新刊紹介 単著 『アダムとイヴ 語り継がれる「中心の神話」』

岡田温司
『アダムとイヴ 語り継がれる「中心の神話」』
中公新書、2012年10月

著者の手になる「キリスト教図像学の三部作」――『マグダラのマリア』、『処女懐胎』、『キリストの身体』――に新たな展望を開く一冊が加えられた。その表題に掲げられたのは世界で最も有名な一組の男女、アダムとイヴである。副題にみられるとおり、この二人をめぐって絶え間なく変奏され続ける「神話」への招待が本書である。

例えば人間の創造を語る「創世記」の記述より語り起こして、アダムが先かイヴが先かという男女の差異化・性別化の問題に分け入っていく第一章。そこでは、起源の人間ないし人間の起源をめぐる神学的な論争のみならず、その新たな意匠としての染色体をめぐる現代科学までが視野に収められているが、これが自らのアイデンティティを争点として我々を駆り立てる「神話」の謂いであろう。

また第二章は、アダムとイヴが束の間暮らした「エデンの園」は実在したのかどうかという、門外漢からすれば荒唐無稽な議論が、やがて自然学的・博物学的な関心にとっての原動力へと変貌していった様を「楽園」の図のうちに嗅ぎ付けていく。続く第三章では「原罪」の表象の様々なヴァリエーションを眺めながら、父祖から子孫へと「遺伝する罪」という観念のうちに原罪の世俗化と遺伝学の系図という挑発的な仮説が提示されもする。

ただし著者の意図は、単に人間の起源をめぐる神話が各時代にどのように表象されてきたかという年代記を織り上げることにはない。例えば「知恵の実」を食べたことは幸か不幸かという問題が問われているが、この問題はより根源的な問い、すなわち人間とその知恵の関わりとは何か、畢竟、人間とは何なのかという問いを新たに提示することにある。そのような問いの中に織り込まれた科学や技術への目配せは、まさしくこの時代にあって決して過小評価されるべきものではあるまい。(柿並良佑)