第9回研究発表集会報告 | 研究発表5 |
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2014年11月8日(土) 14:45-16:45
新潟大学五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 F274教室
研究発表5
敗北した男たちの邂逅──黒木和雄『原子力戦争』における佐藤慶と岡田英次
片岡佑介(一橋大学)
ゾンビにおけるセクシャリティ──ポストヒューマニズムとの関連から
福田安佐子(京都大学)
小津安二郎映画における〈演出〉の美学──1930年代中盤の作品を中心に
滝浪佑紀(東京大学)
【司会】中村秀之(立教大学)
本パネルは映像に関する発表で大きく括られたパネルだが、さらに、映像に現れる身体や運動という具体的なアプローチにおいても相互に関連しあっていた。映画研究においては、しばしばショットが最小単位として扱われ、その中をさらに動いている身体はあまり論じられてこなかった。それに対して、本パネルにおいて共通して見られたのは、身体表象から映画を考える、というアプローチであったように思われる。
まず片岡佑介の「日本アートシアターギルド原発映画におけるアウトローの男・奔放な女・無力な男について」では、1950年代の原爆映画を70年代の原発映画とをとりあげ、そこに現れる身体を比較してみせた。
片岡によれば、『ひろしま』(1953)のような1950年代の原爆映画において、しばしば母性を象徴する女性が現れるが、彼女たちは声として登場することで、その超越的な機能を発揮する。片岡はこれをミシェル・シオンの「アクスメートル」という概念から説明した。シオンによれば、「アクスメートル」とは音源と想定される画面内の身体に係留されない声である。こうした声はまさにその不可視性・流動性において「偏在性」や「全知全能性」を示す。片岡によれば原爆映画における女性の声は、まさに「アクスメートル」として、視覚的領域に対して卓越した位置に置かれている。
それに対して1978年の『原子力戦争』では、声を奪われた女性が登場する。これは声において全能性を発揮していた原爆映画と対極にあるように見えるが、しかし片岡によれば、一見正反対に見える彼女もまた、まさに声によって作品の中で特権的な存在となっている。片岡は彼女を「ミュエ」という形象に結びつける。「ミュエ」とはトーキー以降に新たに発明された「沈黙」によって、やはり象徴的な機能を果たす存在である。声を奪われた身体はしかし、秘密を保持しているとみなされることで、物語の中でやはり特権的な位置に置かれる。『原子力戦争』における女性は、その沈黙を通じて、原爆映画と同じような超越的形象として登場しているのである。
このような女性の超越性に比して、両作品において男性の無力性がそれぞれ際立たせられることになる。しかし片岡は、それぞれの作品における男性性は、時代に応じて異なったものを体現しているという。片岡によれば、原爆映画における男性は、第二次世界大戦後における父権制の機能不全を、そして原発映画における男性は、ファム・ファタール的な助成によって分断させられた男性たちは、学生運動の挫折を象徴している。このように片岡は、声と身体という観点から、それぞれの作品の時代性を読み解いてみせた。
次に福田安佐子の「ゾンビにおけるセクシャリティ──ポストヒューマニズムとの関連から──」は、映画におけるゾンビを、「ポストヒューマン」という観点から論じた。福田はまず、『ホワイト・ゾンビ』(1933)や『私はゾンビと歩いた』(1942)などゾンビ映画の誕生を跡付けながら、映画史におけるゾンビの登場を、生政治的な権力のパラダイムと結びつける。死後も意識を持たないまま動きまわるソンビ身体は、アガンベンが『アウシュビッツの残りのもの』で論じた「ムーゼルマン」の身体に、さらに、生殺与奪権を完全人間に握られているゾンビは、同じくアガンベンの「ホモ・サケル」とも比較可能であると福田は指摘する。
さらに福田は、より最近のゾンビ映画を論じながら、それらをセクシャリティやポストモダンの問題系へと拡張していった。生者と変わらない外観など、ゾンビ映画においてはその初期から、女性ゾンビには男性とは異なった特性が与えられてきた。さらに近年の『バタリアン・リターンズ』や『ゾンビ・ストリッパーズ』(2008)では、女性はゾンビ化しても自意識を保っており、人間とともにゾンビと戦うなど、ゾンビ化に抵抗する役割を与えられている。福田はキャサリン・ヘイルズを参照しながら、このような近年のゾンビ化に抵抗する女性像を、ヘイルズ言うところのポスト・ヒューマン的な状況に対する抵抗の原理として考えることができるのではないかとして発表を締めくくった。
最後に滝浪佑紀「小津安二郎映画における〈演出〉の美学──1930年代中盤の作品を中心に」では、トーキーに直面した小津の試みが、「風景」の演出の中に探られた。滝浪はまず1920年代の小津の美学を「メディウムの運動」と概括した。滝浪によればサイレント期の小津は、画面内部の運動をコンティニュイティーに従わず接続することで、運動の不安定性を保ち、それによってメディウムそのものの運動を現出させることを目指していた。滝浪はまず、小津の『東京の合唱』(1931)や『東京の女』(1933)に対するエルンスト・ルビッチの『結婚哲学』の影響をあとづけながら、そうした演出を整理してみせた。
しかし、トーキー化によって、物語映画のシステムが大きく変容すると、小津の演出にも変化が生じる。滝浪はまず小津が1930年代に「雰囲気」や「気分」の演出に着目していたことを示し、さらにそれが音声との関連で言われていることを指摘することで、バザンが指摘したトーキー特有の様式としてのリアリズムを、小津もまた志向していたのではないかと論じる。滝浪は1935年の『東京の宿』の風景ショットを例に上げながら、小津は1930年代前半という早い時期から、1920年代に洗練させた動きの美学をトーキーに適応させ、トーキー特有の美学を模索していたと締めくくった。
このように本パネルでは、それぞれの発表が、様々なコンテクストにおいて身体や運動を問いの俎上に載せていたが、とりわけ片岡、滝浪の発表において、トーキー以降のスタイルを生産的に考えるためのアプローチが模索されていたのは興味深い。声や音声はナラティヴを逸脱するものとしてのみその意味を認められてきたが、身体に緩く係留された声や、音の空間形成機能など、物語的な空間との関わりでその「機能」が論じられていたのは、近年の研究動向を感じさせるものだったといえる。
畠山宗明(聖学院大学)
【発表概要】
敗北した男たちの邂逅──黒木和雄『原子力戦争』における佐藤慶と岡田英次
片岡佑介(一橋大学)
本発表では、黒木和雄『原子力戦争』(1978)における敗北した男の表象を、1950年代の原爆映画を参照しつつ検討する。
新藤兼人『原爆の子』(1952)や関川秀雄『ひろしま』(1953)等では、女教師や母親を演じる女性登場人物が、マリア像や白いブラウスに象徴される無垢なイメージで現れる。彼女たちのオフの語りや童謡の歌声は、「母の声」(カジャ・シルヴァーマン)や身体なき声である「声の存在(アクスメートル)」(ミシェル・シオン)として表象され、しばしば戦前の穏やかな日常への思慕を喚起させる。他方、元復員兵である岡田英次演じる『ひろしま』の男性教師は、聴く人物として観客の視聴点を担う反面、生徒との合唱の声が消去されている。
これに対し、原発の利権を巡る犯罪映画『原子力戦争』では、50年代の無垢な女性像に代わり、ファム・ファタールの役を担う黒衣の未亡人が、声なき身体である「沈黙の人物」(シオン)として亡霊のように出現する。加えて本作には、彼女の導きで権力者に闘争を挑み破滅する、原田芳雄演じるアウトローの強い男性が白いスーツ姿で現れる一方、原田と共闘しつつも最終的に撤退する弱い男性として佐藤慶演じる新聞記者が登場する。
安保闘争に挫折したこの弱い男性が、原子力研究の権威で先の未亡人の愛人役でもある岡田英次と作中唯一対面する人物であり、とりわけ見る人物でもあることに着目し、核を主題とした映画における負けた男の邂逅を明らかにする。
ゾンビにおけるセクシャリティ──ポストヒューマニズムとの関連から
福田安佐子(京都大学)
現代のゾンビ映画では、意識や言語能力を持つ例外的なゾンビや、絶望的な状況を打破する可能性を秘めたゾンビにおいて、セクシャリティがしばしば強調して描かれる。ゾンビ映画における女性性に関する先行研究としては、1932年の「ホワイトゾンビ」にゾンビ=奴隷=女性といったポスト・コロニアリズムの影響をみるものや、1968年のジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」と90年のリメイク版とを比較し、脅えるだけであったヒロインが戦う女性へと変化したことを、80年代の女性の社会進出に重ね合わせるものなど、ジェンダーや社会構造の変化がゾンビ映画に反映しているとするものがあげられる。しかし、生殖活動が不必要な、腐乱したゾンビの肉体において、執拗なほど女性性を強調する理由は明らかにされない。
本発表では、アンドロイドやロボットのセクシュアリティに関するポストヒューマニズムの議論のなかにゾンビを位置づけ、ポストヒューマンとしてのゾンビがポストヒューマニズムにおけるセクシュアリティの問題を考える上で重要な役割を持つと考える。以上のような議論を通じて、ポストヒューマニズムにおけるゾンビのセクシャリティを描き出し、ゾンビの現代的意味を捉え直す端緒とする。
小津安二郎映画における〈演出〉の美学──1930年代中盤の作品を中心に
滝浪佑紀(東京大学)
小津安二郎は、常に変わらぬ主題を厳格にスタイル化された手法で表現する映画作家だと見なされてきた。しかし、彼の作品を時系列順に詳しく辿ってみると、小津は一本一本の作品で新しいことを試みていたということがわかる。こうした傾向は、小津が「巨匠」としての名声をいまだ確立させていなかった戦前期の作品に顕著だと言えるだろう。筆者は既出の論文で、小津は1933年まで、映画の〈動き〉という論点をめぐって、彼の尊敬するハリウッド映画の監督──とりわけエルンスト・ルビッチ──を模倣することで、自身の美学を練り上げていったことを明らかにした。そこでの論点は、不安定なまでに動的な状態にある映画メディウムを、いかにその動的な状態のままに保つのかという〈編集〉の美学に関わっていた。それに対して、小津は1934年以降、より長回しとロングショットに基づいた〈演出〉を発展させていくことになる。
本発表は、『浮草物語』や『東京の宿』といった1930年代半ばの小津作品の分析および、インタビューにおける小津自身の発言や批評家・岸松雄の評言への参照を通じて、小津の〈演出〉の美学の含意を考察する。本発表ではとりわけ、こうした小津の〈演出〉の美学と、(1)映像と音の同期が最重要な問題となり、長回しというスタイルと相性の良いトーキー美学、(2)1930年代中盤を通じて、多用されるようになった「風景」のロングショットの問題との関連性を探る。