新刊紹介 翻訳 『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』

國分功一郎(監修)、千葉雅也、三浦哲哉、角井誠(ほか字幕翻訳)
ジル・ドゥルーズ(著)『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』
KADOKAWA/角川学芸出版、2015年9月

哲学者ジル・ドゥルーズがアルファベット毎に決められたテーマを語り尽くす、約8時間にもインタビュー映像を収録したのがこのDVDである。テレビで放送されたのが1995年。1999年にはVHSビデオが、2004年にはDVDが発売されている。このたびこのDVDの日本語字幕版が発売された。私はこの日本語版の監修者として、字幕の翻訳を千葉雅也氏、三浦哲哉氏、角井誠氏、須藤健太郎氏、岡嶋隆佑氏に依頼。計六人で翻訳チームを結成し、ドゥルーズの死からちょうど20年を迎える2015年の記念となるこの仕事に取り組んだ。

字幕翻訳は書籍の翻訳とは全く異なる独自のルールがある。何よりも違うのは、一回に表示できる文字量に限界があるということだ。哲学では逐語訳が行われるのが当たり前であるが、この普段の原則をそのまま適用することはできない。とはいえ、ドゥルーズの言葉を翻訳するのであるから、これを極度に簡素化することもできない。そこで我々は、通常の字幕翻訳よりは文字を多めに、しかし、なるべく読みやすく、字幕翻訳であることを忘れずに翻訳するという骨の折れる作業を行うこととなった。

この映像作品は、作家の人生や作品を扱ったいわゆる映像ドキュメンタリー作品とは一線を画する。ドゥルーズが自分のアパートで何ごとかを延々と語り続ける、そのような映像であって、ナレーションも解説も何もない。したがってこの映像は、ドゥルーズ本人の言葉と声を伝える記録として、彼が残した他の諸々の文献と同格に扱われなければならない。字幕翻訳のルールを尊重しつつも、できる限り逐語的に翻訳するという方針が採用されたのはそのためでもある。

語り続けるドゥルーズの映像を見ていると、そこには、舶来品のような扱いを受けていたかつての「フランス現代思想」の担い手でもなければ、世界中の研究者によって好き勝手に「応用」されて、実に単純な政治的主張の持ち主にされてしまった哲学者でもない、全く異なる人物が現れてくる。正直に言うと、私ははじめてこの映像を見たとき、研究者たちが延々とテキストを読んで作り上げてきたイメージが、実際の本人とは似ても似つかないものであったことにややショックを受けた(なお、パリでデリダのセミナーに出席し、本人の実際の語り口を目にした時も、全く同じ感想を持った)。

だからこの映像は或る意味で残酷である。研究者が一生懸命に勉強して書いたとある論文がまったくもってトンチンカンであったことを、見ている者に一瞬で理解させてしまうかもしれないからだ。いや、もしかしたらその残酷さは理解されないのかもしれない。いずれにせよ研究者は、ある人物やある出来事について自分が描いたイメージが、もしかしたら途方もなく的外れなものであり、しかも、実際にその人物や出来事を見た人であれば、専門家であろうとなかろうと、それが的外れであることが一瞬にして分かってしまう、それほどまでに的外れであることの可能性にいつも恐れを抱いているべきではなかろうか。

H comme Histoire de la philosophieすなわち哲学史の項目の中で、ドゥルーズは初期のゴッホの絵画にはイモの色ばかりが出てくるという話をしている。ドゥルーズによれば、初期のゴッホはまだ色彩に取り組むことができなかった。彼は「色彩を前に恐れおののいた」。ドゥルーズは肯定の哲学者などと言われているが、「恐れおののくこと」の必要を決して退けなかった。もちろん『アベセデール』は多くの人に気軽に見てもらえればよい。しかし、この映像を見て、「私はこれを見て恐れおののくべきなのだ」と感じる人もいるはずだ。それはおそらく、「イモの色に取り組むこと」というドゥルーズからのメッセージである。(國分功一郎)

國分功一郎(監修)、千葉雅也、三浦哲哉、角井誠ほか(字幕翻訳)ジル・ドゥルーズ(著)『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』KADOKAWA/角川学芸出版、2015年9月