新刊紹介 翻訳 『無機的なもののセックス・アピール』

岡田温司、鯖江秀樹、蘆田裕史(共訳)
マリオ・ペルニオーラ(著)『無機的なもののセックス・アピール』
平凡社、2012年8月

現代イタリア美学の異才、マリオ・ペルニオーラ。その数ある著作のなかでもとくに際立った成果が本書(1994年初版)である。ここでは、サイボーグやレプリカントなどのSF的形象、遺伝子工学、大地の皮膚たる建築、衣服としての身体など、人間がモノ化し、モノが人間化するという文化の現代的展望のもと、モノの特異で不気味な相貌が導き出される。重要なのは、テクノロジーや性科学、精神分析の観点からではなく、あえて哲学=美学に依拠して手際よく議論が展開される点だ。無論、モノや性について、哲学は多くを語ってきたし、わたしたちもまた語り続けている。だが、それは多くの場合、人間性や宗教、道徳観、美的規範との関連において、倒錯や異常、逸脱などの否定性の相において、あるいはオルガスムや興奮、快や欲望の表出としてであった。だが、こうした従来の語りを脱却するべく、本書ではあえて西洋哲学の王道を「通過」し、「ずらし読み」しながら、モノへの接近が企てられている。このことを見逃してはならないだろう。カントの「蜜蠟」、シェリングの「磁気」、ヘーゲルの「反証」、ヴィトゲンシュタインの「これ」――ペルニオーラの濃密な思考を彩るこれらのモティーフは、モノを思考する者たちを訪れた「ひらめき」である。感覚するモノのセクシュアリティとは、いわばモノと哲学の接触で生じる一瞬の閃光として、感情や知覚の向こう側で、宙づり状態において感覚される。リアルで卑猥な(それゆえに誤解を招きかねない)本書の性描写は、あくまでモノに肉迫し、その「すぐそばで」思考するための舞台としてある。筆者が密かに期待を寄せるわが国の読者たちは、この果敢な挑戦にいかに応戦するだろうか。(鯖江秀樹)