新刊紹介 | 単著 | 『別のしかたで ツイッター哲学』 |
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千葉雅也(著)
『別のしかたで ツイッター哲学』
河出書房新社、2014年7月
2009年からの五年間に呟かれたツイートは、あらたに配列しなおされることで、別のリズムと形態をそなえる一冊の本となった。前著『動きすぎてはいけない』(2013)の姉妹編とも言える本書だが、文体やフォーマット以外に、おおきく異なる点もある。前著が原則としてドゥルーズを対象としていたのに対して、本書で分析のおもな対象となるのは著者自身なのだ。この点で本書はとても私的であり、そしてそれゆえにこそ、方法論として価値を、範例としての価値をもっている。デカルトの『方法序説』が彼の半生を述べることから始まるように、方法論(あるいは「仮の」道徳)は私的な経験の反省と分析を通じてのみ獲得されるのだろう。
では、著者の自己分析はなぜ必要とされるのか。それは「汝自身を知れ」という道徳的な要請にも見えるが、しかし目指すものは別だろう。たましいへの配慮、自己への配慮のためではなく、変態するために、あたらしい輪郭線を描き出すためにこそ、自己分析は必要とされるのである。そのとき求められるのは、死にいたるまでアイロニーを駆動させる徹底性ではなく、レトリックを駆使し、なんとか窮地を切り抜ける技法、一種の「生存の美学」なのだ。ひょっとすると、そこで必要とされるのはソクラテスではなくむしろディオゲネスの方なのかもしれない。なんといっても「多少適当じゃないと人生は芸術にならない」のだから。(宇佐美達朗)
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