新刊紹介 編著/共著 『ドゥルーズ 没後20年新たなる転回』

千葉雅也(ほか分担執筆)
『ドゥルーズ 没後20年新たなる転回』
河出書房新社編集部(編)、2015年10月

フランス現代思想を代表する哲学者ジル・ドゥルーズ。その没後20年目を迎えた昨年は、世界各地でコロックが開催された。ドゥルーズ研究は今なお各地で盛んに行われており、また思弁的実在論など新たな潮流を生み出しつつある。本論文集は、国内の20年の研究史を振り返りつつ、そうした国外の研究動向をも把握することができる内容となっており、かつて同出版社から没後10年にさいして刊行された論文集からドゥルーズ研究を確実に前進させている。なおかつ、国外の研究動向をたんに紹介するにとどまらず、それらを批判的に検討し、今後のさらなる可能性を展望するものである。

本論文集は三つの対談と一三本の論文を収め、それら計一六章が二、三章ずつ七つのテーマに割り当てられている(七つのテーマは、「対談」「展望」「文学者が読むドゥルーズ」「生成」「内在」「動物」「闘争」)。巻末には「主要著作ガイド」、ガタリの諸著作を紹介する「ガタリの著作を読む」、「文献案内」、「ドゥルーズ著作一覧」を付し、大変充実した内容になっている。以下、順に見ていこう。

小泉義之×千葉雅也の巻頭対談「ドゥルーズを忘れることは可能か──二〇年目の問い」は、没年から現在までを振り返り、これからのドゥルーズ読解の可能性として、ドゥルーズの絶望(さらには貧しさ、狂気、閉域、切断)やイマージュ一元論を提起したうえで、「ドゥルーズを忘れろ」と述べるアレクサンダー・ギャロウェイに批判的に応答しつつ、思弁的実在論などの新たな潮流を、超越論的構築主義と大学の閉域に向けられた批判的立場として解釈する。

この対談と合わせて、「フランス本国」「英米豪」「アジアおよび南米」「日本」それぞれにおけるドゥルーズ研究の現在を紹介する檜垣立哉の論文を、また極めて詳細な巻末の「文献案内」を参照すれば、世界各地の最新動向をマッピングすることができる。

こうした最新動向とはいわば対照的に、視線を過去へ向け、ドゥルーズにおける「プラトニズムの転倒」のプログラムに影響を与えた哲学者、文学者、数理哲学者らを整理した近藤和敬の論文は、プラトンから新プラトン主義などを経てベルクソンに至るまで、ドゥルーズにおけるそのプログラムの源泉となった思想的系譜を一望する。

巻頭におかれたこれらの対談および二本の論文が、読者に広い展望を与えてくれる(上記二論文がテーマ「展望」に収められたものである)。

他に、江川隆男×堀千晶の対談「絶対的脱領土化の思考」は、近年のドゥルーズ研究の一つとしてダヴィッド・ラプジャードの著作を丁寧に分析しながら、思弁的実在論が扱えていないダイアグラム論を、超越論的経験論と脱様相化の観点から検討する。様相同士が非共可能的であることを具体的に表したものとして、対言(矛盾、コントラディクション)ならぬ副言(ヴィス・ディクション)が呈示され、対立ならぬ抵抗の論理が、潜在的な諸条件の変形として、デモや日常生活のレベルで検討される。

また、宇野邦一×鵜飼哲の対談「概念の力と「地理哲学」──ドゥルーズを読みなおすために」は、主に『哲学とは何か』に依拠しながら、嗜好、イマージュ、出来事など、様々な角度からドゥルーズの哲学を検討する。器官なき身体の多様な展開が整理され、概念をめぐってドゥルーズの地理哲学が、とりわけ概念とフィギュール(あるいはギリシアとオリエント)の関係性に関してドゥルーズとジャック・デリダの戦略的な相違が、検討される。

他に、「生成」のテーマには、ドゥルーズの多元論の徹底の過程における非意味的な記号論の発生を論じたアンヌ・ソヴァニャルグ、ドゥルーズのカント読解にとってのマゾッホの意義を明らかにしたフランソワ・ズーラビシヴィリ、特異化と普遍化の対立的な二つの運動の緊張関係から生じる強度的変様の記録および変様への生成変化を論じるジャン=クリストフ・ゴダールの論文が収められている。

「内在」のテーマのうちでは、ドゥルーズにおいてフーコーとともに切り開かれた主体化−脱主体化の問題をペテル=パル・ペルバルトが、イスラム哲学者モッラー・サドラーによるドゥルーズ哲学への潜在的貢献をローラ=U・マークスが、論じている。

「動物」のテーマでは、動物の本能的な行動と人間の芸術的活動を生成変化によって連続的にとらえるブライアン・マッスミ、愚かさをめぐるデリダのドゥルーズ批判から動物的民主主義を提起するパトリック・ロレッドの論文が収められている。

「闘争」のテーマには、あるものの本性をその外部的条件によって思惟する「外部による思惟」を唯物論と言い換え、これをドゥルーズ哲学のうちで一貫して作動している思考として論じる李珍景、ドゥルーズの政治論の理論的骨格が完成される過程をその同時代的情勢を踏まえつつ詳細に検証する廣瀬純の論文が収められている。

「文学者が読むドゥルーズ」では、笙野頼子による、「碧志摩メグ」やその他の時事問題、社会問題と『千のプラトー』とを織り交ぜたエッセイ、また、萩世いをらによる、読めないこと、あるいは読むことの裂け目をめぐるエッセイが収められている。

このように、本論文集はこの20年間に蓄積された世界各地のドゥルーズ研究の現状を紹介しつつ、今後のさらなる研究の可能性を展望している。ドゥルーズ研究史における記念碑的論文集といえるだろう。(島田貴史)

千葉雅也(ほか分担執筆)『ドゥルーズ 没後20年新たなる転回』河出書房新社編集部 (編)、2015年10月