新刊紹介 | 単著 | 『弱いつながり 検索ワードを探す旅』 |
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東浩紀(著)
『弱いつながり 検索ワードを探す旅』
幻冬舎、2014年7月
本書は、『存在論的、郵便的』や『動物化するポストモダン』の著者として知られる東浩紀が、「哲学とか批評とかに基本的に興味がない読者を想定し」て書いたエッセイふうの単著である。「飲み会で人生論でも聞くような気分で」読んでほしいという冒頭の言葉にたがわず、東は平明な筆致のために実に繊細な注意を払っており、したがって本書の主張も次のようにシンプルに要約することができる。
あなたは環境に規定され「強い絆」に束縛された存在であり、ネットに頼るだけではそうした制約はますます強められてしまう。そこから逸脱して、あなたの人生をかけがえのないものにするために必要なのは、観光の旅に出て、環境を物理的に変え、「弱い絆」という偶然に身を曝し、新たな検索ワードを手に入れることだ。
これを聞いて、「何をいまさら」と思う方もあるいはいるかもしれない。東のメッセージは、ちょうど30年前に出版された『逃走論』のなかで浅田彰がくりかえしていた「何もかも放り出して逃走の旅に出」ようという呼びかけの焼き直しではないのか、と。しかし両者がまったく異なるものであることは、本書を一読すればすぐに明らかになる。その差異は主に、「旅」という言葉に置かれた力点の違いに関わっている。
東は、巷に溢れる人生論と本書との違いを説明するために、「村人」「旅人」「観光客」という3つのタイプ分けを持ち出し、本書は「観光客タイプ」の人生論であると述べる。この三幅対を援用すれば、「逃げろや逃げろ、どこまでも」と唱える『逃走論』は、自分の属するコミュニティに留まりつづける「村人」に旅を促す点において本書と共通しているが、その旅が「どこまでも」つづくものとして考えられている点において、本書とは異なり「旅人タイプ」に分類されると言えるだろう。じじつ、逃走には「国境の町の薄汚れた安酒場の便所の匂いなんかがしみついてたりする」と述べる浅田は、明らかにバックパッカーの旅のようなものを念頭に置いている。実際にインドを家族で旅行した東に言わせれば、「バックパッカーになってインドを放浪するのは、若くないとでき」ないことであり、つまり「それはサステナブルな生き方ではない」のである。
したがって、東が本書で呼びかける旅の力点は、それが「観光客」としての旅であることにある。「観光客」とは、定住する「村人」と放浪する「旅人」とのあいだを往復する中途半端な存在であり、好奇心と欲望に導かれて「観光地を通り過ぎていくだけ」の「軽薄で無責任な」人びとである。しかしながら、その中途半端さ、軽薄さにこそ、私たちをネットの真の可能性へと誘い、私たちに階級の壁を越えさせる力が宿る。それが、本書の底に流れる東の思想である。そしてこの流れは、東が代表を務めるゲンロンが東日本大震災以後に取り組んだすべての実践をも貫いている。2013年にゲンロンが出版した『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と『福島第一原発観光地化計画』の2冊は、それらの実践の集大成である。
あるいは読者のなかには、東が自らの人生を仮託した「観光客」という言葉に、ヴァルター・ベンヤミンの言う「遊歩者(Flaneur)」とのつながりを感じた方もいるかもしれない。実はそのつながりは、『新潮』2014年3月号に掲載された「福島第一原発「観光」記」において、東自身が示唆したものでもあった。この文章は、表題のとおり、東が福島第一原発を「観光」したときの体験を綴ったものであり、そこには東が観光客=遊歩者として抱いた感情の結晶がちりばめられている。『弱いつながり』の姉妹編とも言うべき内容を持つこの文章を、本書を通読した方には、ぜひお勧めしたいと思う。(入江哲朗)