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武蔵大学公開講座「文学と美術からみる人形文化──自動人形(オートマタ)/人造人間(アンドロイド)/球体関節人形」
日時:2014年10月4日、10月11日、10月18日、10月25日
会場:武蔵大学1号館1階 1001教室
第1回 10/4(土) 13:30-15:30
「人形愛としての西洋美術――古代彫刻から球体関節人形まで」
講師:香川 檀(武蔵大学人文学部教授)
第2回 10/11(土) 13:30-15:30
「いかにしてコピーはモデルを超え得るのか――ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』における人造人間の理想化」
講師:木元 豊(武蔵大学人文学部教授)
第3回 10/18(土) 15:30-17:30
「ヨーロッパの自動人形(オートマタ)と日本のからくり人形」
講師:小山ブリジット (武蔵大学人文学部教授)
第4回 10/25(土) 13:30-15:30
「東欧・ドイツ文学における人造人間――ゴーレムからロボットまで」
講師:桂 元嗣(武蔵大学人文学部准教授)
大きな声では言えないが、この企画は、退屈な会議中の私語・雑談から生まれた。リラダン専門家の仏文研究者と、「人形っておもしろいよね」と話が盛り上がり、なにか一緒にしようと声をかけると、同僚教員から次々と手があがった。ほとんど奇跡に近いまとまりようで、それもこれも人形というテーマの魅力ゆえだろう。
全4回の連続講演のうち、初回はわたしが趣旨説明も兼ねて担当。「人形愛としての西洋美術──古代彫刻から球体関節人形まで」と銘打って、美術における理想美の追求が根底において人造のヒトガタを愛する欲望をはらんでいることに注目し、それがやがてモダニズムの身体表象のなかで幾重にも屈折しつつ、自己愛的なものも出現してくるさまを紹介した。第2回めはフランス文学の話。「いかにしてコピーはモデルを超え得るのか──ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』における人造人間の理想化」では、近代におけるピュグマリオン的人形愛の極致ともいえる女性アンドロイド形象を、原文に詳細にあたって分析。人形を愛することは、すなわち「死」を意味するのだというスリリングな展開をみせた。第3回は、比較芸術の視点からフランス人教員による「ヨーロッパの自動人形と日本のからくり人形」で、ヨーロッパにおいて人形を「動かす」ことに注がれた熱意の数々が紹介される。また、日本のからくり人形師、半屋春光氏による実演もまじえ、ぜんまい仕掛けの精巧な造りにかけた職人たちの情熱とその結実を堪能した。最終回は、人形文化の長い伝統をもつ東欧と中欧に焦点をあてた「東欧・ドイツ文学における人造人間──ゴーレムからロボットまで」。人間の始祖アダムと同じように土から造られたゴーレムの伝説は、1920年にドイツ・サイレント映画で現代に蘇り、同じ時期に発表されたチェコのカレル・チャペックの戯曲『ロボット』とともに人造人間への幻想を増幅させることになる。しかし、そこでの人形は、つねに人間より劣る、「欠損」を抱えた被造物として描かれるのである。
通して見ると、美術の人形愛にはじまり「未来のイヴ」の理想化と、運動性の実現による生命付与(アニメーション)を経て、人型はついにモノすれすれの人造人間としての実態からついには反抗的ロボットとなって人間に復讐する。わたしたちは、この脅威とどう折り合っていけばよいのだろうか?
なお、この公開講座をベースに、新たにドイツ・ロマン主義文学や、民間伝承における人形のトピックなども加えた単行本を企画中である。乞う、ご期待!(香川檀)