新刊紹介

日高優
『現代アメリカ写真を読む—―デモクラシーの眺望』
青弓社、2009年06月

通史的な視点ももつ本だが、タイトルに偽りはない。本書はなによりも、「アメリカ60年代」のフリードランダー、ウィノグランド、マイケルス、および「70年代」のオーエンス、ショア、(ロバート)アダムスの6人、および彼らの上に影をおとす過去の写真家たちの営みへの批評の書である。

批評の言葉は熱い。時代背景の説明にもページは割かれているので、見通しはきくのだが、ひとたび写真に向かうと——否、レンズの向こうの柔らかなマインドのなかで焦点を結ぶ意識や美学や生き様に向かうと——その言葉は透明性を部分的に破棄して、著者自身の筆圧、身振り、手ぶれを残す。「写真の外部にいるわれわれと、ウィノグランドが生け捕りにする写真のなかの人々とは隔てられてはいない」。批評の言葉は扇動的でもあり、ときにエロティックでもある——「眼差しで触れにいくことで、表面にすぎない写真はさざめく感覚のトポスになる」。

個々のアーティストに焦点を当てながら、アメリカ写真史上のいくつかのイヴェントを訪ねていく、そのさいに一種のメタ・フォーカスとして機能しているのがデモクラシーという概念だ。平等性への散逸。フォトグラフィーは一方で「公式的ヴィジョン」の支配を許しつつも、内在する民主化力を展開して止まない。十九世紀にそれが与えた衝撃は、ケータイの時代、なおも活気づいている。写真機がそこにあることが〈時〉を駆動するという社会史のダイナミズムを前にして、筆者は、永遠の側からではなく、時を動かす側に立った記述を積み重ねる。時とともに写真が動くそのさまに接して読者は、一段と高いレベルの観照へと誘われる。

写真史に詳しくない私も、同時代の文学・映画との比較から、随所で膝をうった。対象に情熱を傾けつつ、フォトグラフィーの風景へと広く感覚を開かせてくれる本書は、開拓の進んでいない分野を歩む表象文化論の若い研究者にとって、みずみずしい手本となることだろう。(佐藤良明)