研究ノート 渡部宏樹

アメリカでの映画/映像教育と人文科学教育
渡部宏樹

本稿の目的

本稿では、筆者が所属する南カリフォルニア大学(University of Southern California)大学院映画芸術学科における映画/映像教育と人文科学教育の事例を紹介したい。私は19世紀から20世紀にかけての初期映画、視覚文化、文化産業などを研究対象としているが、アメリカのフィルム・スクールに留学することになり、研究生活の中でさまざまな形で映像を作ることに関わってきた。USCはアメリカでも指折りのフィルム・スクールであり、必修の授業でMFA(芸術学修士号)課程の学生とともに映像作品を実際に作ることは当然として、ハリウッドでフィルム・メーカーになりたいなどとは夢にも思ったことがないであろう人文系の大学院生向けの授業でも映像作品の制作を課されることが度々あった。これは、いわゆるデジタル・ヒューマニティーズの一環で、新しいテクノロジーを人文科学系の研究や教育に積極的に取り入れる動きのひとつであるが、単に最新のデジタル技術を使ってこれまでと同じような教育や研究を行うということではなく、より根本的に人文科学教育の制度やカリキュラムに刷新を迫るものだと考えるべきである。

フィルム・スクール大学院での映画教育:USCの場合

USCのフィルム・スクールはアメリカでは最も古いフィルム・スクールで、ダグラス・フェアバンクスを始めとするハリウッド映画産業の関係者がハリウッドを支える人材を教育するために1929年に設立した。そのためニューヨーク大学等アート寄りのフィルム・スクールなどと比べると産業寄りの傾向が強い。とはいえ、米国におけるフィルム・スクールとは単に技術を習得するための職業訓練校というわけではなく、実践的な技術と理論的な知識の両方の習得のための総合的なプログラムであると認識されている。この実践と理論の両立という理念はUSCフィルム・スクールの設立時から明確に唱えられており、実践的な教育を行うプロダクション課程と理論的な研究を行うクリティカル・スタディーズ課程が設立当初からのUSCフィルム・スクールの二本柱となっている。このため、USCの場合は私のようなクリティカル・スタディーズの博士課程学生でもプロダクションの大学院生向けの映像製作入門の授業を取ることが必修となっている。

プロダクションMFA課程の内容

プロダクションのMFA課程は基本的に3年間のプログラムである。初年度は基礎的な知識と技術を学び、2年目にそれぞれが志望する専門の授業を履修し、3年目で卒業制作プロジェクトに加わるというのが典型的なパターンである。1年目の基礎の授業では、例えば3人で1チームを作り、それぞれがディレクター、プロデューサー、シネマトグラファーの役割を順番にこなしながら1学期間で3本のショートフィルムを作るといったような形で、ゼネラリスト的な内容の教育を受ける。ご存知の通り、ハリウッドの歴史を見ればディレクターを映画の特権的な作者であるとみなすことは自明ではなく、フィルム・メーカーはそれぞれの専門を持ちながらも映画制作の全行程とその中での分業の仕組みの理解が求められる。2年目は自分の専門の授業を受け、脚本家、監督、音響、シネマトグラファー、編集といった訓練を受ける。3年目の卒業制作は自分たちで資金を調達してスタッフの数は10人から30人程度、予算規模は100万円から500万円程度で、ハリウッド基準の映画を製作する。プロダクションの学生はこの忙しい毎日の中で映画史や映画理論といったクリティカル・スタディーズ課程向けの授業も履修することになる。

クリティカル・スタディーズにおける映画教育

プロダクションのMFA課程での映画/映像教育はプロのフィルム・メーカーを養成するためのもので、ここを卒業した学生はハリウッドやアメリカのテレビ産業等で実際に映像を作る仕事に関わることになる。一方で、むしろ特筆すべき点はアメリカの教育環境の中ではこのようなプロのフィルム・メーカーになることを目指しているわけではない学生に向けても様々な形で映画/映像教育が利用されていることにある。

私が今学期ティーチング・アシスタントをしている授業の一つに、中南米の初期映画を専門とするラウラ・イザベル・セルナ先生が開講している学部生向けの第二次世界大戦前の世界映画史の授業がある。リュミエールとエジソンから始まり、メリエス、ポーター、グリフィスなどに触れ、ハリウッド黄金時代については別の授業があるのでそこは避けつつ、ドイツ表現主義やソ連のモンタージュ派といった世界中のサイレント映画と初期のトーキー映画について概説する入門レベルの授業である。この授業は上述のプロダクションとクリティカル・スタディーズの両方の学部学生の必修の授業で、およそ300人弱の学生が受講している。そのため、専攻や興味関心の異なる学生たちの能力に合わせて人文科学教育を施せるように、この授業の課題はデジタル技術をうまく利用して設計されている。例えば、3回の宿題のうちの最初の宿題では、エジソンとリュミエールの初期映画を模した映像を作り、彼らの映画が当時のモダニティの経験を活写していたように、現代におけるモダニティーの経験を表現せよという課題が与えられる。学生はスマート・フォンなどのカメラを使い、できるだけ初期映画の技術的条件を逸脱しないよう、基本的には編集なしで1分以下の映像を撮り、それに2ページ以内の解説文を書くことを求められる。解説文の中では、エディソン、リュミエールのどの映画に基づいて作品を作ったのか、作品の中で描き出そうとしている現代のモダニティー経験とはどのようなものかを簡潔に論じる。映画を作ることを専攻しているプロダクションの学生と理論的な学習が中心のクリティカル・スタディーズの学生との合同クラスであるが、このような課題を出すことによって、実践と理論の両立という理念を実践している。

私が担当した学生達の中から2つ例を紹介したい。最初の事例は米国の衣類ブランドであるアバクロンビー&フィッチの店内を撮影したものである。アバクロンビー&フィッチは、店内で筋肉質の白人男性が半裸で接客することでよく知られており、人種差別的傾向が米国社会で批判されている。この作品はアバクロンビー&フィッチの店内にいる店員がカメラに向かって微笑むのを次々と映し出したものである。これだけを見ると一見このブランドのプロモーションのようにも見えるのだが、この作品はエディソン社が1890年代に撮影したサンドウという男性ボディービルダーの映像を下敷きにしたものである。この作品を撮影した学生は、同時に提出した文書の中で、サンドウのヌードがアトラクションとして耳目を集めていた事実から出発し、アメリカ社会における男女のヌードと商品文化の関連を議論し、その具体的な現代的事例としてこの映像を提示した。もう一つの事例は、ゲーティッド・コミュニティの中で車の前にカメラを取り付けて撮影したものだ。初期映画に数多く見られる列車の先頭にカメラを据えて、移動する列車から移り変わる風景を撮影したものがこの映像の下敷きになっている。初期映画において映画を見るという行為が列車での旅行と類似した外の世界への想像的な移動とみなされていたことを踏まえた上で、この学生は現代のスマート・フォンと車を利用して、裕福なゲーティッド・コミュニティの中でのどこにも向かうことがない移動というテーマをアイロニカルかつ批評的に表現した。

これらの事例は学部学生の課題だが、博士課程の院生として自分が参加する授業の中で映像作品やデジタル技術を使った課題提出を求められることも度々あった。例えば、『アンチ・スペクタクル』に邦訳論文が掲載されているヴァネッサ・シュワルツ先生のヴィジュアル・スタディーズ入門コースでは、最終課題としてレポートの提出に加えて映像作品を求められた。この授業は美学や美術史といった既存のディシプリンからいかにしてヴィジュアル・スタディーズという新しいディシプリンが出現したのか、またその背景にある問題意識がどのようなものであるのかを概説するものだった。議論の出発点の一つが、西洋における美をめぐる諸制度やイデオロギー的な前提を批判するために、実際に膨大なイメージを配置し「見る方法」それ自体に読者の注意を向ける戦略をとったジョン・バージャーの『イメージ:視覚とメディア(Ways of Seeing)』である。シュワルツ先生は博士課程学生向けの大学院の授業にあえて映像を制作させる課題を持ち込み、バージャーが『イメージ』でとった戦略と同様の「見る」という行為自体を批判的創造行為の出発点に置くような知的視覚的生産物を求めた。この点において、彼女が求めていることは、単に論文をオンライン出版するとか画像を上手に使ったパワー・ポイントを作るということではなく、人文科学の大学院レベルの知を美的あるいは視覚的なオブジェクトとして生産する能力だと言える。このように考えればセルナ先生とヴァネッサ先生の課題は学部レベルと大学院レベルとで内容の違いはあるが、本質的な部分では同じことを求めている(ちなみに私はこちらで習っているフィリピン系アメリカ人の居合の先生のインタビューを撮り、彼が体得している日本的な古武術の身体操法を見せることで、日本での「サムライ」のイメージのナショナリスト的なイデオロギーを相対化することを狙う作品を制作した)。

日本における映画/映像教育と人文科学教育の可能性

日本の大学とアメリカのフィルム・スクールとは、その歴史的背景や産業や政府との関わり方が大きく異なる以上、これらを同列に扱えるわけではない。USCフィルム・スクールの場合はサウンド・ステージだけでも4つ有しており、それに加えて多くの高価な機材と映画産業で活躍してきた教授陣を有している。これはハリウッドとの深い関わりがあってはじめて可能なことで、日本の大学ですぐに真似できるものではない。だが、商業レベルのクオリティを目指すのでなければ、比較的安価な機材でそれなりの映像を撮ること自体は可能な時代になっている。セルナ先生の課題は、スマート・フォンが学生に普及しており、彼らが日常的にショート・ムービーを撮っているという状況を考えると、非常に上手に設計されており、これはそのまま日本の大学でも実現できるだろう。とくに、サイレント映画や非ハリウッド映画について授業をする際には彼女の課題の形式は非常に高い発展性を有している。例えば、ベンヤミンのパサージュ論を読み、『ベルリン:大都市交響楽』を見たうえで、日本の都市の姿を多面的に捉えるグループ・ワークをやりなさいという課題は、単にベンヤミンを読む以上に彼の著作についての深い理解を促すであろう。あるいは、エイゼンシュタインのモンタージュについての理論的な著作を読み、ソビエト・モンタージュの作品やレニ・リーフェンシュタールの作品を見せた上で、現代日本のテレビのニュース番組のリッピング素材を利用して弁証法的モンタージュを実践するといった課題は、政治と美学の関係を考えるのに有効だろう。

南加東大会体験活動プロジェクト:「ロサンゼルスにおける日系人/日本人の歴史と現在を学びドキュメンタリー・フィルムを制作する」

最後に、USCでの映像教育を人文科学の教育に応用するという経験を活かした活動を一つ紹介したい。東京大学では2013年度から「体験活動」という学部生向けのプログラムを開始した。プログラム全体の詳しい説明は当該ページに譲ることにするが、ロサンゼルスでは現地の南加東大会というOB組織と協力して学生がロサンゼルスで映像を制作するプロジェクトを企画した。初年度の2013年の反省を踏まえ、またUSCでの映像教育の方法論を応用し、2014年度はプロデューサー、ディレクター、シネマトグラファーの3人で1チームとし、計2チームでロサンゼルスに住む日系人を取材しドキュメンタリーを制作することになった。日系アメリカ人の歴史などの事前の教育ならびにロサンゼルスでの引率をUSCの歴史学科で博士号を取得され現在東京大学にて教鞭をとっておられる板津木綿子准教授に担当していただき、それによって単に映画を作るということではなく、人文科学教育のためのメソッドとして映像制作を利用するという点を明確に打ち出した。

テーマの選択は学生達本人に任せ、先日2本の短編映画が完成した。1本目は『Herstory』と題するもので、写真花嫁の子孫にインタビューして、彼らの恋愛観について語ってもらった。写真花嫁とは日本から米国への移民が制限されていた時代に、親族だけはビザの発給が許されていたため、米国にすでに移民をしていた男性の元に写真だけでお見合いをし、結婚して移住してきた女性たちのことを指す。現代の恋愛観とは大きく異なる結婚をしていた女性の子孫たちにインタビューをし、彼らが写真花嫁である母親や祖母についてどのように感じているかを現代の日本の若者の目から描き出している。もう一方は『Preservation』と題するもので、他のエスニック・アイデンティティを持った相手との婚姻も稀ではなくなり、日本との関わりにも人によってかなりの濃淡がある日系アメリカ人たちのアイデンティティの多様性を描写するというものだ。日系アメリカ人と一口に言っても、四世、五世となり完全にアメリカ社会に同化した人や、1960年代以降の新移民、あるいは企業の派遣などで近年アメリカに移住してきた人など様々なグループが存在している。この多様性と個々のインタビュイーの固有性がこの作品のテーマである。アメリカにおける日系人の歴史や現在については多くの書籍や論文が執筆され、ロサンゼルスのリトル・トーキョーには全米日系人博物館という彼らの歴史を記録した資料館が存在している。日系人について客観的に学ぶことはインターネットが使える現代において決して難しいことではない。だが、学生たちの両作品は、歴史的な事実を踏まえた上で、映像教育やデジタル技術の成果を取り入れ、彼らの目を通してまさに「認識されたその時に一瞬だけまたたき決して再び現れることはないイメージとしてのみ捉えられる過去」を描き出すことに成功した人文科学教育の成果のひとつと言えるのではないだろうか。

渡部宏樹(南カリフォルニア大学)