。言説は、技術やその成果に反映されたジェンダー規範に対してどのような批判的アプローチが可能か。
(3) 原理的な概念かかわる論点。ジェンダー化されるときに問題となる知(性)とはどのようなものか、そしてそもそもAIはジェンダー化可能なものか。

(1)については、(i)『アイアンマン』『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』といった米国の映画作品におけるAIの描かれ方の特徴として、世俗を超えたユニークな存在として登場する点が示唆された。大量生産品として流通し、時間の経過とともに古びて廃棄されるという側面が捨象された描かれ方は、ファンタジー的で観客にとって心地よい。しかし、これをAIの積極的な表象とみなせるかというと、そこには議論の余地があると指摘された。他方で、 (ii)20世紀初頭におけるドイツ文化の中でテクノロジーが描かれる際の特徴に基づいて、AIとジェンダーという議論の端緒となった『人工知能』誌の表紙について新たな解釈が提示された。人は技術をコントロールしているが、そこには常に制御不可能な事態に陥る可能性がつきまとう。そうした可能性を過去の神話などのモチーフによって表現する手法は、『メトロポリス』のマリアに典型的に見られるように、ドイツの芸術作品の中にしばしば登場する。未来に向けて行われる技術開発の中に過去へ回帰する傾向が潜む表れとして、『人工知能』の表紙の図案では、本というアナログメディアを女性型ロボットが手にしているのではないかと示唆された。

(2)については、総じて、いたずらにジェンダー規範を固定化させないため、人工物のデザインについて講じるべき具体策が焦点となった。技術によって生み出された事物はわれわれの環境に浸透しうるがゆえに、そこに潜むバイアスを批判的に検討しなければならない、という点への異論はなかった。しかし、そのようなバイアスを社会に拡散させないため、実践的な配慮をする責任は、ただ技術者集団のみが負うものなのだろうか。別の言い方をすれば、人文学研究者の仕事は、文化現象を含めた、社会に広まる男性・女性的なものの語られ方を読み解き、分析を行うだけでよいのか。技術者に対し、ジェンダーバイアスについての具体的な行動指針を示す一助となりうる言説をいかに構築するかが、課題の一つとして明らかになったと言える。

そして、(3)に関連して提示された論点は、「AIがジェンダー化される」と言うとき、ジェンダー化の対象となるAIが実現している知性とはどのようなものであり、何によってジェンダー化されるのか、という概念上の反省を促すものだった。知性の機能には、推論や計算、学習などがあるが、それらはプロセスや能力であって具体的な事物ではない。そうだとすれば、知性そのものが原理的にジェンダーをもちうるかどうか議論の余地がある。こうした議論をするためには、何がジェンダー化の要因となるかを理解しなければならない。前回のセッションおよび本ワークショップでは、ユーザインタフェースにおける図像や音声などの視覚や聴覚に訴える表現、言語表現などが議論に登場した。こうしたインタフェースの構築に、もしもジェンダーが入り込んでいるとしたら、それを明らかにすることは、われわれが自身の男性・女性的な身体をどのように把握しているかを知る手がかりともなるだろう。

以上のように本ワークショップでは様々な論点が示唆された。AIとジェンダーは、知性というそれ自体は知覚の対象になりがたいものと、それを知覚可能にする外見上の媒体、という関係にあるとも言える。社会における技術と文化が交錯する主題として、今後も議論の継続が望まれる。

西條玲奈(京都大学)

【ワークショップ概要】

人工知能はジェンダーを持ちうるか/持つべきか? 第9回表象文化論学会において開催された研究発表パネル「知/性、そこは最新のフロンティア──人工知能とジェンダーの表象」(報告文)で提起された問題を受け継ぎ、本ワークショップは、ポストヒューマニズム、フェミニズム批評、応用倫理学、表象文化史など、様々な領域にまたがるこのテーマについて討議する。